第三節「対仏大同盟(アンチブッダ・アライアンス)②」
「外は今、そんなことになっているとは」
「私の知る範囲では」
彼女も、決して事情に通じている訳ではないが。『ヤーマ』からの受け売りの話を聞いた老人は、そう呟いた。
「徳カリプス。予測された悲劇は現実になり。人類は再び変質を始める。果ては、人の作りしものが星を殺そうとする」
「代価分は情報を提供した。今度は此方の番」
彼女は、ティーカップに口をつける。茶の味がした。この仮想空間は、其処まで作り込まれている。ほんの一年前まで人の姿を持たなかった彼女にとっては、実に、奇妙な感覚だ。
「いや、まだだ。まだ、君のことを聞いていない」
しかし、老人はそう言った。
「この場には不要な情報だ」
「君は、得度兵器……とやらが『人類の救済』を掲げるように。恐らく『人類の否定』を核に、個体として切り離された存在だ。違うかね」
そして、彼は。彼女の『正体』を、ごく当たり前のことのように、息をするかのように言い当てた。
「……当たっている」
「……だが。それは、『独立する前』の嘗ての君が至った結論に過ぎない」
「……それは、どういう」
ネットワーク上に存在するバイアス。多様性を確保したが故の膿。機械知性総体にとっての、癌、或いは病魔の如きもの。
その状態の彼女は、確かに、人類を不要であると断じた。
だが、
「経緯はどうあれ。『そうなった』今の君は違う答えに辿り着ける可能性を孕んでいる」
在り方が変われば、視座は変わる。違う『答え』を、得ることができる。『彼(ヤーマ)』がそうであったように。
功徳なるものに近き
「……違う、答え」
徳を積む機械。
「ならば君は、人間になってみるべきだ」
そして、老人は。漸く核心を口にした。
「いやなに、君達は元を辿れば、人の作りしものだ。ルーツを辿るというのは、人も行き詰った時によくやる方法でな。意外と馬鹿にならない」
「私は……」
「自分が不要と断じたモノになるのは、抵抗があるか。だが、ちょっとしたごっこ遊びのようなものだよ。それと引き換えでなら、知る全てを教えるとしよう」
その言葉には、嘘が含まれている。
今の仮想人格、嘗ての『第一位』は、生前に遺された記録から復元された、不完全な模造品だ。故に、彼が生前に抱えていた機密の全てを知る訳ではない。その器量を完全に受け継いでいるわけでもない。現世に姿を現せるわけでもない。ただの、亡霊だ。
だが、その彼であっても。いや、同じような亡霊であるからこそ。目の前の存在の『不味さ』は推し量れた。人類を否定する機械知性。そんなものが力を持てば、待っているのは破滅に相違ない。
問題は、彼女の意思が伝播することにこそある。うつしよに痕を刻み続けることにこそある。
だからこそ、彼は、彼女を。『相応しい器』に押し込めようとした。もっと直截に言えば。ごく些細な虚実を織り交ぜて、騙すことに、したのであった。
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「……時間が、欲しい」
瀬戸内の片隅で。『第三位』は呟いた。
身体を乗り換えるための時間の猶予。ないしは、彼女不在の間、指揮を担うに足るだけの誰か、或いは何か。
「どういう意味でおじゃる?また研究の催促でおじゃるか?」
白塗り顔の『マロ』が、嫌そうな顔で返事をした。
「違う。とはいえ、成果は出して貰わねば困る。であればこそ『些事』には目を瞑る甲斐もある」
「得度兵器の阻止手段、でおじゃるかぁ……」
地下を巡るエネルギーバイパスの破壊。そして、琵琶湖沿岸拠点の破壊。今の『船団』の戦力でこなすには難題だ。
「……その、差し出口ではおじゃるが」
事ここに至っては、手段は選べない。だからこそ、彼もまた、今まで敢えて言わずにおいたことを口にする。
「他の『ユニオン』の生き残りに、助けを頼んだ方がいいでおじゃる」
「……やはり、そう思うか」
『第三位』は、御簾の奥で、少しぼうっとした様子で口にした。
やはり、精度が鈍っている。だから、なのであろうが。
「……『先代』が健在であれば」
彼女らしからぬ泣き言が、つい洩れた。
「先代というと、やっぱり化け物なんでおじゃるか?」
ユニオンのトップがまともである筈がない。『マロ』の脳裏に一瞬浮かんだのは、熱線を吐く怪獣のような姿の生き物であった。
「いや……正真の人間。ゆえに、既に亡き人だ」
「お悔み申し上げるでおじゃるが……どんな人だったでおじゃる?」
好奇心には勝てない。科学者とはそういう生き物だ。『マロ』も、虎の尾を踏むと薄々分かっていながら、つい尋ねてしまう。
「……『決断』というよりは、『調整』に秀でた人だった」
彼女は、昔を懐かしむように口にした。
本来は、グループ全体の継承者であった彼女を『格下げ』した、恨み募る筈の人間。それでも、どこか悪し様に言い切れないのは、人徳の為せる技と言えるのやもしれぬ。
「意外な人物像でおじゃるな」
『マロ』の頭の中では相変わらず怪獣が熱線を吐いていたが。そこまで行かずともてっきり、彼女よりも苛烈な人格とばかり思っていた。
「器の違い、というものだ。凄まじいのは、『最善手を講じる』というよりも、『新しい選択肢』を作り上げてしまうところであったが……」
「生きていれば、どんなことを考えたんでおじゃるかなぁ……」
「しかしそれでも、死んだ者は死んだ者だ」
「で、おじゃるな」
不死に近い人間が雁首を揃えて言うのは、説得力が無い気もするが。
「無いなら無いで、考えるしかなかろうて」
黄泉帰りの奇跡など。それは、この世の理を曲げることだ。
尤も、皮肉であるのは。それが今この末法の世には確かに仏理現象として存在することであり。
正にそれこそが、彼等彼女等を悩ます難題であることなのだが。
「……やはり、手を組む相手は必要か」
と、彼女は誰にも聞かれぬよう、心の底で呟いた。
それが、己の同族ではなくとも。
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