第179話「御前」

「……とまぁ、こんなところでおじゃるな」

「そうか」

 彼は、船団の玉座の前で報告を終えた。物憂げな声が、御簾の中から漏れる。『マロ』が判じられる時点で、それは明確な異常だった。

「何か、悩みがあるでおじゃるか?」

「問いを返すが。これが、悩まずに居られようとでも?」

「失言でおじゃった」

「そちは、が在ったようだが」

「……少し、懐かしいものに出会ったでおじゃるからのぅ」

 とはいえ、弱みを見せたとて、付け込もうとすればこのように即返り討ちに遭う。『マロ』は内心冷や汗を垂らしながら、御簾の奥の『第三位』……エミリアの言葉を受け流した。

「失われた筈の京の街、か」

 詠うように、彼女は呟く。まるで、御伽の世界のような話だ。徳カリプスによって消滅したものが、この現世に現れるなどと。

「徳エネルギーフィールド、と麿達が呼んでいたものは、どうも前段階のようでおじゃった」

「九界即ち仏界、といったところか」

「東洋思想にも通じているとは意外でおじゃる」

 浄土と衆生の生きるこの世界が、相即不離ひとつのものであるという思想は古来の仏典の中にも見ることが出来る。全ては、心の在り様ひとつで変わるものなのだと。そう伝えてきた宗派もある。今彼女が引いたものも、その一部だ。

 だが、それを物理的、機械的に行おうとすることなど。信仰への冒涜もここに極まれり、といったところか。

 否。もしかすると、それは大昔から始まっていたのかもしれない、とエミリアは考える。

 人の心に踏み入る技術と、人の心を形にする力。その二つが揃ってしまった時から。世界は静かに変わりはじめていたのかもしれない。静かに膨らみ続けた変貌が、今、堰を越えて溢れ出した、というだけのことなのかもしれない。

「ならば、今更何が変わったというのだ」

 御簾の奥から、言葉が漏れた。それは、あの伝言への答え。人か生み出した、神ならぬ超越者の宣託。

「今何と?」

 あまりに脈絡の無い言葉に、思わず『マロ』は尋ね返す。

「いや……もうよい。進展があり次第、最優先で報告せよ。琵琶湖の得度兵器の状態が分からぬ以上、猶予はもう余り残されてはいまい」

「わ、わかったでおじゃる……」

 それは、明らかな疲労の兆しであると。彼はそう取った。事実として、先の作戦行動は多くの無理を内包していた。実働部隊に大きな欠けを作り、貴重な非マニ化核ミサイルと航空機を喪った。

 引き換えに沿岸部の得度兵器拠点を多く損壊させ、タイプ・シャカニョライの奪取と破壊によって瀬戸内の得度兵器の指揮能力をダウンさせたが、それらは概ねに類する戦果だ。しかも、迂闊に時間を稼いでしまえば、あの馬鹿げた巨大得度兵器が再起動しかねない。

「戦いの定石通りなら、ここで畳み掛けたいところでおじゃるが……」

 自室への帰りの道すがら、『マロ』は呟く。同じことを第三位が考えていない筈がない。彼の知らぬところで何か進んでいるのか、はたまた今度こそ手札切れか。何れにせよ、この薄氷の上の平穏を彼が如何に生かすかは、決まりきった答えしか無い。

「出来ることは、徳エネルギーの理論モデルの構築と、その検証……でおじゃるな」

 結局のところ、それが彼の持ちうる最大の鉾。徳エネルギーの力は、相手の最大の武器であると同時に、此方の力でもあるのだから。

 あの巨大得度兵器が、琵琶湖に建造されたということは。『まだ』、恐らく得度兵器は聖域には届いていない。生の苦しみを己のものとし、この世界で救いを求め、そして……彼方に向けて徳を積み続ける。生きとし生けるものだけに許された聖域には、『まだ』。

