レコード000/第69話「微睡み」
レコード・000「未恋」
AD23XX~
嘗てこの国には、一億もの人間が暮らしていたのだという。 そんなに居たら息が詰まってしまいそうだと僕などは思うのだけれど、昔の人たちはそれで何とかやっていたようだ。
人類の衰退は、この国から始まったのだという人もいる。それは僕が生まれるよりも、ずっとずっと昔の話だ。
今。嘗ての数分の一以下にまで縮み、お年寄りばかりになった挙げ句、経済活動の大半を機械に丸投げしたこの国で。最も貴重なのは人的資源だ。
とりわけ若い人材は何よりも貴重。だから、僕達は戦略的に運用される。
国家戦略人材養成プロジェクト。およそ碌でもない名前そのままの、碌でもない計画。若い人材に適切な環境と投資を与え、世界的に有用なエリート人材を育成する。 題目は立派だが、つまりは国家の力で親から養育権を取り上げるということに他ならない。最低な話だ。しかも輪をかけて最低なことに、僕の両親はお金で僕を売り飛ばしたらしい。
僕と彼女は、そんな最低の場所で出会った。
「こんなところで、何をしてるんですか?」
初対面の時の彼女の印象は、『邪魔な女』だった。僕は玩具代わりに与えられた量子コンピュータを弄くり回すのに忙しかったし、そんな時に声をかけてくる彼女は邪魔以外の何物でもなかった。
そのことだけで僕は、彼女は変わった人間だと思った。この『学校』で、他人に話しかける生徒は珍しい。大抵は自分の教育プログラムに忙しいし、同じ年頃同士、同じギフテッド同士といっても特性はバラバラで話はぜんぜん合わない。
だからこのときも僕は無視した。彼女が変わった人間だとしても、どうせ何かの気紛れで話しかけているだけなのだろうし、すぐに飽きると思っていた。
「うーん、じゃあ、勝負しませんか?」
計算外だったのは、彼女がそんな話題を振ってきたことだった。
「……勝負?」
僕は、思わず顔を上げた。勝負というのは、つまるところ自らの性能の誇示だ。自他共に認める優秀な才能や技能を持つ僕らにとって、勝負とは勝って当たり前のもので。自分の優秀さを示す絶好の機会に他ならないからだ。
顔を上げた先に居たのは、僕よりも2~3歳くらい年上の女の子だった。青色の髪。黄色い瞳。その全てが、彼女が人工物であることを物語っていた。
僕のような天然物ではない、体のあちこちを遺伝子レベルで改造された人間。別段、珍しくもなかった。
「勝負の方法は、そっちで決めて構いませんよ?」
「……じゃあ、変形チェスで」
僕が選んだのは、チェスを変形させた古めかしいボードゲームだった。いまどき、大抵のボードゲームはコンピュータで必勝法を編み出せてしまう。ボードゲームが人間の知性の象徴だったのは、もう何百年も昔の話だ。
だから、僕は敢えてそれを選んだ。
何故って、この前ちょうど、そのゲームを 新しい玩具で解きおわったところだったからだ。
「いいですよ、ルールブック貸してください」
「自分で調べなよ……」
「他人から借りるのがいいんですよ。いちゃもん付けられても困りますから」
僕は、量子コンピュータへの入力に使った本を彼女に手渡した。今となっては珍しい紙の書籍だ。
「ちょっと待っててください」
彼女はそれを受け取るやいなや、凄まじい速度で捲り始めた。いや、読んでいるのだろう。よく見ると、黄色い瞳が忙しなく動き回っている。
数分後。
「おまたせしました」
彼女は、本を最後まで捲り終え、パタンと閉じた。紙の本の速読なんて、この時代では無駄な技能の極みだ。
やはり彼女は変人だという認識を新たにすると共に、本当にルールを覚えたのか、と訝しんでもいたのだけれど。
そんな疑問は、すぐさま打ち砕かれた。
「わたしの勝ちです」
「なんで……」
気が付くと、僕は負けていた。どうして負けたのかさえ、分からなかった。
「じゃあ、ちょっとお願いを聞いて貰えませんか?」
断ることもできただろう。でも、そのときの僕の中は「なぜ」で埋め尽くされていた。
どうして負けたのか。途中からは、コンピュータの演算結果まで使ったというのに。最初は勝っていた筈が、いつの間にか、ひっくり返されていた。
「ご飯、いっしょに食べませんか?」
「それがお願い?」
「はい。少し、興味があるので。食べながらでいいなら、勝てた理由も話してあげますよ」
僕はその言葉に一も二もなくうなずいた。
「……つまり、途中で不利を錯覚して、コンピュータの結果に頼り始めたのが敗因なんですよ」
食事時。僕は彼女と向かい合って座っていた。彼女が食べているのは、いかにも和食、という古めかしいメニューである。
「途中、何回か指し間違いをしてましたよね。私はそこを突いただけです」
自分が差し間違いをしたことで、コンピュータの認識する盤面と実際の盤面に差が生まれた。だから彼女はそれを突いて勝てた、ということらしかった。
「まぁ、盤面を長引かせれば、ヒューマンエラーの数は増えると思ってたんですけど。当たって何よりです」
問題なのは、それを可能とする『性能』だ。
「ルールを覚えたばかりで、そんなことまで……」
「あれ?わたし、何時ルールを覚えたばかりって言いました?」
……?
