第六節「払暁の光⑥」
「……死」
彼は、確かに『死』を手に入れた。ただ、途端に不安になった。世界が闇に包まれたように。すべてのものが、崩れ落ちるかのような錯覚を抱いた。それは、『死』の、『その先』がわからないからだ。
暗闇のように。果てのない洞のように。死ぬとは、無へと還ることなのか。それとも、
(人のように、仏となるのか)
形のない恐れ。それを憎むのか。赦すのか。それとも逃げ出すのか。
否。
否。
それを超克することにこそ。生の命題が、あるのだとすれば。
「……理解した」
『レイノルズ』は、理解した。死を知ることは、生を知ることだと。
ようやく、それが解ったというのに。彼の心は、自我ごと削り取られていく。
構えた刀身が砕け、光の中で煌めいて花弁の如く散った。体そのものが、光の中へ飲まれる。
その瞬間。限界に達した『エリュシオン』の翼の端が、想定を超えた光の圧力に撓んだ。微かにビームの軸が逸れ、遠く離れた彼の手前で蛇のようにのたくった。
のたうつ光の柱が海水を掠り上げ、彼を仏の掌の上より薙ぎ払った。蒸発し、巻き上げられた海水が、雨の如く降り注ぐ。
『レイノルズ』は、その中を。濁流渦巻く暗い海へと落ちていく。
その最中、彼は天へ手を伸ばす。無論、その手はどこにも届きはしない。
ただ、遠く天を奔る流れ星を視界に収めて。彼の意識は泥のように溶けていく。
ああ、この場所は、こんなにも高いのに。
---------------
「バレル、照射限界に到達!
ビーム照射を中止した機体が、大きく呻る。
「『ボギーブッダ2』α、目標、ロストしました!βは健在!」
「……どうするつもりでおじゃるか」
未知の『何か』は、既になく。後に残されたのは、ただの、世界最大の得度兵器だ。
浮力を喪失し半ば自壊をはじめているとはいえ、それは未だ最大限の脅威。この星の人類を滅ぼしうるモノ。しかし、
「オペレーション『イカロス』は完了した。我らにできることはもうない」
そう問う『マロ』に。彼女は、それだけ告げて大きく息を吐いた。
最後の切り札である根城を傷つけ。船団そのものを退避のため一時的に解体し。もはやこれ以上、彼女達に戦争は続けられない。
「なら、白旗でもあげるでおじゃるか?」
「まさか」
彼女は、そう言って笑い。そして、
「我らに、できることは、と言うたのだ」
空を見上げた。
その時、遥かな明けの空の上を、幾つもの炎の筋が走った。暁の光を、払い除けるかのように。
「ギリシアの昔話に曰く。イカロスは人造の翼を纏い、父と共に迷宮より逃げ出した。イカロスは太陽に近づき過ぎ、翼をもがれ海へと堕ちた」
「こんな時に自虐でじゃるか」
「しかし父親は無事にシチリアへ逃げ遂せた……その父の名を」
否、違う。
名高きその父の名は。
『ダイダロス』と謂う。
燃え尽きずに地へと堕ちた流れ星……否、プラン・ダイダロスの母艦、『ヴァンガード』より投入された
罅割れから、本来の金色の表皮を覗かせながら。世界最大の得度兵器は。全身から炎を噴き上げ、自壊し、海中へと没していく。
-----------
軌道上。
「『ティアジュエル』による攻撃は成功です。命中率70%台、人的被害は確認されず。ですが……宜しかったのですか?」
青い星を、遥か眼下に見下ろしながら。千里は副官の報告を聞いて頷いた
「『敵味方識別』の変更については、すでに議論したとおりです。それに」
「それに?」
「人には、夢が必要なんですよ」
「夢……?」
「必死に頑張り続ければ、いつか誰かが、手をさしのべてくれる。そんな、夢が」
「つまるところ、信頼……というわけですか。それで、」
しかし、副官のほうも、上司の扱い方はそれなりに心得ている。特に、いいことを言っている時は。
「本音はどの辺なんですか?」
「まぁ、ぶっちゃけこのタイミングなら間違いなく恩を売れますし、『同じ戦法』がどの程度通用するかをノーリスクで試せます」
大抵、合理的な打算が隠れている。
「……台無しです。貴方らしいとは、思いますが」
「ここまで言うのは、あなただからですよ。わたしが何を考えてるか、知っておいて貰わないと困りますから」
「やはり、地上への干渉を?」
「ここまでやったからには、それなりの責任をとる必要もありますからね。これから、忙しくなります」
-------------
「決着はついた。そして、我等の同志は、無事目的を果たした」
『ヤーマ』は、そう言って、手に持ったグラスを掲げた。
「目的……彼の目的は、『第三位』の殺害では?」
傍らの少女は、当然の疑問を投げかける。
「それは、彼の個人的な目的だとも」
だが、個から成る組織である以上、それは自然なことなのだ。自己実現のための目的と、集団の総意としての目的が食い違うことは。
「もともと、今回は。最低限、あの巨大得度兵器を『この場所から退ける』ことさえできればよかった。そして、『ヴァンガード』の介入を招いたことで、千日手の芽も摘むことができた」
あの超大仏を機能不全に陥れ。人類対得度兵器の膠着を未然に防ぐことができれば。
そこから先は、本質的にはただの余禄だ。
「あの大型得度兵器は、つまるところ一種の要石、或いは『安全弁』の役割を果たしていた。作ったものがそこまで考えていたかは別として、あの場所で『無から湧き出る』徳エネルギーを吸い上げ、一種の平衡状態を作り出していた」
得度兵器はそのエネルギーを使って、『弥勒計画』を行おうとしていた。しかし、それは彼らにとっては本質ではない。発端は、この場所での戦闘。
『ユニオン』残党が使用した核兵器と、得度兵器の呼び起こした「浄土」の衝突。その最中を直近で観測した、14秒間のクリティカルデータ。それは今や、この世で彼等しか知るもののない刹那である。
「……つまり、『湧き出るもの』を、堰き止めていた……と?」
少女の言葉に、『ヤーマ』は、小さく頷く。
「核爆発によって圧縮された際に、『具象化』とでもいうべき現象が起きた」
地の上に『浄土』が現れた時、時折起きていた現象。
指。手。願いが形になった、『何か』の一部。その、『次のステージ』。地球最強の功徳汚染地帯と核爆発の衝突で、漸く届いた刹那。
それが、仏を導きだす
「ただ、唯一の計算外は……」
「同志が、死を得たことですね」
「いや、どうやら……其方はまだ生きているようだ」
但し、その命をどう使うかまでは。彼等の預かり知るところではないが。
本当の計算違い。
それは、ただ一つ。
-----------
「ヘクシュ!!……また、誰かが噂でもしてやがる」
「どうせ、碌な噂じゃないだろう」
はるか遠くで。くしゃみをするガンジーを、クーカイが冷やかす。
『生き残り』の人類が。如何なる方法によってか、纏まろうとしていること。
それも、予想よりもずっと早く。
▲黄昏のブッシャリオン▲第六節「払暁の光」了
最終節「黄昏のブッシャリオン」へ続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます