第二部エピローグ「函の中の女」

 人工天蓋に覆われたドーム居住区にも、四季はある。いや……徳カリプスとその後の人類活動の衰退から年中通して桃色の雪が降るようになった外の世界を思えば、今やこの箱庭だけが嘗ての環境を留めているのだ。

 モンシロチョウが舞い、菜の花の上で羽を休める。田畑の脇の水路で、魚が跳び跳ねる。

 は春。遥か昔のこの国では、それは出会いと別れの時期だ。

 恒星間移民計画『プラン・ダイダロス』。そのための実験都市一つ、北関東クレイドル。嘗ての人類の夢の跡。そして、今は得度兵器達の見る夢の内。

 そんな村にも、確かに出会いと別れは訪れていた。

 桜の木を見上げる、如何にも素人の作りと伺える車椅子に座った少女。彼女が得度兵器の内から発見されたその日以来、村は静かな戦いを続けている。

 得度兵器は、まだ攻めて来ない。それでも村の人々は徳を積み、来るべき戦いに備えている。戦いが何時始まるのか、それは誰にもわからない。

 明日かもしれない。明後日かもしれない。地下で今も稼働する大徳ジェネレータが壊れた時かもしれない。もしかすると……そんな時は、永遠に訪れないのかもしれない。

 それでも、永遠に思えた安寧は確かに喪われたのだ。

「……結局、何がしたかったんだろな、あの得度兵器」

 車椅子を押しながら、あの少年……光定みつさだは呟く。

 解体された得度兵器、タイプ・バトウの中から、結局毒ガスは発見されなかった。見つかったのはこの少女だけだった。彼女もまた、あの日以来、一言も喋っていない。

 なら、村に現れた得度兵器は一体何のためのものだったのか。

 彼の祖父や肆捌空海の言うように、実は単に少女を輸送するためのものだったのか。それとも、他の目的があったのか。

 或いは、村の今のこの状態……黄昏の平穏そのものが、機械達の求めたものだったのか。それは少年にはわからない。ある意味では、依然としてこの村は彼等の箱庭のままなのだ。

「でも……少しだけ、わかる気がすんだ。得度兵器がこんな村を作った理由」

 唯一口にした言葉から、『ガンダーラ』と呼ばれるこの少女は何者なのか。それも謎のままだ。だが、彼女が解脱耐性者としてこの村に連れて来られたのであろうことは、光定にも想像できた。それ以前に、何があったのかも。

 少年は、外の世界を知らないままだ。だが、あの日以来、彼には少女の言葉にならぬ叫びが聞こえることがあった。 少女が喋っているわけではない。彼にだけ聞こえるのだ。それは細く、途切れがちで、時には全く聞こえない日もあったが、その殆どは、何かに怯えながら、誰かを探し求めるような声だった。

 こんな少女が、全く新しい場所で、全く新しい世界で。新しい人生を歩めるのなら。過去に蓋をしたまま、夢の中で一生を終えられるのならば、それは或いは幸福なことだったのかもしれない。

 アフター徳カリプス。その時代に生き残ってしまった者達は、誰もが傷を抱えている。少女も、祖父も、あの肆捌空海も、少年自身でさえも。

 その傷とどのように向き合って行くのか。問われるのは、そこから先だ。

 少なくとも、あの徳高き僧侶は今も進み続けている。少年の祖父と共に地下施設へ籠り、何やら調査を続けているのだ。彼が村の外へと帰る日も近いのかもしれない。

 あの出会いから、もう数週間程だろうか。思い返せば本当に、物語の中のような話だった、と少年は考える。

 ……ただ違うのは、自分には決めることしか出来なかったこと。村の安寧を、最後に壊す決断をしたのは自分なのだという事実。それは、確かに一生消えることのないだろう傷だ。

「……そろそろ、戻んねぇと」

 少年は、少女の車椅子に手をかける。俄に風が吹く。舞い散る桜の花びらが、彼の視界を覆う。

『ありがとう』

 その時少年の耳に、そんな言葉が確かに聞こえた気がした。


 偽りの安寧に別れを告げ、黄昏の平穏と出会い。そして、彼等は確かに生き続けている。



▲『黄昏のブッシャリオン』▲第二部 完

第三部へ続く

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