「だって、本を読んで……」
「あれは、わたしの知ってるルールと差が無いか、確かめただけですよ。変なローカルルールで逃げられると困りますから」
「インチキだ……」
完全に騙されていた。最初からそうと分かっていたら、もっと他にやりようはあった筈なのに。
「じゃあ、またいつでも勝負しましょう。わたしも、勝てたらお願い聞いてあげますから」
そうは言われたものの。結局、何度挑んでも、僕は彼女には勝てなかった。
彼女は、人を『負かす』のが上手いのだ。あらゆる手管で勝利を手繰り寄せ。それでいて、何故か憎しみを抱かせない。
実際、僕につられて彼女に挑んだ『学校』の生徒も居たが、完膚なきまでの返り討ちに逢っていた。
「わたしは、人間相手なら負けませんよ」
時折、彼女はそう口にしていた。彼女はいつしか、『超えるべき存在』になった。
それが僕と彼女の最初の出会いだった。
------------
「みんな、僕の名前変だってバカにするんだ……」
僕と彼女は、いつの間にか当たり前に言葉を交わすようになっていた。勝負で負ける度に、彼女は「一緒にご飯を食べましょう」と僕を誘った。それ以外の要求は特にしなかった。
最初は無言だったけれど、居心地が悪かったので段々と会話をする羽目になった。多分、これも彼女の掌の上なんだと思う。
一々彼女に話したことを覚えてはいないけれど、色々なことについて話したと思う。『学校』で習ったこと。好きな食べ物のこと。でも、一番記憶に残ったのは。
「まぁ、変わってはいるんじゃないですかねー。私も最初聞いた時マジウケでしたもん。腹筋攣りましたもん」
「ひどい……」
名前について話した時の、彼女のこの反応だった。『学校』の生徒はネームタグを付けさせられていたけれど、僕は大抵目立たない所に付けるか、服の下に隠していた。自分の名前が嫌いだったからだ。
「まぁ、わたしの名前も、よく間違えられるので。全く人のことは言えないんですけど」
思い返してみれば、驚くべきことに。この時まで、僕は彼女の正しい名前を知らなかった。言葉を交わすのは、勝負の時と食事の時くらいで。別段、名前を覚えなくても不自由しなかった。
「読めます?これ」
『千里』。彼女の名札には、漢字でそう書かれていた。
「せんり」
そう読む字だった筈だ。
「違います」
彼女は、少し不機嫌そうにむくれた。僕がわざと間違えたことに気付いたのだと思う。
一見、定まった読み方のある漢字でも、固有名詞に使われる場合には読み方が変わる。その程度の知識はあった。
それに……彼女は確か、『先生』達からは「チサト」と呼ばれていた。
「ちさと……ちゃん」
初めて口にした、彼女の名前。どこか気恥ずかしく、それでいて、心地よい響き。
それを聞くと、彼女は笑った。笑ったというより、ニンマリと笑みを浮かべた。そして、思いっ切り勿体を付けて。
「違うんですよ、これが」
「え……?」
「正解は、『ちのり』です」
「……なんだそれ……」
勇気とか、色々なものを返して欲しかった。
「酷い話ですよね。漢字なんて段々使わなくなってるからって、読み仮名を音訓で統一しちゃうなんて」
この国は、衰退の先頭を走っている。言葉も、文字も、失われ始めている。だから、彼女の名前もその一端ということなのだろう。
でもそれは、彼女が普通の人間だったらの話だ。彼女は多分、『作られた』人間だ。何かの目的のために設計され、この世に生まれてきた命。
こんな性格の悪い女の子を何に使うのかは、僕にはわからないけれど。その生まれ方は、きっと、僕とは違う。
「それ、先生達の方が正しいんじゃないの」
だから、僕はこう考えた。彼女の名前はきっと、『先生』達の呼ぶ方が正しくて。彼女が言う名前が嘘なんだと。
「自分が決めたのが、自分の名前なんですよ」
でも、彼女はそう答えた。
「名前って、変えられるものだっけ?」
「あなたも、自分の名前が嫌いなら、自分で付け替えればいいんですよ」
無茶苦茶だった。でも、彼女は自信たっぷりだった。
