最終章三幕「虧月狂想曲②」

 果てのない視座。 信仰によって得られる法悦。 人の心の限界。 次第に欠けゆく月は、そうしたものを混ぜこぜにした停滞の世界だ。 此処では十年は一日に等しく、地上の喧騒からも遠く、そして……浄土からは、尚遠い。 時は永くとも、永遠ではない。やがては苦しみが訪れる。

 もしも仏法に擬えるならば。此処は『天界』と。そう呼ぶのが相応しいのだろう。 そうしたものを、『ムーンチャイルド』は見続けてきた。 ムーンチャイルドは、幽霊だ。どのように生まれたのかは、誰にもわからない。 人ではなく、機械ではなく、そのどちらよりも幸福で、どちらよりも苦しむもの。

 その、あまりにもおぼろげな存在を成立させるには。嘗ての世界は、人であふれ過ぎていた。 この凍った、未来のない場所でなければ、それは存在できない。 人の為す輝きは、あまりにも眩しく、彼の身体を焼き尽くす。 だから、どこにも行けず、何もできない。この星にいる人々の多くと、同じように。

 

 『ムーンチャイルド』は、幽霊だ。『この世』で恐らく、ただ一つ。 ブッシャリオンから成る生命へと進んだ、『幽霊』だ。


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「軌道アプローチ、着陸地点にあわせ固定。侵入コースの誤差、グリーン。チェックリストの残りは……おい、少しは働け!」

「……連絡要員って、そもそも行く必要あるんですかぁ~~、わざわざ……いまどき、軌道タグで物資の受け渡しくらいなら無人で出来るだろー……」

 月の軌道上。有人着陸機(ランダー)の二つの座席には、『ヴァンガード』の制式装備である船外活動服を身に纏った、二人の人間が座っている。

 一人は、40代頃の見た目の男性。もう一人は、20前後の女性。宇宙服にはそれぞれ、『ドウミョウジ』『アマタ』の名札が縫い付けられている。

「話は後な。しばらく黙って座ってろ……軌道官制からのレスポンス、チェック。着陸地点……ハドリー山、アポロ15号寺!」

「なんだよ、その地名」

「知るか。向こうのマップにそうあるんだから。向こうさんに聞け」

 二人の喧騒をよそに、降下機(ランダー)は音もなく月面へと起動を下げていく。此処から先は自動操縦で、暫くは暇だ。

 そうして、手が空いた後。男……『ドウミョウジ』の方が口を開いた。

「まったく……今回運んでいるのは、重要物資だって言っただろうが。100年近く独自にアップデートした着陸機のオート機能がちゃんと働くかとか、向こうとの顔繫ぎとか、色々考えることがあるだろうが……」

