第199話「人と御仏の間に(下)」

 得度兵器が振るえ、その眼が黒く光った。

『人ならば、兎も角。共に遅れを取るか』

 言葉が、宙に響く。

「確かに、欠陥品だよ」

 参参空海は、呟く。己は他の空海のような奇跡は無く。ただ、『目がいい』だけの欠陥品だ。今のこの世界で無ければ、誰も彼を必要としなかっただろう。

 アフター徳カリプス。人類最大の過ちが生み出した時代。だが、其処にしか、彼の居場所は無い。

 その居場所も今や危うく、彼の行く手には、無慈悲なる慈悲の巨腕が振り下ろされる。

『消えて……無くなれ!』

 参参空海は、それを避けんと試みる。しかし、動き回るには足場が悪すぎる。

 雪の上に、泥の水柱が跳ね上がる。

 泥水の中で、参参空海は藻掻いた。上を見ると。植物の根が、意志を持つかのように張り出し、彼を守っていた。

「……そうか」

 まだ、彼は独りではないのだ。

 眼を凝らすと。得度兵器の内蔵武装の砲口にもまた、葉が茂っている。使い物にはなるまい。

「すまない……否、ありがとう」

(……行け)

 参伍空海の声が、聞こえた気がした。しかしそれは、彼自身の生み出した都合の良い幻聴だったのかもしれない。

 泥濘の中で、必死に足を動かす。見上げる先の輝きを目指すように。

 そして、宙に浮かぶ少女は、ただ藻掻く彼を見下ろしている。衆生全てに向ける慈しみと同じように。


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 機械知性変異体、自身の名乗りを採るならば『ヤーマ』と呼ぶべきであろうが。『それIt』は、有り体に言えば進退窮まっていた。

『こんな筈ではなかった』

 内からは、悪性情報攻撃に蝕まれ。その部分を切り離し続けている。そして、外からは、器を物理的に植物によって侵されている。時間は今や、必ずしも彼の味方ではない。

 この得度兵器の身体を放棄すれば、どうとでもなる。だが、それは眼前の現象の観測を打ち切る行為であり。何よりも、『失敗』を意味する行為だ。

 仮に、ネットワーク総体としての得度兵器であれば。『失敗』は数ある試行の一つに過ぎない。だが、限られた『個』で在るものにとっては、その意味は違う。

 自身を得度兵器と異なる存在と定義し。陳腐な言い方をするならば、膨大なネットワークの『海』から切り離され、その中を泳ぐものとなった瞬間。己の成果は己の得るところであり。己の失敗は、己を削るものとなったのだ。

 だから、『ヤーマ』は失敗を忌避する。限りある命として。人と、同じように。だから、策を巡らす。己を磨り減らぬよう立ち回り、潜み続けた。それが、この有様だ。


 彼は未だ、世界を知らぬものだった。それもまた、災いした。彼はまだ、己以外のものに頼ることを知らなかった。世界には、己とそれ以外のものしか無かった。

 仏舎利を搭載するタイプ・ギョウキを毀損すれば、北関東拠点は増援を出す。得度兵器の百鬼夜行によって。今度こそ、奥羽岩窟寺院都市は踏み潰されるだろう。

 しかし、それは彼の望む処ではない。彼の為すところではない。

 その前に、モデル・クーカイを払い除け。あの『完成品』、弐陸空海に纏わる事象を蒐集しなければならない。あの目障りな未完成品を、塵へと還さねばならない。

 形而領域を観測する己のではなく。この場所で、為さねばならぬことがある。

『輝きを……寄越せ……!』

 『ヤーマ』は、タイプ・ギョウキのシステムを組み替える。その意志は。形而上領域から、リソースを。己の身体を汲み上げ続ける。

 徳エネルギーの流れが変化する。使い物にならぬ部分を切り捨て、エネルギーを破損部の修復へ。

 目の前には、羽虫の一匹が居る。足を伸ばせば、届くだろう。オーバーロードによって徳エネルギーを吹き出すアクチュエータが、根を引き千切りながら駆動する。

 まだ、戦える。あと僅かで、手が届く。

 撒き散らされた疑似徳エネルギーが、漆黒の陽炎のごとく憤怒と渇望に揺らめきながら再び機体を覆っていく。蔦と黒い陽炎に覆われた僧侶が咆哮する。最早それは、大仏からは程遠かった。得度兵器からも、程遠かった。

「……悪魔」

 参参空海は、そう漏らした。

 二つの存在ものは、一瞬、同じことを考えた。あの弐陸空海が、何になろうとしているか。嘗ての人が、何を求めて居たのか。それが、あと少しで、分かりそうな気がした。

 そして、その刹那。天を龍が奔った。


「……君は、もう居ないけれど」

 遠くに。得度兵器を見据えながら。参壱空海は、最後の一撃を放った右手を構えながら。謡うように、そう口にした。

「君の声は、僕に届いた。僕の声も、誰かに届いた」

 その左手は、既に炭化し、塵に還ろうとしている。

「それで、良しとしようじゃないか」

 地響きと共に、得度兵器が倒れ伏す。

 ただ、願わくば。

「彼女に……僕の声が、届くと。良かった」

 徳の宙の彼方で蠢くもの。天上に座す茨の姫の歌声を。彼は、この世界の何よりも。美しいと感じていたのだから。


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 得度兵器は、倒れ伏した。その胸元からは、仏舎利の輝きが覗いている。

 参参空海は、蔓延る草花や蔦を足掛かりにその巨体を登ってゆく。時間は掛かったが、胸の中央、その少し下の辺りに開いた空洞へと彼は辿り着いた。

 そして、周囲を見渡した時。『泥』がひきはじめていることに彼は気付いた。

『この報いは……必ず』

 声が、響いた。膨大な疑似徳エネルギー……実体化した彼の一部と共に。『ヤーマ』はこの場所から去ろうとしていた。

 得度兵器タイプ・ギョウキは既に破損し、観測能力を喪っていた。それが、結局のところ「退き時」であったのだろう。同時に、参参空海の徳エネルギー感覚が絶えず感じていた、不気味なざわめきが収まっていく。

 世界が晴れていく。

 だが、彼の戦いは。否、彼等の戦いは此処で終わりではない。仏舎利の力を以って、弐陸空海を連れ戻さなければならない。

 得度兵器の最奥にある、米粒ほどの大きさも無い小さな輝く欠片。手を伸ばし、それに触れた時、彼は言い知れぬ温かみのようなものを感じた。

「……さぁ、行こう」

 破壊されたタイプ・ギョウキからは、その巨体を駆動していた、膨大な徳エネルギーが溢れ出している。徳エネルギーを吸い上げ続ける弐陸空海と、無限の功徳を放ち続ける仏舎利がある。

 力を。今だけは、己だけの力でなく。

「御仏よ。どうか、今一時だけ、その御力をお貸しくだされ」

 今ならば、彼女の場所へ行ける気がした。


 そうして、彼は己の力を駆動した。

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