僕の名前は、多分両親が付けたものだと思う。自分を売った両親がつけた名前と、どう付き合っていけばいいのか。
「やめとく」
今の僕には、よくわからないけれど。簡単に変えていいものではない気がした。自分のこんなに身近に、わからないことがあったというのは、僕にとっては一つの発見だった。
「どうしてです?」
「だって、面倒だから」
多分だけれど、『先生』達にすごく怒られそうな気もした。
「残念です」
それに、きっとそれは、彼女にしか出来ないことなのだ。
この頃のことは、もうよく覚えていないけれど。確かこの時期から、僕は自分の名前について、あれこれ思い悩むのを止めたと思う。
-----------
「何を育ててるの?」
「サボテンです」
「……面白いの?それ」
「変わらないところが、面白いんですよ」
数年が経っても。彼女との付き合いは続いていた。もう、勝負をしよう、なんて言い出すことは無かったけれど。『学校』で会って、食事時に話をする。その日々だけは、続いていた。
不思議なことに、彼女を異性として意識することはほとんど無かった。小さい頃からの付き合いだったせいで、そんな気持ちになれないのか。それとも……そうならないように、彼女が調整されているのか。
確かなことは、彼女は僕の人生を構成する部品の一つだということだ。彼女はもう、超えるべき相手では無かったけれど。その関係に、名前は必要なかった。
それでも僕は、成長していく。彼女の方が高かった身長は、今では同じくらいになった。多分、もうすぐ彼女よりも高くなる。
変わることは、先へ進むことだ。その先には、未来がある。どうなるのかは、わからない。ただ、かけられたリソースの価値が、人材の価値だ。
僕にはきっと、とても高い値がつくのだろう。選択肢は与えられる筈だ。でも、僕だけで決められる訳ではない。
自由な彼女のようには行かない。
「将来の夢、ですか?」
「そう。僕、迷ってて」
最初の選択肢は、もうすぐそこまで迫っていた。
何度目かの3月。それは、この国では卒業の季節だ。
『学校』が担うのは、昔の区分で言えば初等・中等教育までだ。学校と名の付くものである以上、当然、卒業もある。
「ふーん。でも、迷うってことは選択肢あるんでしょう?」
「うん。飛び級で国内の大学に行くか、海外に出ようか迷ってて」
選択肢がある。それは多分、きっと、それだけで幸せなことなのだ。
「……想像外に贅沢な悩みでわたし困惑中なんですが」
「贅沢かな?」
「あー……うーん、まぁ、普通無い悩みではあると思いますよ?」
普通と言われても、僕にはよくわからない。
そういえば、彼女もそろそろ卒業の筈だ。僕の卒業が前倒しされたから、彼女と同じ時期になったのだ。
別に、一緒に卒業したいから頑張った、とか、そういうことはない。
「千里ちゃんは、『学校』を出たら何処行くの?」
同じところに行こう、なんてことは思わない。ただ、こうして時たま会えればいいな、と。何処かで期待していたのかもしれない。
「軍隊ですよ」
「軍隊!?」
「戦争が無くなりつつあるとはいえ、組織はまだ生きてますから。軍隊のお金で研究とかして、甘い汁吸って、吸いきれなくなったらポイします」
「……その後はどうするの?」
「その後は……そうですねー、宇宙行きます」
彼女は、どこまでも自由だった。そういえば彼女はいつも、こんな感じだった。
「宇宙……」
彼女が僕の人生の一部であるように、多分、僕も彼女の人生の一部なのだと思う。でもそれはきっと、とても僅かな一部分にすぎないのだとも思う。
僕達がこれから先、どれくらい生きるかはわからないけれど。この時間はいずれ、彼女の沢山の時間の中に埋もれてしまうのだと。僕はその時、そう思った。
「宇宙開発絡みだと、まだ軍のコネが使えるとかで。今、恒星間移民船団作ってるから、そっちに行きます。うまくすれば、人類史上最大級の玩具を思うまま扱えるんです。ワクワクするじゃないですか」
「……僕、海外行き迷ってたんだ。会えなくなるんじゃないか、って思って」
