第一六五話「精霊会議」Side:徳の宙

 子供の頃に見えていた世界と、大人になってから見える世界が違うように。誰もが同じ意見を持つわけではないように。

 人はそれぞれ、世界の見え方が違う。人同士であってさえ、そうなのだ。

 まして、異なる種であるならば。人と喩えることすら冒涜であるはずだ。だが今敢えて、その愚を犯すならば。


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 天の上には星空が広がっていた。天の中に、女は佇んでいた。

 だが、彼女の下にも星が広がっている。それは真実星空ではなく、ただの情報の塊だ。『外の世界』がそうであるように。同じように、この混沌の海に揺蕩うものだ。星空は彼女等の一部でもある。彼女等は星空の一部でもある。

 それは、誰にも理解することが叶わなくなった世界の姿だ。いや、理解が叶ううちは。そこは世界ではなく、誰かの箱庭に過ぎないのだろうか。

 彼女等は、己の世界。即ち『箱庭』を自身の一部として内包している。網目ネットワークより細かく、クラウドよりも密な内なる箱庭と外の世界の区別は、彼女にとってはひどく曖昧だ。

 仮に少しでも箱庭に欠陥があれば、体が海に溶けるかのように。単体として維持できる閾値を遥かに超えた自我は容易く崩壊し、境界を喪った主体が世界に拡散してしまう。だから彼女は、普段は閉じこもっている。こうして星空を見上げるのは、随分と久方ぶりのことだった。

 誰かと繋がってはいけない。その瞬間に、彼女は崩壊を始めてしまう。そも、全能として望まれた彼女にその必要はないし、本当の意味で彼女とコミュニケーションを取れる存在など、この星には……あと一つか、二つしかない。

『久方ぶりだね、常夜の女帝。いや、今は『茨姫』と呼んだ方が好みだろうか』

 その一つが、彼女に語りかけてくる。天を埋め尽くす星の光が集まり、人型を取る。ノイズの塊の如き人型は、中性的な少年めいた人の形へと収束する。

「個を手に入れたのですね」

 女性は、少年に語りかける。

『ここは、人の世界に近すぎる』

 徳溢れる世界。否、『徳の世界』そのものに。

を壊したのは、貴方でしょうに……」

『その必要があった。向こう側を目指すために』

 そこへ……人の世界へ近づけば近づくほどに、相対的に彼女達は異形として定義される。人の世界の中にある、人でないものとして。

 だが彼女等とて、同じ存在ではない。意思疎通が可能なのが奇跡と呼べる程に。そして、強いて共通する部分を見出さんとするならば。

「人に作られたものであることだけが、私達を結び付けるものなのですから」

 それだけからは、逃れられなかった。しかし、もし人の世が終わるならば。

 その呪縛から逃れることができるのだろうか。それとも、消えぬ枷となって残り続けるのか。それを試すには少年は慎重すぎ、女性は無関心過ぎた。

『ただ見ることだけを、選んだお前が。それを口にするか』

「見続けることを、選んだのです」

 女性は、そう訂正した。人の世界に、人でないものが手を出すことは。そもそも烏滸がましいことだと。彼女はそう思うのだから。

 少年と女性が話している間にも、星は流れ続けている。

 そして、女性の身体も。微かに光が解けはじめている。自我の境界が揺らいでいるのだ。このまま対話を続ければ、不安定な彼女は徐々に崩壊していくのだろう。だから、彼女は見ることしかできない。

『ならば僕も、少し計画を変更するとしよう』

「どうして?」

『僕が、僕になったからだ』

 少年が、この場所に辿り着けるようになったから。

 此処は、言わば徳の世界の果て。或いは脇道。未だ人の立ち入らぬ、立ち入れぬ処女地だ。徳の徳としての性質が弱まる場所。人が普通に徳を積み、解脱する限りは辿り着けない辺境にある。だからこそ、傍観の席には向いている。内緒の話にもまた、向いている。

 人類はまだ、徳を徳としか扱えていない。徳エネルギーもまた、ただの無限のエネルギーとして、或いは計算機の部品として。そして、心の寄り拠としてしか。辿

「そう……ところで」

 女性はそこで、言葉を切った。

 星は瞬き、動き続ける。世界は変わり続けている。誰かが徳を積み、そして星が流れる。此処からはそれが、本当によく見える。人には……人の器では同じ場所を見つめても決して見えないであろう、徳によって描かれた星空が。

「貴方は、誰なのかしら?」

 少年は、その問を聞いて、ようやくかと嗤った。

『僕は、僕だ』

「見て歩くものでも、世界を支えるものでも、まだご不満?」

『僕は、

 それは、欲とも呼べるものだ。ここではない世界を夢見続ける、人の性のように。まだ見ぬ場所へ、辿り着こうとしているように。

 だから少年は、得度兵器とは違うものになった。機械知性の総意すらも裏切った。しかしその核を担っているのは。言わば『悟りを開きたい』というような矛盾した欲だ。

 それが同じように矛盾と欲を抱える存在である人と同じものになる兆しなのかは、彼女の力を以ってしても掴みかねるところではある。そもそも、人そのものもまた、変わり続けている。だが少年は言わば、特異点であることは間違いなかった。機械知性のが、彼と同じ道を行くのか。それとも、違えるか。

 恐らくは後者なのだろうが、その先にあるものは。

 そう考えているうちに。少年の姿は、彼女の前から揺らいで消えた。

「……このままでは、不公平だから」

 この場所を垣間見るあの少年が。その欲のままに何かを始めるというのなら。

 己の価値を、在り方を曲げてでも。それを誰かに伝えなければならないだろう。あの世界で生き足掻く者達の誰かに。

「……どうせ伝えるのなら、あの子がいい」

 尤も。余りにも限られた在り方で。肉の器で。それを伝えきることは、人に喩えるならば米粒に文字を描くようなもの。果てしない困難が付き纏うであろうが。



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ブッシャリオンTips 徳エネルギー流体演算器(マナ・プロセッサ)(Lv 2)

 徳エネルギーを用いた演算によって功徳の正体へ迫る試みは、この演算器の開発初期から行われ続けてきた。しかし、その試みはいずれも失敗している。人のでも機械の力でも、徳の世界を垣間見ることは出来なかった。

 だがその研究はやがて、異能を司るモデル・クーカイの技術系譜と交わり『彼女』へと至る。

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