 だが、それは……やはり、結局のところなのだろう。その確信にも似た何かを、徳エネルギーについての研究を再び進めるにつけ、彼は密かに強めていた。



 しかし、それが彼方の地で。既に現実のものとなったことを。彼等はまだ、知らない。


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 南極大伽藍の地上には、初期に強制出家させられた人間達の住まう『都市』がある。彼等の一部は徳ジェネレータ内で生命維持装置に接続され、精神を電脳空間と繋いだまま最高効率で徳エネルギーを生み出すマシーンと成り果てている。

 無限の瞑想空間の中で、無限の精神枯山水を積み上げ続ける存在と化した人間達。顔の半分が仏像に置換された男は、その退廃的光景を一瞥しながら施設大深度部へと続くリフトへと乗り込む。そのリフトの動力もまた、囚われた人間達の生み出す徳エネルギーによって賄われている。

「……徳エネルギーとは、何だったのか」

 人が徳を生む機械と化し、それを機械が食い荒らす有様は。既に人間に見切りを付けた田中ブッダを以ってすら、一抹の空しさを感じうるものだ。

 それ以前に。徳エネルギーと人間の作用の間には、未だ謎の部分が存在する。そのブラックボックスの上に徳エネルギー文明は成り立っていた。

「それを分からぬから、滅んだ。分からぬまま、滅んでしまった。」

 それほどまでに、嘗ての人類は愚かだった。いや、今も愚かであり続けている。何処からが功徳で、何処からが背徳なのか。何処からが人間で、何処からが人間ではないのか。

 そのミッシングリンクは、まだ完全には埋まっていない。人間をベースに機能拡張された存在ならば、理論上は徳エネルギーを生み出し続けられる。田中ブッダの今の肉体が、己の積んだ功徳によって稼動しているように。

 だが、例えば『第二位』のように人格を電子化してしまえば。それを混ぜ合わせてしまえば。人は果たして、何処まで背徳的になっても徳を積めるのか。それは当然の疑問だ。だから、それを検証するのもまた、当然の成り行きだった。

 だから、当然の責務として。最早この地上に数名しか居ない、徳エネルギーの謎を問う者の残党として。彼は、それを問い続けている。

 その実験のための材料は。この施設に最初から残されていた。恒星間移民計画には、幾つもの計画が並行して存在していた。宇宙船内に自己完結する居住区を設置し、徳ジェネレータを用いてそれを運用する多世代宇宙船を建造するC計画も、その一つだ。

 そして、これはB計画の産物。生身の人間よりも遥かに省エネルギーな電子化人格と、義体の組み合わせ。計画自体が廃案となっても、その『体』は残されていた。それが、モデル・ヤーマ。最初の人間の名を冠した、偽物の体の試作品。それを一種のインターフェイスとして活用する。或いは、純粋な機械知性を組み込み、起動させる。それが大雑把な実験の中身だ。

 だが、上手くは行かなかった。人間と機械知性とでは、そもそも『在り方』が違う。外見上は同じ能力を獲得していたとしても、その原理ロジックが異なる。知性という名の巨大なベン図を描くとすれば、両者が交わっているのはごく一部に過ぎない。

 必然、人間のために作られた器に『それIt』を流し込むというのは、似て非なることなのだ。 「人の形をした体を動かす」ために最適化した知能を構築すれば、機械達にもそれを動かすことは出来るだろう。だが、それでは意味が無い。自由に思考した結果として、「人の形が適切である」としなければ意味は無い。

 機械が人の在り方に同意するというのは、言わば、機械による人類の肯定だ。同時に、田中ブッダの理想の否定にも繋がる。故に。機械が人のために作られた身体を、己のものとして受け入れることなど、本来有り得ぬことだ。



 だから。

「……どういう、ことだ」

 空のポッドを見た時。彼は珍しく、ほんの一瞬、その思考を止めた。

 それは彼の目の前で、否、留守の間に。起こる筈のない『奇跡』が起こったことを意味していたのだから。

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