そんな悩みすら、あまりにもスケールの違う彼女の前に、もう吹き飛んでしまったけれど。僕の言葉を聞いて、彼女は爆笑した。
「馬鹿ですねー。人間、生きてれば別れはそのうち来るんですよ。遅いか早いかだけの違いだけです」
「でも……」
会えなくなるのは、事実なのだ。
僕も一緒に行く。
そんなことが言えたら、格好いいのだけど。残念ながら、僕の選択肢にそれは無かった。僕達の未来は、選べるだけで幸せなのだ。僕がもし、彼女くらい自由だったなら。
「わたし、あなたの家族でも恋人でも友達でもありませんし?一緒にいる約束なんてできないですし」
きっと、その時の僕は泣きそうな顔をしていたのだと思う。
だから彼女は、そんなことを言い出したのだと思う。だってそれは、彼女らしくない言葉だったから。
「友達ですらないの!?結構長い付き合いだよね!?」
「でも、また会う約束なら、してもいいですよ?」
「……うん。指きり、しよう」
僕はそう言って、小指を差し出した。僕と彼女の付き合いが、取るに足りないものだったとしても。
この約束だけは、大切にしたいから。
「なんですそれ」
「古いおまじないだって。こうするの」
彼女の手を取り、小指と小指をからめる。
「ゆーびきーりげーんまーん」
「……ゆーびきーりげーんまーん」
ちょっと恥ずかしそうに、彼女は後に続く。彼女の恥ずかしがる顔を見たのは、多分これが最初で最後だったと思う。
「嘘ついたら針千本のーます」
「意外とバイオレンス!?」
「ゆびきった」
「しかも指詰めるんですか……これはもしや噂の、エンシェント・ジャパニーズYAKUZAの儀式なのでは……」
何か、勘違いしているようだけど。
「うん……じゃあ、また会おう」
「はい、『また』」
それが何時、何処になっても。
「きっと、会いに行くから」
「なんです?今生の別れみたいじゃないですか」
「もしも、また会えたら……僕は」
僕は、その後に何と言ったのか。
------------
この話に、後日談は無い。
約束は、まだ果たされていない。
少年と少女は、二度と巡り合うことはなかった。
少女は、遠くへ行ってしまった。その名前よりもずっと遠くへ。
生きているのか、死んでいるのかはわからない。確かめる術も、もはや無い。
少年は、地上で生き続けた。彼女のことなど忘れたかのように。しかし彼は、今も待ち続けているのかもしれない。
これは、恋になる前に終わってしまった約束の物語だ。
だが、もしかすると……その小さな小さな約束は、もっと大きな何かへと繋がっているのかもしれない。
レコード000 「未恋」 おわり
----------------
▲黄昏のブッシャリオン▲第69話「微睡み」
夜中。
「……久しいな、人の中で眠るのは」
半ば仏像の顔をした男、田中ブッダは簡素なベッドの中で目を覚ました。
「そのせいか、あれほど昔の夢を見たのは」
ここは、南極ではない。採掘屋達の街。嘗ての教え子の養女と出逢い、宿代わりに借りた部屋の中である。
「……古い、夢だ」
田中ブッダは、仏像と化した側の己の顔に手を当てる。あれはただの夢。過去の残照だ。既に人類の翼は手折られ、文明は潰え、人は滅びに瀕している。
それでも、彼とて肉体の半ばを仏像と化したとはいえ、人類の一人だ。人であることからは、逃れ難い。その弱さが、あんな夢を見せたのか。
「……くだらん」
夢は、夢だ。過去は過去だ。それで現実が変わろう筈が無い。彼は呟き、再びベッドへ身体を横たえる。
「それよりも、あの女を勧誘する手筈を考えねば」
それは無論、夢の中の『彼女』ではない。アフター徳カリプスの時代を生きる徳エネルギーの専門家の一人。舎利ボーグの女。
彼女を味方に引き入れるため、彼はここまで態々出張って来ているというのに。
田中ブッダの意識は再び、眠りの中へと戻って行く。
まだ、人は微睡みの中にある。そして……舞台は、徳溢れる島へと移る。
▲黄昏のブッシャリオン▲第三部へと続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます