最終章三幕「虧月狂想曲③」

 深夜。

 といっても、月面本来の昼夜は約一月周期。人間の活動には不向き故に、地球基準で調整がなされている。だから、『便宜上の深夜』と呼ぶべきだろう。

 いずれにせよ、本来眠りについている筈の時間、アマタは怪しげな物音を耳にした。彼女は武器を携え、部屋の中で警戒を厳にする。

(……なんかあるとは思ってたんだ)

 思えば、この都市は最初から怪しすぎた。彼女達を都市から離れた場所に隔離していたのは、『何かあった』時、都市本体に影響が及ばないようにするため、ということは十分に考えられた。

 確保すべきは、ドウミョウジの安全。次に、脱出のための足。

 最悪の場合、母艦の持つ『子船』の一つである『ザナバザル』が、この都市を制圧しに来る手筈になっている。それまで時間を稼げれば、問題なし。

 そんな仮定ケースまで一通り頭を巡らせてから、彼女はドウミョウジの寝床を見る。しかし、そこに彼は居なかった。

(……やられた!)

 最悪のケースの一つは、彼が人質にとられることだ。

 今の『ヴァンガード』には人的資源の余裕がない。もし人質に取られれば、それだけでダメージを被る上に、対応に甚大なリソースが必要となる。自分がついていながら、そんな不手際を。

 などということを考えながら、部屋中に注意を払いながら物音のする方向に武器を向け、目を凝らすと。

 ……船外活動服を着て、外に出ようとしているドウミョウジの姿があった。

「何やってんだアンタ!?」

「いや、ちょっと用事を思い出してな?こう、気付かれないようにと……」

「護衛の意味、わかってンのか!?ああ!?」

「大声で怒鳴るな!」

「あー……オレの努力っていったい……」

「怒鳴るな、とは言ったが、ダウナーになられてもそれはそれで困るな……」

「その『用事』、オレが付いていっちゃ不味いやつなんだろ?」

「……二人して脱走すると、言い訳が効かなくなるからな」

「何をしようとしてたか、は聞いてもいいんだろうな?」

「……いいが、多分間違いなく、『理解できない』と思う。俺の専門分野に関わる問題だからな」

「あー、なら、何するかだけ教えておいてくれ」

「やけに物分かりがいいな……」

 アマタにとっては、『こういうこと』は、珍しくない。特に、だとそういった事態はしばしばあった。だから、『意図のわからない行動に付き合わされる』ことは仕事の内、という感覚だった。

 しかし、それでも不思議なことは、ある。ドウミョウジの経歴についてだ。

 初対面なのは、珍しくない。木星出身者なのも、珍しくない。

 だが、不思議なのは。彼の所属セクションについて、何も情報が無いことだ。あの後、連絡事項に漏れがあったのかと事前情報をチェックしなおしたが、その点だけは、やはり記載がなかった。

 そもそも、移民船に乗り込んだ人間の大半は、何らかの専門家であることが多い。そして仮に、『そうでない』なら、こんな任務に抜擢されたことに説明がつかない。

「なぁ、おじさん」

「ドウミョウジ呼びじゃなかったのか。ハラスメントだぞ」

「アンタ、?」

 彼は、その言葉に嗤う。

「俺は、一番必要なのに、一番要らない人間さ」

 彼は、己自身を嗤っているのだと。その言葉で、アマタには分かった。

「一番、いるのに……一番いらない?」

「……俺は、ざっくりいうと人文学humanitiesの専門家、特に詳しいのは宗教学だ。だから、この街の建築物と宗教様式、一切合切に関して調査をするよう、指示を受けている」

「学者……は、なんとなくわかるけど、宗教学者ってなんだ?」

「だから話すの嫌だったんだよな……説明すると長くなるから……」

「つまり、この街について調べようとしてた、ってことでいいのか?」

「うーん……例えばだな。来る途中に、でかい仏像と寺院があっただろ?」

「うん、クソデカかったな」

「あれは、多分、材料と規模こそ違うが、奈良時代の日本の仏教建築の流れを組むものだ。メガ仏像建築はオートーメーションで木仏の原型を単純拡大することが多いから、もうちょい観察すれば、どこの仏師が作ったか正確に当てられる」

「ふーん、すごいな」

「面白いだろう?」

「でも、データベースに繋がったカメラで認識させれば、すぐわかるだろ?」

「お前なぁ……そのデータベース作ったの、誰だと思ってるんだよ」

「AIじゃないのか?」

「……AIだって、無から情報を作ってるわけじゃない。大本の情報を集めて整理したのは、俺達の先人だ」

「ドウミョウジじゃないのか?」

「今扱ってるのは、もう少し、抽象的というか『形のないもの』だな。まぁ、狭い船の中じゃ役に立たないのは確かだが。神社の一つもないしな、あの船」

「おっさんが役に立たないからおつかいに出された、っていうのはよくわかった」

「傷つきやすい年頃なんだから、言い方を選んでくれ」

 有体に言えば。この月面都市は、少なくとも百年近く孤立し続けた「宗教的原理で動く集団」だ。物理的な距離は近くとも、その内側は限りなく異界に近い。あたかも、地球と月のように。近くとも違う、未知の世界だ。

 その未知の集団の行動原理を分析するには、宗教的な思想の背景を読み解く必要がある。

 そして。何よりも重要なこととして。

 嘗ての世界、嘗ての時代において。「宗教の専門家」は、即ち。「」と同義である。

 船団には、徳エネルギーから成る機器は殆ど存在していない。彼等の持つ「炉心」は、徳エネルギーとは相性が悪い。

 だからこそ、彼は不要だった。そして今、彼は。誰よりも必要な人間となった。

 この都市で、何が行われてきたのか。そして、を知るために。



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ブッシャリオンTips 『ザナバザル』

 移民船団が持つ子船の一つ。普段は母艦の『傘』の内側に係留されているが、惑星間移動能力を持つ航宙艦 である。モジュール式のため全長は任務により変動するが、基本ブロックは1km未満と小型。

 子船の多くは系外版図と木星圏に置かれたため、現在稼働しているものは少ない。限定的ながら、軌道爆撃による対惑星制圧能力を付与することが可能。

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