第102話「再起」
少女が己の意志を取り戻したのは、5日目の朝のことだった。
「……助けに行こう」
切欠は、些細なことの積み重ねだった。屋敷の冷凍庫には当分の備蓄はあったが、万全ではなかった。機械の多くは使い方が分からず、彼女の手には負えなかった。
そして、何より。そこには、彼が居なかった。
少女……ヤオは二枚格子を開け放ち、朝日に向かって大きく伸びをする。
どうやって?
それは、これから考える。
どうして?
そんなことは、後で考えればいい。
自問、と呼ぶにも雑多な思考の渦は、流れ込む朝の空気の中に融けて失せた。
別に、考え込んで出した結論ではない。色々なことが、あり過ぎた。彼女の心は、整理の時間を欲していただけだ。
それは既に終わった。いや……終わってはいないのかもしれない。しかし、少なくとも、動き出すだけの活力は戻ってきた。
取り返しのつかなかいことは、確かにある。だが、取り返しのつくものもまた、まだ残されている。
「……あっ」
思い切り伸びをしたせいで、体に適当に巻いていた着物の帯が解けて落ちる。胸元がはだけ、ウェットスーツの日焼け跡がちらりと覗く。
着の身着のまま同然で集落を飛び出したせいで、彼女は屋敷にあった着物を適当に引っ張り出して身に付けていた。
「うん、後で着付け、教えて貰おう」
それも、まだ先のことだろう。まずは、彼を助け出す方法を考えなければならない。だが、そもそも……ヤオには、『マロ』が何処へ連れ去られたのかすら分からなかった。
彼女にできることは、『マロ』に比べれば余りにも少ない。
料理の作り方もわからない。庭の手入れの仕方もわからない。服の着方すらも覚束ないでいる。
彼女とて、何もできない訳ではない。早くに両親を失い、一人で生活できるだけの能力は十二分に身に付けている。ただ、あの不死者が桁外れだっただけなのだ。
だが、それに気付くことは、彼女にはできなかった。それが数年前以来の『当たり前』だったのだから。
自分一人では、何もできない。ヤオはそう思っていた。
誰かの助けが必要だ。しかし、誰に助けを求めればいいのか。一番助けを求めたい人を救うために、誰を頼ればいいのか。
彼女は頭を絞り始める。誰か、この無謀な企てに手を貸す人は居ないものか、と。せめて、『マロ』の居場所の手掛かりだけでも。
そこまで考えたとき。彼女には、思い当たるものがあった。
「……船団」
村の中には、裏切り者が居た。『マロ』を快く思わなかった者達が。そして、彼等は何らかの方法で『外』とコンタクトを持っていた。そう彼は仮定していた。結局、その方法を『マロ』が突き止められたのか、そこまでは分からない。
あの時は、時間も無かった。今から集落を洗い直せば、何か出てくるかもしれない。だが。
そもそもの疑問が、彼女の思考の前に立ちはだかる。それが、果たして自分に出来るのか?
「うーん……」
ヤオは胡坐を組む。着物が更にはだけるが、彼女は気にも留めない。彼はいつもこうして、胡坐をかいていた。
あの墜落したUAVを介した回線は、既に見よう見真似で試したものの、繋がる様子は無かった。この道を辿る以外に方法が無いことは、彼女にも分かっていた。
しかし……それは、アフター徳カリプスの時代しか知らぬ彼女にとって、余りにも荷が勝ちすぎている。権謀術数は経験が物を言う。
不死者同士の化かし合いに、彼女が付け入る隙は皆無。そこまでは知らずとも、『マロ』すら苦戦する相手を前に、己がやり合えると思うほど彼女は傲慢ではなかった。
「……ちょっと、考え方を変えてみよう」
正面からやり合う以外の方法。
『……相手の何を知りたいと思うか、でおじゃるな』そう、彼は以前言っていた。
考えるべきこと。知りたいこと。何故、そもそも彼等は『マロ』を攫ったのか。思い当たるのは、ひとつの言葉。
『……麿はもう、千年以上は生きたでおじゃるよ』
「……あれって、どういう意味なんだろう」
考えは一向に纏まらない。彼女はそのまま、後ろに倒れるように伏し、足をばたつかせる。
彼が、あのタイミングで嘘を吐いたとも思えない。しかし真実だとして、それが持つ本当の意味を、彼女は理解してはいなかった。
それでも、まだ知らない何かがある。そのことだけは、彼女には奇妙な確信があった。未だ知らぬ場所にある何かが、『マロ』が拉致された事実に関係しているであろうことも。
「うーん、わからない……」
思考をゆっくり纏める必要がある。そう思い直し、ヤオは立ち上がった。
まだ、為すべきことはわからない。それでも、少しずつ少しずつ、彼女は再び歩み始めていた。
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平安貴族Tips 胡坐
平安期、胡坐は正式な座り方であり、女性も胡坐をかいていたとされる。なので、ヤオが胡坐をしていても特に問題は生じない
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