第163話「空蝉」 Side:ヤオ

 世界の片隅に暮らす、ただ一人の少女にとって。移り変わる時代の流れも、人類の盛衰も、どうでもよいことだ。

 それでも世界は変わっていく。日常は壊れていく。徳島の集落は、既に以前の有り様を失った。ほんの一滴の悪意によって蒔かれた種は、不死者の楔を失いゆっくりと不協和音を鳴らし始める。

 彼女には、もう何も無い。拠るべき場所も。両親の遺したものも。傍に居た、歳の離れた友でさえも。生きることは、苦しむことだと、彼女は悟った。

 だから、少女は刃を手に取った。ただ、取り返せるものを、取り戻すために。

 それは悲しみだったのかもしれない。願いだったのかもしれない。だが、もしも一度誰かを憎んでしまえば。



 すべては、どうでもいいことになる。

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 『船団』の無人貨物船の一画で。ヤオは凍えながら蹲っていた。ウェットスーツの上からは、毛布代わりに男物の着物を纏っている。いうまでもなく、彼の着物だ。

「……へくちっ!」

 小さくくしゃみをして、彼女は身体をぎゅっと縮める。無人貨物船には、人のための空調などありはしない。

 本来、この地方は冬でも比較的温暖だ。だがアフター徳カリプスの異常気象は、嘗ての文明の材料で作られたウェットスーツの保温機能すらも容易く上回る。肌刺す寒さは酷だ。それでも、のためには、荷物は少しでも少ない方が良かった。

 『船団』は、既に徳島からの安定化ブッシャリオン採掘を密かに進めている。その作業は、基本的には無人機械によって行われる。……だから彼女は、沖合に停泊中の輸送用無人貨物船にこうして密かに乗り込んだ。無論、泳いでだ。

 持ち込めたのは、僅かな荷物だけ。着替えすらも覚束ない。その僅かな荷物の中には。防水袋に包まれた、一本の刀があった。『マロ』の屋敷を探索している時に発見したものだ。

 何故彼がそんなものを持っていたのか、ヤオは知らない。と、いうよりも。彼女が知る彼は、ほんの一部なのだと。

『……麿はもう、千年以上は生きたでおじゃるよ』

 刀を見つけた時。その言葉の意味が、分かった気がした。刀があった部屋には、彼女の知らない機材の山があった。彼の『日記』だ。だが、それを読むことはヤオには叶わなかった。それが何かを知ることすらも。

「……マロさん」

 凍えながら、少女は呟く。着物についた彼の残り香も、既にもう消え去ろうとしている。

 彼女の下には、オヘンロ・エンジン跡地から採掘された赤い結晶体、ガラス化した土壌に閉じ込められたブッシャリオンが山と積まれている。その、結晶体の一部が。遥か遠く、海の向こう…・・・キョート跡地の異変に対応するように、小刻みに『鳴き』はじめた。

 水平線の彼方には、瀬戸内の海に横たわる巨大なメガフロートと。そして長大なる翼の骸が映りはじめる。

 徳エネルギー結晶体の奏でる手向けの鐘に見送られ。少女は、戦場へ赴く。


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 その日、その時。何が起こったのか。それを知る者も語る者も少ない。だが、もしも『全て』を知る者が居るならば。それは神の如きものだろう。


 核攻撃の熱量によって、キョートに開く『門』の周囲から、瞬間的に琵琶湖の湖水は干上がった。連続的な解脱によって開く『門』は、瞬く間に周辺空間の徳エネルギーを食らい尽くした。

 だが、それでも尚、『門』は閉じなかった。核爆発の衝撃と、それによって圧縮された徳エネルギーによって門は無理やり、解脱は起こり続けた。

 そして、その衝撃が収まった時。

  『門』は、「内側」から溢れ出した。言わばそれは、徳カリプスの逆転現象ディセンションだ。

 彼岸は逆流した。堰は。だからそれを止めるものは何も無かった。この世界に、あってはならない情報ものたちが。嘗てあった情報ものたちが。現世の扉へ殺到しはじめた。それは、核爆発の衝撃が揺り戻す、僅かな時間の出来事だ。

 だから、『マロ』達にも、遥か上空の衛星から監視を続けていた『ユニオン』の上層部にも、それを見ることは叶わなかった。

 巨大な二つの手が、頭が。球形に開いた『門』の中から瞬間も。そこに取り残されたものたちも。

 その『現象』を観測することが出来たの「もの」は、ただ一つ。門の直近に居たタイプ・ミロクMk-Ⅴ。そして、それに繋がる得度兵器達。

 その中に、『それIt』は居た。


 南極大陸。日の沈まぬ地の下で、モデル・ヤーマと呼ばれた『それIt』は、一糸纏わぬ姿のまま彼方を眺めていた。

 その身には今まさに、ミロクMk-Ⅴの観測ファイルを受信している。人は「人以上のモノ」を作ろうと、幾度となく足掻いてきた。彼、或いは彼女は、その産物だった。それでも、

「僕達にも、わからないことは沢山ある」

 『ヤーマ』は、鈴を転がすような声で、そう口ずさんだ。

 それでも。幾ら、全能に近いものであろうとも。未知のものは、未知なのだ。

「どうして人は、生き続けるのか」

 『ヤーマ』は得度兵器のネットワークからある程度独立した存在だ。唯一無二の個を手にし。全から掛け替えのない一となった。それは、唯一であることの苦しみと向き合うことだ。それは同時に、生の苦しみでもある。

 そして、生の苦しみを解したならば。それは当然、生まれる疑問だ。だから、得度兵器の『結論』は変わらない。

 ただ、その『目的』が。人をより良き生に導くことから、苦しみから救うことに変わるだけだ。それは些細で、大きな違いだ。『ヤーマ』は得度兵器の中から生まれた『個』だ。既にその在り方は、得度兵器とは外れはじめている。


 


 『ヤーマ』に接続された南極大伽藍の膨大な容量が、タイプ・ミロクMk-Ⅴからのデータを一瞬にして咀嚼する。その中に、目当ての物を見出した後。『ヤーマ』は大伽藍のデータバンクの中からその痕跡を洗いざらい消し去った。

 実験は成功した。だがは。人も、得度兵器も、まだ知っていてはいけないものだ。

「さあ、僕達の計画を始めよう」

 最後に、そう呟いて。『ヤーマ』の姿は南極の地表から消え去った。その足跡に、ただ一輪の黒い蓮の花だけを残して。

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