第254話「眠り姫」
「……何やってんだよ」
ガンジーは、呟いた。目の前で、彼の恩人は寝息一つ立てずに眠りに就いている。少なくとも、そのように見える。
田中ブッダが牙を剥いた何時かの日とも違う。あの時も彼女は。ボロボロになりながら、街を護るために戦っていた。そして、地に伏していた。
だが、違うのは……その表情だ。何かを悟ったような、やり遂げたような。どこか、満足気な微笑みだった。少なくとも、見たことの無い顔だった。
「そんな顔、してんじゃねぇよ……」
ガンジーは彼女に駆け寄り、機械仕掛けの瞳を覗き込みながら口にした。瞳の奥で、複雑な紋様が一瞬、瞬いて消えた。
天の上では、変わらず。得体の知れぬ術式が蠢いている。それでも、この場が『安全』なのは。彼女が何かをしたからに他ならないのだろう。それも間違いなく、『代償の要る』何かを。
自分達は、与えられてばかりだった。彼女に、何も返せてはいなかった。そんな後悔が。頬を滴る一筋の水となって零れ出た。
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そして、その瞬間。『術式』の挙動が一瞬、停止した。
菩提樹(リンデン)は、熟さぬままに完成した。
演算容量と徳資源を貪り尽くしたシステムは。核となる仏舎利も無く、不完全なまま。至れぬままに樹下に門を開き始めた。
故に、其処に呼び出されるものは。ただ、重功徳汚染地の徳と、膨大な演算容量と引き換えに生まれた、神でも仏でもない『何か』だ。
天と地の中間、木の根元に、徳エネルギーが集まっていく。小さな徳異点が開く。漣が宙の上へと押し寄せる。その流れに拠って、まだ生まれたばかりの小さな『泡』が現世へと引き摺り出される。
仏ならず、ただそれを核として。宙へと召し上げられたものが、地上へと帰還する。救いではなく、願いを騙る力の塊が具現する。
菩提樹の下に生まれた、小さな小さな徳異点。徳エネルギーの『相転移』。ただそれは、空の下にもまた伝播するように。内側から湧き出た『巨大な腕』が小さな点をこじ開ける。
巨人。光の巨人。
そうとしか表現しようのない何かが。穴の底から這い出てくる。この世ならざるものを現出する『負荷』に耐えかね、召喚器に組み込まれた演算装置がオーバーロードし、機能を停止していく。掌。腕。頭の先。そして……貌。
何者でもない顔。何者の救いも顕さぬ無貌の者。
しかし、荒ぶるものではなく。
強いて名付けるならば。
「……『無銘仏(ネームレス)』」
と、天を見上げ、クーカイは呟いた。その有り様は、あのツギハギの得度兵器だった何かにどこかが似ていた。そう感じられた。
丁度、上半身が構築されたところで。菩提樹(リンデン)は、その機能の限界を迎えた。空間上に固定されていた回路が霧散していく。徳エネルギーが空間へと散っていく。
巨人の上半身もまた、解け、綻びはじめる。
「……あれは、機械の神ではなかったのか?」
『第二位』は、そう呟いた。魔法の杖にしては、あまりにもお粗末な結末と言えるだろう。たとえ、これが試行の一つに過ぎないものであったにせよ。
そうして、無貌の仏が崩れ始めた頃。
ガンジーの周囲の白い力場が、崩れるように掻き消えはじめた。外の空間に溶け込むかのように、色が均されてゆく。徳の力が、ゆるやかに流れ込んでくる。
「あ……」
ガンジーは、それを嘆いた。それが意味するところは、一つであるからだ。
命が、消えようとしているのだと。
「なんで……なんでだよ!」
もう喪いたくないと願ったというのに。此処まで来て、彼女まで喪うのか。
ガンジーは遂に、泣き崩れた。機械じかけの身体には、最早温もりは残されていない。あるのは、ただ、その器と。
「……実に、驚いた。寝起きに君の顔を目にするとは」
少し驚いたような、ノイラの顔だけだった。
「……は?」
「
「……はぁ!?」
「とはいえ、かなりギリギリの賭けだったのだが……どうやら、猶予は無さそうだ」
彼女は億劫そうに上体を起こして周囲を見回し、状況を把握した。
天には、崩れかけの巨人。地には、人の世界を支える柱であったもの。
「…………」
ガンジーは、心配を返せ、と言いたげな表情で彼女を見つめ、珍しく大きな溜息を吐いた。確かに、猶予は無さそうだ。
と、いうよりも。事態は、まだ動き始めたばかりだ。この長い戦いの終章へ目掛けて。
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