第178話「遠巻きの再会」
少し前の出来事。買い物を終えたマサコとヤオは、互いに手を引き、引かれるようにしながら、港へ向かっていた。
その理由は、港へ得度兵器と戦った部隊が凱旋する、と聞きつけたからだ。マサコ達のような徳ジェネレータ要員は、その任務の性質上『船団』の軍事行動にもある程度精通している。
彼女達は、状況次第では戦地に赴くこともある。換装式徳ジェネレータ炉心、通称ボンズ・カートリッジの狭い閉鎖空間の中が彼女達の戦場だ。その中で僧侶達は徳を積み、そして時に死んでいく。
戦いがあることは知っていようとも、それが如何なるものであるのか。戦場の中にいようと外に居ようと、彼女に知る術は無い。だからそれは、マサコにとっても貴重な、戦いに外から接することのできる機会だった。
「出会ったばかりの私に、言う資格は無いかもしれないけれど。きっと、貴方の探している人も、こんなことは望んでいないと思うから」
マサコ達は、戦いに協力はしているが、必ずしも賛成している訳ではない。武力以外の解決が可能ならば、それに越したことは無い。このような宗教教義的な理想と現実との矛盾、或いはある種の妥協や折衷は、歴史的に然程珍しいことではない。寧ろ、信仰上の純粋性と社会原理が半ば直結していた徳エネルギー時代の方が、稀有な時代と呼べるだろう。
だが、今この時代、この場所に生きる人々の多くは、まさにその徳エネルギーの時代の生まれだ。だからこそ、船団は多様な時代のシステムを内包した歪なパッチワークとして存在している。人類を人類のまま活かし続ける、そのために。
「……なんて、大きい」
忠告に応える代わりに、ヤオは驚きを漏らす。工作船「ショウジュマルⅧ世」の巨大な船体が、目の前に滑り込むように近付いて来る。
港に現れた船のシルエットに、少女は驚きを隠せなかった。『マロ』の邸宅で映像上の艦隊を見ていた時は、巨大さの実感は無かった。密航の時に使った船は、輸送船とはいえ小規模な内航船だった。
「おかしいの」
マサコは、はしゃぐ彼女の雰囲気を感じ取ったのか、くすりと笑う。
「此処も、船の上なのに」
「わかってるけど」
そういうことではないのだ。
入港した工作船の上には、秘匿用にシートを被せられたUFOの残骸……即ち船団の、と言うよりも旧トリニティ・ユニオン首脳部直属の特殊部隊が用いる航空機の残骸と、その乗組員らしき制服姿の男達が見える。遠すぎてヤオ達の場所から表情は見えないが、見物人に気付くとそちらの方へ手を振る者も居た。
そして、その中に。見慣れた狩衣姿の男の姿が混ざっていることを。少女は決して見逃さなかった。
「……マロさん!」
「えっ、あの」
「ごめん、ちょっと行ってくる!」
そう言い残すと、ヤオは服を半ば脱ぎ捨て、荷物を置き捨てて海へと身を投げた。
「誰か転落したぞ!」
「浮き輪!何処だ!」
見物人達が騒ぐ中を、少女は悠々と遥かに下の海面を泳いでいた。だが、巨大な船の上からそれに気付くことは叶わない。見物人達の騒ぎにつられて、船や港湾の人間が海面を確認し始めるまでに数分。そこから、貴族姿の男が重い腰を上げるまでには、更に時間を要した。
接岸間際で減速しているとはいえ、船と岸壁の間には、不規則な水の衝突による渦が生まれている。その中を、少女は構わず泳ぐ。
普段と違い、濡れた服が身体に纏わりつくが、それすら意に介さない。ただ、長い旅の果てに再び彼に巡り会えるという期待が体を動かしていた。
「『マロ』さーん!」
少女は、海の上に顔を出しながら叫ぶ。見物人達とはフェンスで隔離された接岸ポイントの近くには、既に異変を察したセキュリティ社員達が集まり始めている。だが、船の接岸を待つべきか否か、彼等も判断しあぐねていた。
少女は、声のあらん限りを張り上げ叫ぶ。それが聞こえていようと、いまいと、関わりなく。
『マロ』は、最初はその声が幻聴の類だろうと思った。既に彼は、京都の地で『あるはずのないもの』を見過ぎていた。己の精神が多少の失調をきたしていても不思議はないと、その冷静な頭脳で割り切っていた。
だが、微かに風に乗って聞こえるその声は。幻にしてはあまりにも、朧気に過ぎた。
『マロ』は毛布を被ったまま、海へ向かって駆け出した。時折微かに耳に届く声は、何処から聞こえるのかわからない。だからただ、海の方へ向かった。
「人が溺れてるぞ!」
「誰か、あの子を!」
後は、見物人達を見て。人の注意が集中している場所を見さえすればよかった。そこに、彼女は居た。
「……いや、泳いでるでおじゃる」
徳島に居るとばかり思っていた、彼女が。何故、こんな場所に。
「あの娘を、船の上に上げてやってはくれぬでおじゃるか」
思わず『マロ』は手近に居たニシムラに尋ねる。
「知り合いか?」
だが、そう問い返され、彼は答えに窮した。今の彼の身の上を思えば、それは当然のことだった。あの『第三位』は、この材料を決して見逃しはしないだろう。陰謀の渦中に彼女を巻き添えにすることは避けねばならない。
そんな思い込みが、僅かに判断を鈍らせた。もう彼女は、十分すぎる程に危険を冒しているというのに。躊躇いがあったのだ。
「心配せずとも、港の人間が救助に向かっている」
ニシムラは、慰めるように応える。眼下の少女は、船が停まるのを待ち構えていた港のセキュリティ社員達によって、ジェットスキーのような乗り物で半ば無理矢理回収されていた。
「…………麿は」
一瞬の遅れが、些細なボタンの掛け違いが、永遠の別れに繋がる。そんなことは、『よくある』ことだ。とりわけ、彼のような不死者の人生に於いては。だから、
「麿は、ここに居るでおじゃるーーーー!」
るーるーるーるー……
彼は、叫び返した。少女の努力に報いるように。己にこれ以上の後悔を残さぬように。その声は、海に微かに反響して消えた。
「……何となく、事情は察するが」
指で耳を塞いでいたニシムラが、呟く。
「上には、黙っているとしよう」
「が…かんじゃずるでおじゃる」
『マロ』には、声を張り上げすぎておかしくなった喉でそう応えるのが精一杯だった。
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ブッシャリオンTips 軍港
『船団』には何箇所もの港湾が設置されているが、その中でも『本船』の管轄化にある港は、秘匿物資の輸送等に用いられる、言わば船団の裏口とも言える要所である。一般人が出入りする区画とはフェンスで隔離され、セキュリティ社員が配置された警備体制は『本船』を除けば他と一線を画するものだが、完全に隔てられているわけではない。
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