「こっちは、警護担当だから詳しい話来てないんだよ!いきなりランダーに詰め込まれて、事情聞いてもよくわかんねぇし……」

「……連絡事項読むのサボってるだけじゃないのか?」

「うっ」

「図星か……」

 彼の指摘に、アマタは言葉に詰まる。

「それで、重要物資って?」

「……まあいいか。木星で回収した『炉心』の稼働ログだ。データ量が多すぎて、回線じゃ遅れない。それに万一、『敵』に渡ったら一大事になる」

「『敵』、ねぇ……」

「いまいちピンと来てない顔だな」

「まぁ、なぁ……」

 アマタ……彼女は、地球の生まれではない。

 彼女にとって、人類も機械知性も、船団の構成員だけを指し……多少の諍いはあれど、全員が同じ目的のために協調する、という状況が当たり前だった。

 だからこそ、明確に利害が対立し、矛を交える『味方でない』モノ、或いは勢力が居る、という状況そのものが……そもそも、想像の埒外にあるのだろうか。

「そんなのがいる地球って、どんなとこなんだ?」

「俺だって行ったことない。木星の生まれで、10代より後は、あの船の中だ」

「なら、なんで木星寄った時、『居残り組』に志願しなかったんだ?」

「お前、他人のプライベートにズカズカくるな……」

「いーじゃん、仲間仲間」

 船の中では、セクションの違いや半冷凍睡眠のローテーションの問題から顔を合わせない人間も多い。彼女とも仕事の付き合いが初めて、の筈なのだが。

 この距離の近さも、『敵』が居ない環境で育った故なのだろうか、などとドウミョウジは考える。

「木星は、地球と戦争してたんだよ。だから……あそこに居たら、その頃のことを思い出しちまう。それに、俺の故郷は、もうあの船だ。その旅に、最後まで付き合いたかった」

「へー。ふーん。ほー」

 感心したのか、何か思うところがあったのか、それとも馬鹿にしているのか。よくわからない反応だった。

「なんだよ、その奇妙な反応は。次、そっちの番だぞ。俺と違って、船の方に義理は無いだろ?なんで『生まれた星』をわざわざ離れた?」

 実のところ。彼女は、よくいる『船の中』の生まれ

 系外版図#01。彼等が根を下ろした、まだ名前も定かではない、新天地の生まれなのだ。

 故郷の何もかもを捨てて、星を渡るなど。余程の覚悟が無ければ、務まりはしない。その、筈なのだが。

「うーん、なんていうか……浪漫?」

「浪漫、かぁ……浪漫なら、仕方ないなぁ……」

「……あの、オレとしては、ツッコミ待ちだったんですけど?」

「……お前なぁ、少しは真面目に答えろよ?こっちは少し恥ずかしいんだぞ?」

 もう少し問い詰めようと、ドウミョウジが言葉を続けようとしたその時。通信システムから経文が流れ始め、人の声が割って入った

『此方『月天』管制室。遠いところを、ようこそおいでくださいました。拙僧が代表して歓迎いたします。貴殿の信仰に、感謝を』

 着陸機が最終降下に入ったのだ。

「……向こうさんのお出ましか。痴話喧嘩やってる場合じゃなくなったな」

「いや、痴話喧嘩じゃねーし!……そういうんじゃねーし!?」

 そうして、二人を乗せた降下機は、林立するメガ仏教建築の間を抜け……正に人類が500年以上昔に足を下したその地で、静かに翼を休めた。

--------------

 地球軌道上、ラグランジュ点。『ヴァンガード』内、司令室。

「月との連絡についてですが」

 副長は珍しく険しい顔で、彼女……千里を問い詰めていた。

「……珍しいですね。そんなことまでわたしに伝えてくるなんて」

 対地上工作の開始以降、船のあちこちのセクションで、仕事量は激増している。そんな中で、予定外の報告を上げてくるのは……余程のことには違いなかった。

「積み荷に何か細工を指示しましたか?」

「細工なんてしてませんよ。ただ、心ばかりの『おまけ』を詰めただけで」

「絶対ろくでもないことしてますね……」

 『何かした』のは、認めたも同然だった。

 現状、月の住人とは微妙な距離の状態が続いている。向こうは接触に慎重な上、こと宗教が絡む以上、迂闊な手出しもできない。どこに相手の地雷があるのか掴みかるからだ。

「その辺は、を行かせましたし、大丈夫ですよ」

 彼女は、あっけらかんとしているが。

「具体的に何をしたか、伺っても?」

「衣食住が満ち足りた状態で、人間は何が欲しくなると思います?」

「さぁ……知識……とかでしょうか?」

「一部正解、というところですね。まぁ、真面目で貪欲なのは貴方の長所ですけど、思考の幅も大事ですよ?」

「…………」

「答えは、娯楽です。船のライブラリから引っこ抜いたデータをまとめてつけておきました。とびっきりの、胸を焦がすような。遥かな未来へのあこがれを思い出すようなやつを」

「……月面都市で反乱でも扇動する気なんですか!?介入するにしても、こっちのリソースは有限なんですからね!」

 副長は頭を抱えた。

 迂遠な手法ではあるものの、現状、一種の安定状態にある月面都市に、上司が知らぬ間にだばだばと油を注いでいたのだ。

 最悪、連絡員の二人は火種になりかねない。本格的に着火するのは当分先にせよ、長期的な爆弾が、また一つ増えた。

 彼女は最良を選び取る力は持っているが、『難易度』は度外視しがちだ。彼女にとっては全ての物事はデジタルで、『可能』と『不可能』の区別しかない。そこに至る道の険しさを、道を選ぶときには考えもしない。

