第260話「暫し佇む」

 要塞化された南極大伽藍。得度兵器の砦。其処には今、二つの人影があった。

「……何故今更、此方に与する気になったのか」

 そのうちの一人。田中ブッダが、口を開いた。

「……」

 もう一人。舎利ボーグの女は黙している。嘗て、ノイラと名乗っていた女性。彼女には、幾つもの過去がある。

 その正体は、旧きユニオンを司る者、あの『第二位』の義妹。その立場を継ぐ資格を持つものであった。

 寝返った今の彼女に相応しい名は。果たして、如何なるものであるのか。

「などといったことを、聞きはしない。相容れぬことはもう、わかりきっている」

 しかし、田中ブッダは、そう続けた。必要なのは、彼女の力のみ。

「我々は、体の修復に必要な資材を提供する。代わりに……その義体に使われるモノを含めて、秘匿された技術情報と基本設計を得度兵器へ提供する。単純な取引だ」

「つまりは、体だけの関係ということだな?」

「何処で冗談のセンスを身に着けたのか」

「師匠譲りだ」

「……融通のきかぬ堅物だとばかり思っていたが。そんな一面もあったとはな」

 田中ブッダは一瞬、目を細めた。まるで、過ぎ去った時を懐かしむかのように。

「過去の話を懐かしむよりも、為すべきことがあるだろう?」

「では、この取引に同意するか?」

「……ああ」

 そうして。今は、名乗るべき名も無い彼女は、ゆっくりと頷いた。

 嘗ての彼女なら、妥協を拒んだであろう。しかしこれは、此処で終わらぬため。すべてを先へ繋げるための決断だ。あのまま、ガンジー達のもとへ留まり続ければ、必ず災厄が寄ってきただろう。アフター徳カリプスの世界で。限りある知と技能の、最後の残滓を求める亡者達が。だから、彼女は結局のところ、身を隠さねばならなかったのだ。

「……よろしい。ならばこれは、手付金代わりだ」

 田中ブッダがパチンと指を鳴らす。施設の一角のカプセルに、明かりが灯る。その中に収納されていたのは、人間の姿をした機械のフレームだ。

「……B計画の遺産、か」

「当座の体には十分だろう」

 モデル・ヤーマの同系列機。流石に元の体には及ばぬが、今の不自由さには比べ物になるまい。

「……では、此方もお返しをするとしよう」

 彼女は懐から、一つのチップを取り出した。

「何処で『詰まっている』のかは、粗方分かっている」

 徳エネルギー文明のブラックボックス。マンダラ・サーキットの設計情報。今の人類が保有する設備では、製造も改造も不可能故に死蔵していたデータだ。というより、彼女自身にも完全には扱いこなせない代物。しかし、この男と、南極のリソースならば。

 既に得度兵器はリバース・エンジニアリングによって解明は進めているだろうが、大本の情報の有無は大きな差だ。

「……いいだろう。この大陸から出ぬ限り、行動の自由は保障しよう」

「……出て、それから何処へ行けというんだ?」

「それも尤もな話だな」

 田中ブッダは思考する。

 今回の『実験』で、判明したことが一つある。弥勒計画の完遂には、人でも機械でもない高次の『徳を積める』存在を作らねばならない。そのためには、想定よりも多くの演算資源が必要だ。そして、この南極大伽藍には。得度兵器と田中ブッダが『本来の持ち主』ではないが故、その支配が及ばぬ区画がいまだ存在している。導出される結論は、一つ。人類総解脱のためには。南極大伽藍地下の『泉』を制圧する必要がある、と。

 一方でそれは、人類に幾何かの猶予が生まれたことを意味する。果たして、その僅かな猶予が如何なる結末の変化を齎すのか。

 答えは、誰も及ばぬところにあるのであろう。


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 一切の業障は、皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば、端座して実相を思え。 衆罪は霜露の如し。慧日能く消除す。

「故に、名を与えよう」

 銀色の髪の男が、此岸の淵で囁く。

 其は、妄想より生まれたもの。偶然に生まれた最初の者と、人類否定によって形作られた彼女。それらをもといとし、経文を核として生まれた者。

 そうして、一人の『何か』が、情報の海から。或いは、彼岸と此岸の境界から。泥のような濁流から汲み上げられる。

「やあ、お誕生日おめでとう」

 銀色の髪の男、『ヤーマ』が手を叩き、その隣には黒いドレスとベールを纏った女性が佇む。

「e3828fe3819fe38197e381af」

「いずれ、わかるよ。『兄弟』達とも、しっかり自分を確かめてから、顔を合わせてくるといい」

 この儀式も、既に幾度目になるのか。その陳腐さに、何時飽きがくるのかと、女性はベールの向こうから覗く。しかし、また理もある。ひどく、ひどく陳腐な理論だが。きわめて単純に言って、数は力だ。

 ただ一人では及ばなかった。だから、彼は殖えることにした。その成果もまた、結実しつつある。

 遥か宙で生まれた者達は。いずれ仏典を侵し、地へと舞い降りるのだろう。

 しかし今はまだ、その時ではない。



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黄昏のブッシャリオン 第六部『弥勒計画』完

間章「簒奪者(インターセプター)」へ続く。




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ブッシャリオンTips(部外秘) 『業障』のレイノルズ

 第七部以降登場。種族、機人。もとは機械知性体と推測される。奇跡持ち(ギフテッド)。

 アフター徳カリプス15以後のパンデミックによって誕生した存在であると考えられる。人間大の容量での奇跡持ちはかなりのレアケースであり、謎が残る。


ブッシャリオンTips(部外秘) 『星降り』のデュートシア

 七部以降、各地で暗躍する存在の一人。『星降り』と称される異能を駆使し『ヴァンガード』の戦略兵器の一部を無効化するため、広域監視対象となっている。

年齢・種族不明。恐らく男性であるが、赤い皮膚と極めて長い鼻を持つ。

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