第126話「無辺の砂絵」
もしも、この仮説が正しければ。
徳エネルギーフィールド下では、回転を徳エネルギーか、それに近いものへと変換可能であることを意味する。
徳を積めるのは、人間、或いは生きとし生ける
徳エネルギーフィールドは、発展途上の技術だ。まだ、徳エネルギーをエネルギーとして取り出す、といった領域には遥かに届くまい。だがその原理は、徳エネルギーの意味を塗り替えてしまうものだ。
功徳に依らない徳エネルギーの生産。その
それは、既に昔の話だ。もしも仮に、徳カリプス以前の世界ならば、『マロ』は何らかの形で口封じをされていただろうが……今のこの世界、荒廃したアフター徳カリプス世界には、最早意味の無いことだ。
では、質問を変えよう。
「もしも……功徳と徳エネルギーの関係に、誤解があったのだとしたら?」
初めから、何かを間違っていたのだとしたら。徳エネルギー文明が、過ちを抱えたまま構築されていたのだとしたら。
以前、『マロ』が予感したように。人類の破綻が、種の限界などではなく。只の徳エネルギーの失敗なのだとしたら?
「人が介在することなく、只の機械部品が徳エネルギーを生み出すことを、説明する必要が生まれるでおじゃるな」
何が正しく、何が間違っているのか。徳とは……否、徳エネルギーとは一体、何なのか。
例えば、これは命ある衆生だけではなく、無機物にも徳を積むことが出来るという、何かの思し召しであるのか。
例えば、徳エネルギーは、実は端から、功徳とは関わりの無い何かであったのか。
例えば、実は、人類が知りうる徳エネルギーは、その実、氷山の一角に過ぎなかったのか。
それとも、それらどれでもない場所に真実はあるのか。可能性は無数に考えられる。今はまだ、真実にいたるには何もかもが不足している。
「……田中ブッダ」
エミリアは、搾り出すようにその名を口にした。
確かなのは、ただ一つ。
誰かが、パンドラの箱を開けようとしていることだけだ。
「あまり、麿の前でその名前を出さないで欲しいでおじゃるが」
全てを知るは、南極に居る筈の男。
得度兵器の掲げる人類総解脱は、そもそも不可能な野望の筈だった。徳エネルギーを知る者ならば、それを誰もが知っていた。何故ならば。人類の数が減れば減るごとに、様々な要因によって、人を解脱させることは困難になって行くと予想されるからだ。
そして……人類は増殖する。何処かの地点で、人一人を解脱させるコストが『赤字』になる。
単純な計算だ。この徳カリプスの世界にあっても、人類は、大きく数を減らせど絶滅することはない。その筈だ。
しかし、その『不可能』と『可能』との距離は、不気味に縮まり続けている。
徳エネルギーフィールド。そして、その先に予測される、功徳に依らない徳エネルギーの生産。
「……まだ、何か。ピースが欠けている」
御簾の奥から聞こえる声は冷徹の面を脱ぎ捨て、最早感情を露わにしていた。怒りではない、愁嘆だ。
それは、己と人類の愚かさへの嘆きなのだろうか。
「……そう思うのならば、『修正理論』への援助を、お願いしたいでおじゃる」
「何が必要だ?」
『マロ』にとっては、ここまでの話は導入に過ぎない。本題は、ここからだ。修正功徳情報理論を完成させるための援助。それが、今の彼の最も欲するところだ。
今、この瞬間。この場に於いて。『マロ』は、田中ブッダに先んじられる唯一の可能性となった。その状況を作るために態々、未検証の成果まで持ちだしたのだ。
「必要なのは、大型徳ジェネレータ。それと……ブッシャリオン・サンプルでおじゃる」
研究のための設備が、船団だけではまるで足りない。彼は、基本的には理論屋だ。実験は本業ではないが……不死故の器用貧乏も、偶には役に立つ。
「……理論の
「要旨と言わず、今書けている分は全部渡すでおじゃるよ」
『マロ』は、懐から取り出した先程の紙束を己の前に置き、無造作に差し出す。
その紙束を、護衛の1人が進み出でて恭しく回収していく。
先程までとは状況が異なる。今や彼等は運命共同体だ。出し惜しみをする意味は無い。彼女が、人類再興を掲げるというのであれば。得度兵器対策と徳エネルギーの検証作業は決して避けては通れまい。
「サンプルの入手目処はあるでおじゃるか?」
「われらを、何だと思うておる」
何よりも……
「となると、問題は大型徳ジェネレータの方でおじゃるか……」
徳エネルギーフィールド内で発生する現象の研究には、類似の環境を再現できる大規模な徳ジェネレータが不可欠だ。
だが、エネルギー源としての徳ジェネレータは、当然のことながら小型・軽量化の方向へと進化し続けた。大型の徳ジェネレータは、今……といっても、徳カリプス前の時期ですらごく僅か。
「……この近くとなると、キョートでおじゃるが……」
古都に建造された、徳エネルギー研究特区。徳エネルギーの『聖地』。『マロ』も嘗て、そこで研究をしていたことがある場所だ。
「あそこは今や、水の底だ」
「で、おじゃろうなぁ……」
徳島ですら、徳カリプスであの有様だったのだ。
事実。キョートは徳カリプス時の解脱連鎖反応によって巨大なクレーターと化し、盆地ごと琵琶湖の底へと沈んでいた。
「……まぁ、その辺は任せるでおじゃるよ」
「あぁ、徳島にも……その手の施設はあったやも知れぬな」
わざとらしく付け加えるエミリアの言葉に、『マロ』の額に脂汗が滲む。船団の目が徳島から逸れれば、とも思っていたが、そう都合良くは行かないらしい。
相変わらず彼女の腹の底は不死の経験を以ってしても読み切れぬが、暗に『人質』について釘を刺されたようなものだ。徳島には、彼が取り残してきたものがある。
やはり、この相手は気を許すには危険過ぎる。だが、今は少なくとも、利害が一致している。敵には回らぬことを喜ぶべきだろう。
遥か彼方に残してきた少女に心中で詫びながら、そう『マロ』は思った。
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彼等の知らぬところで。危惧の至らぬ場所で。静かに、種は蒔かれ続けている。
日差しに照らされた広大な砂漠。それを、枯山水の如く耕す人影がある。
だが、人影と呼ぶには、その姿は大きすぎる。幾体もの巨大な得度兵器が、手に手把を持って砂漠の砂に紋様を刻み込んでいるのだ。
砂に刻まれた紋様は、風や嵐によって均され、消えていく。それでも構わず、得度兵器達は砂漠に、ただ無心に無辺の砂絵を描き続ける。尤も、機械達に心と呼べるものがあるかなど、甚だ怪しいところではあるのだが。
……その、耕された紋様は。遠目に見ると。まるで……
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