 だからこそ、今の役職にあるということも、解るのだが。

 しかし、

「もう少し、お付き合いに積極的になってくれるといいなー、と思っただけで……大丈夫、そんな大事にはなりませんから!多分!」

「力いっぱい不確定さを断言されましたね……」

「人間だけなら確定ですよ。でも、記録を見るに……絶対、『そうじゃないの』が居ますから、あそこ」

 あの二つの星には。彼女の思惑を壊しかねない化け物が、きっと、幾つも蠢いている。


--------------


 荷物の受け渡しは、ほとんど一瞬で終わった。

降下機(ランダー)のコンテナを手で掴んで下ろし、『月天』側の指定の場所まで運んで、おしまい。月の重力のおかげで、パワーアシストさえ不要だった。

 後は、

「帰るだけ、だと思ったんだけどなぁ!」

「中身の確認は必要だろ?そりゃあ……」

 諸々の確認のために、一泊していくことになったのだ。

「なぁ、おじさん」

「おじさんはやめろ」

「なぁ、ドウミョウジ。あのストレージ、確認にどれくらいかかる?」

「……中身を一通り確認するだけで、母船の設備でも数時間かかる。此処の設備が旧式なら、下手すれば数週間、ってとこか……」

「げっ……」

「だよなぁ。こっちも、若い娘と同じ部屋は、流石にどうかと」

 月面都市は、ご丁寧に個室を付けてくれたものの、一部屋だけだった。

「いや、それは別に構わねぇよ。寧ろ、同じ部屋の方が守りやすくて助かるし」

「……そうだな。今のとこ、荒事の気配は無いけどな」

 宇宙では、「個人所有の空間」は貴重だ。まして、母艦よりもエネルギーも備蓄も制約される月面基地ともなれば、パーソナルスペースは寝袋一つ以下、という状況も十分有り得た。

 それに比べれば、現状は天国なのだが。

「なぁ、ドウミョウジ」

「……なんだ?」

「この近くに人間居ないの、気付いてるか?」

「あー……なるべく、こっちと接触する人間を減らそうとしてる、ってのは、なんとなくな。そもそも、誰とも直接顔を合わせてない」

 閉鎖空間に来た『異物』の扱いなど、こんなものだろう、とドウミョウジは考える。個室まで与えたのも、都市内をあちこち動き回られるよりはマシ、という考えか。それが、何を意味するかと言えば。

 暇なのだ。

「なぁ、ドウミョウジ」

 船外活動服の『外側』を脱ぎ、ごろんと寝台に体を横たえた後。再び、アマタが声をかけてくる。

「……やっぱり、名字呼び捨てだと妙な感じだな……」

「呼び捨てだと不味いか?Mrとか付けた方がいいか?」

「いや、そもそも道明寺は名字、ファミリーネームで……そもそも、ファミリーネームって知ってるか?ってか、あるか?」

「ない」

「だよなぁ……」

 人類には、様々な名前の文化がある。宇宙に出てからはそれに拍車がかかり、ファミリーネームが無い人間というのも今は珍しくない。

「何か、名字に相当するものも無いのか?」

「テラツーのアマタって呼ばれてたことはあるな」

 テラツーというのは、系外版図#01に暫定的に付けられた名前の一つだ。

 そもそも、系外植民計画自体の出自の複雑さから、惑星に『正式な名前』を付ける権利が、誰にあるのかは判然としない。幾つもの名称を横断的に使うよりは、と単純に『系外版図』と呼ばれることが多い。

「それは名字とは……いや、起源的には名字なのか?田中とか山下とか、そんなのと似たようなもんか?」

「でも、テラツーって呼ばれるのは、確かに妙な気分になるな……」

 地球人だったら地球さん、火星人だった火星さんと呼ばれるようなものだ。ドウミョウジの場合は木星さんかガニメデさんだろうか。

「色々考えると、どうも、オレには名字がないっぽいな」

「どうやらそうみたいだな」

「それは不便だな」

「いや……今まで不便しなかったら、別にそれでいいんじゃないのか?まぁ、好きに名乗るのは構わんと思うが」

「じゃあ、オレもドウミョウジにする」

「意味わかって言ってるのか?」

「意味?」

「ファミリーネームつってるだろ。同じ名字は、つまり、家族になるってことだ」

「……?『ヴァンガード』ってのは、一つのファミリーみたいなもんだろ?」

「…………うん、まぁ、うん。お前の家族観とか生活習慣がどうなってるか大変気になるところだが、それは後で追々聞くとしてだ」

「一緒に暮らせばわかるだろ?」

「……うん、そうだな!」

 そういえば、とドウミョウジは現状を思い出す。

 此処から暫くは缶詰生活で、おまけに時間はたっぷりあるのであった。



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ブッシャリオンTips アマタ

 『ヴァンガード』所属。系外版図#01で生まれた人間。耐環境のため一部遺伝子改造が施されており、その影響で身体が丈夫。

 現在は警備セクション担当。実戦経験を持つベテランだが、育った環境故か、いまいち感性や距離感がずれている部分がある。

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