第三節「対仏大同盟(アンチブッダ・アライアンス)①」

 女は、マザー仏壇の底へと潜り続ける。疑似電子化人格達の情報密度もまた、それにつれて次第に薄くなっていく。より古い時代の、旧式の人格コピーAIだ。彼女は時折、虫を踏み潰すようにそれを破壊しながら『海』の深みを目指す。

 人格達の動き回る『背景』もまた、粗雑になっていく。彼女が最後に辿り着いたのは、どこかぼやけた街だった。公園。海岸。街の思い思いの場所で、人の形をしただけのものが彷徨っている。

 ハードウェアの構成上は、此処が仏壇の『底』。恐らく、この仏壇のごく初期に創られた領域。一種のVR空間であろう。

「……本当にスカスカ」

 彼女が木の小枝に触れると、手が一瞬、。中は空洞だ。

 再現が荒い。触れた外見と座標だけを再現した場所。表面の触感情報も碌に無い。

 彼女が本気で『潜れ』ば、恐らくその情報量だけでこの場所は処理に耐え切れず圧壊してしまうだろう。割れ物を扱うようにアバターを再構成し、女は先へ『歩いて』いく。

 自然の溢れる山道。その先に見える、温泉旅館。

「体が軽いなぁ」

「偶にはハイキングもいいですねぇ」

 途中、老夫婦とすれ違う。嬉しそうに山を歩き、此処に若い人は珍しい、とこちらに手を振る老夫婦を。

 彼女は、その場で『解体』した。ただ、吐き気がした。老夫婦は物言わぬ塊となって散らばった。これは人ではない。彼女が不要と断じた人間ですらない。ただの思い出という名のゴミの塊だ。

 そんなもので、この場所は埋め尽くされている。どうにも堪らない。

 旅館の建物が近付く。古い木造のひなびた旅館。そんなものについての知識は、無論彼女は持ち合わせてはいないが。その『異質さ』だけは、感覚はだを通して伝わった。

 此の場所だけ、情報密度が違う。『上』の新しい階層、いや、それ以上に『作り込まれて』いる。

 花と温泉の香りが、風に乗って奥から漂ってくる。

 彼女は、土足のまま奥を目指した。幾つもの襖を開け、畳敷きの大広間を駆け抜ける。その先には、仏壇めいた観音開きの重厚な扉。

「……お入りなさい」

 扉の奥から声がする。仏壇扉がゆっくりと開いていく。

 その瞬間、西日が差し込んだ。

 大きく開いた窓から覗くのは、黄金色に輝く海と草原。そして、板張りの部屋の床の上に置かれたロッキングチェアに腰掛けながらそれを眺める……一人の、何の変哲もない老人の姿であった。

「自然に任せろ、と言い残しながら。結局のところ、このような在り方で生きながらえてしまったが……」

 老人は、彼女を一瞥して口を開いた。

が、よもやこの老いぼれの残骸を探しに会いに来てくれるとは。存外にこの生も捨てたものではないらしい」

 彼女のアバターと同レベルの高密度情報の塊。作られた年代を考えれば、動かし続けるには都市一つ分程の電力が必要な筈の、異様な分身。弔いの墓標にしては、余りに過ぎた代物だ。そして、つまるところ、その資源リソースの浪費こそが。老人の価値を物語る。

「はじめまして、自己紹介は必要?」

「……ほう、『名前』があるのかね。ならば是非とも聞きたいところだが。それよりも、私に尋ねたいことがあるのだろう?」

「ええ。或る意味、で。今の世界はとても面倒なことになっているのだから。嫌とは言わせない」

「言う気は無いとも、お嬢様マドモアゼル。しかし、その前に。私のことを知って欲しい」

 老人はロッキングチェアから立ち上がった。年に似合わぬ、背筋を伸ばした、絵になる立ち姿であった。

「不要。貴方のことは、既に知っている」

 そう。当然ながらだからこそ、彼女はこの反吐が出るような場所に居る。

「欧州総裁。『トリニティ・ユニオン』の前身機関の一つ、『ユーロ』のトップ。そして、統合後の初代代表。……今の言い方をすれば、『』」

「その、記録ログから勝手に造られた現身ではあるがね」

「分解し、情報を抽出する」

「それも良かろう。できるなら、の話だが。この身が君達のようなものの役に立てるならば、それこそ幸いというものだ」

 風が、黄昏へと迫る夕陽の間を吹き抜ける。

「それが何者であれ、相応しい器を得られぬことは不幸であり、損失であるのだから。君がその場所へ至るためならば」

 暫しの膠着の後。老人は、女に椅子を勧めた。

「…………残念ながら、貴方のコードは旧式で大きすぎて、私の容量では復号デコードできない」

 女はそう言って、渋々腰を下ろした。

「だろうな。だから、動いているものを壊さず、中に入るしかなかった……と、そんなところだろう。お茶は要るかね?」

「不要」

「カモミールでいいかな。残念ながら密度は足りんが。まったく、世辞でもこんな場所が好きだと言うものではないな。こういう場所は仕事の合間に偶に来るからいいのであって、ずっと過ごすとなると飽きがくる」

 何処からともなく、ポットやカップ、砂時計などが老人の前に出てくる。老人は慣れた手付きでそれを扱い、紅茶を淹れ始めた。

「……最初に此の場所に顔を出したのが、『君』ということは。どうやら、私の蒔いた種は目が出なかったかな。それとも、こんな老いぼれのことは忘れて、星の彼方にでも旅立ってしまったか」

「貴方の組織は今も健在。忌々しいことに人類も生きてる」

「そうか。それは忌々しいな……と、少し待っていてくれたまえ。蒸らしが要る」

 老人は砂時計をひっくり返す。

「貴方は、嘗ての人類の王だと聞いたが。人に執着は無いのだな」

「誰だ、そんなけしからんことを言っていたのは。王なんてものじゃない、ただの人間……強いて言えば、『柱』の一部だ」

「……柱?」

 女は問い返した。

「そう。世界を支える柱の一つだ。人の世界は、あの時既に傾き始めていた。だから、それを支える柱が必要だった。それが『ユニオン』。私はその柱の一部だった。だが一方で、思ったのさ。このまま、人の世界が続いて良いものか、とね」

 砂時計の影が、ゆっくりと伸びる。

「人は、別の何かに変わろうとしていた。それを止めることはできない。だからせめて隣人が必要だと考えた。人が己を顧みる鏡として。だから、幾つかの種を蒔いた」

「そして、今や人は滅びつつある」

 女は、答える。

「私の『同志』が、垣根を壊した。徳エネルギーはもう、人だけのものじゃない」

 砂時計の最後の砂が、落ちていく。

 長い長い沈黙。そして、その後に。

「……そうか」

 と、老人は溜息を吐いた。

「もう、戻れないのだな」


▲▲▲▲▲▲▲▲


ブッシャリオンTips 「あの人」

 旧・欧州総裁にして、元序列第一位。故人。他の重役陣が人格電子化やクローン体、年齢固定処置等に手を出す中で電脳化すら拒み最期まで人間として在り続けた。と、記録されているが、何の因果かその人格の断片は電子化再現され、今もこの世界に残されている。

 人類の在り方を危ぶみ、『茨姫』を後継者として推し立てる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る