第200話「因果」

 肆壱空海は、ゆっくりと身を起こし。依然として、雪山の斜面に居る己を自覚した。辺りにはもう、誰も居ない。あの巨大な得度兵器のシルエットすらも、見当たらぬ。

 だが、吹雪は止み。空には薄雲が掛かっている。

「皆はどうなった……?」

 奪われた体温の分、重くなった身体を引き摺って彼は進む。

 雲の合間から日差しが差し込んでいる。雪が止んだおかげで、まだ仲間達の足跡を辿れたのは不幸中の幸いであった。

 二人分の草鞋の跡は、途中で一人になっていた。そして、その道の傍らに。

 消し炭のようになった参壱空海が転がっていた。

「……何か、言い遺すことはあるか?」

 もう、助かるまい。二人とも、それは判っていた。だから、彼はそう問うた。

 功徳の枯渇。徳を力と変える者に付き纏う呪い。参壱空海は、己が積んだ力を使い果たした。だから、居なくなる。それだけの、ことだ。

「ああ……そうだな。大僧正様に、弐陸空海について聞くといい。彼は……きっと、何かを知っている」

 彼は、そう口にした。己のことではなく、遺された者達のことを。彼もまた、高僧の名を頂くに相応しいものだったのだと。肆壱空海は思った。

「おまえ自身のことは無いのか?」

「……無いよ。僕の願いは叶ったし、叶わなかったから」

 参壱空海は、どこか満足げだった。それが救いだった。

「思い残したことは無いのか?」

「……無い」

 言葉とは、裏腹に。まだ幼い顔の、目許の小さな動きが。それが嘘であることを雄弁に物語っていた。

 心の動きを読む力など無くとも、わかることだ。

「本当にそうか?」

「…………」

 沈黙の後に。参壱空海は、口を開いた。涙が一筋、零れて落ちた。

「……もし、君が。何時か、天上の彼女に出会うことがあったなら」

 彼が口にしたのは、未練だった。

 己ですら諦めてしまった、叶う筈の無い願いだった。それを他人に託すなど。それは、呪いにも等しい行いだった。

「彼女を見ていた僕が居たことを。伝えて欲しい」

「……わかった」

「もう、放っておいてくれないか」

 参壱空海の表情が、微かに綻んだ。それと同時に、体が解けてゆく。水のように散らばりながら。綿毛のように吹かれながら。それでも彼は、仰向けで空を見上げ続けていた。

「今日は、こんなにも……星が、綺麗」

 そして、そう言いかけて、事切れた。

 肆壱空海は、一人の空海を見送ると空を見上げた。奥羽岩窟寺院都市の上に広がるのは、雪雲の覆う曇天と、その狭間から除く陽の光だけだ。星空など、見えはしない。

「いや……」

 もしかすると、彼には見えていたのやもしれぬ。雲の果てにある星空か。或いは、別の何かであるのか。

 最早、彼に知ることは叶わない。恐らくは、永遠に。

「……これで、三人か」

 奥羽岩窟寺院都市に遺されたモデル・クーカイは。もう、たったのそれだけになってしまった。否、その数字ですら、希望を込めたものだ。残りの二人が、どのような結末を迎えたか。確かめるには、進まねばならない。

 雪の道を歩んだ先には、干乾びかけの花畑が広がっていた。

 そして、その中心には。根が絡まった得度兵器が横倒しになっていた。植物に絡め取られたアンコールワットめいた有様に、肆壱空海は息を呑み。そして、まだ生を留めている、今にも散りそうな一輪の花の前で静かに手を合わせた。

 その花が、参伍空海の果てだった。

 彼は、先へと歩みを進める。足取りは重かった。ことによると、この先には。目を瞑りたくなるような結末が待っているのかもしれなかった。

 しかし、彼は歩み続けた。花を踏み散らし。仲間と、そして得度兵器の骸を越えて。

 目指す先には、得度兵器タイプ・ギョウキの中枢。穿たれた穴。木の根によって洞のように押し広げられていた。木の揺り籠のような場所の中には。二人のモデル・クーカイが、折り重なるようにして眠っていた。その徳の有り様を、彼の感覚は捉えた。

「起きてくれ、二人とも!」

 肆壱空海は、袈裟が破れるのも構わず、穴の傍へと駆け寄り、叫んだ。その顔には、安堵の笑みが戻っていた。

「……もうたべられない……」

「起きろ!弐陸空海!」

「わぁあっ!私寝てない、寝てないからね!?」

「……起きたか……参参空海も起こしてやってくれ」

 いつもと変わらぬ有様の弐陸空海に安堵し、そして少し呆れ果てながら。彼はそう言った。

「さんちゃん!朝だよ、さんちゃん!どうしよう起きない!」

「抱えて登ってこれるか?」

「たぶん……」

 未だ眠る参参空海の手は、固く握られている。その中から、微かな光が漏れている。弐陸空海は彼を担ぎ上げ、枯れかけの木の根をどうにかよじ登る。

「……暴走した後のことは、覚えているか?」

 肆壱空海は、巨仏の上で休む弐陸空海に聞いた。

「……よく判らないけど、何処かで、泣いてたような」

「いつものことだろう」

「酷い!」

「その髪は?」

「え?あれ?」

 弐陸空海の、二股の尾の如く伸ばした髪は。いつの間にか短くなっていた。

「どうせ、何処かに引っかけて切れたんだろう。後は、参参空海に聞くしかないが……」

 呼吸はしている。心臓も動いている。身体が崩壊する兆しも無い。だが、意識が戻らない。

「徳が足りない……とか?」

「このままでは、厄介だが……」

 肆壱空海は、辺りを見回した。

「どうしたの?」

 彼は、参参空海とは比べるまでもないが、ある程度の徳エネルギー感覚を持っている。だからこそ、前線で空海達を指揮してこれた。

 その然程強くない力にも捉えられる程に。強力な徳エネルギー源が、彼方で渦巻きはじめた。人の文明が滅んだこの黄昏の世界で、それほどまでに膨大な徳エネルギーを放つものなど、決まりきっていた。

「……得度兵器の増援に違いない」

 仏舎利、そしてその搭載を前提とした得度兵器。それらの戦略的価値は、幾度かとの人類との接触の結果、『得度兵器同士の戦闘』を想定するようになった得度兵器にとって、今や決して無視できぬ優位であった。

 そして。未知戦力たるモデル・クーカイが消耗した好機を。得度兵器かれらが見逃す筈が無かった。

「……まだ、戦える」

 敵の数も、詳細な位置も。参参空海が居なければわからない。真っ当に戦力となるモデル・クーカイも、最早存在しない。

 それでも、諦めることだけは出来はしない。積み重ねたもののために。彼等の後に続く者のために。




 しかし、その日。奥羽岩窟寺院都市が、得度兵器の増援に襲われることは無かった。

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