第84話「火蓋」

「ハーッ!ハーッ!ハーッ!ハァー!ハァー!ハァー!ハァー!……この歳で、この距離はキツいでおじゃる」

『マロ』は走る。今は、少しでも時間が惜しい。運動不足気味の、今のこの肉体が恨めしい。ロボ牛車はヤオへ貸してしまっていた。

 最早何故走っているのか、彼自身ですらわからなくなりつつある。

 敵は、恐らくパイプラインから情報を読んでいる。ならば……他に、そこへ仕掛けをしていないとも限らない。

 初手こそ、集落内の分断工作のために中の人間によって停止させる、という回りくどい方法を採ったようだが、彼等はその気になれば何時でもパイプラインを直接破壊可能と考えるのが自然だ。

 それは、とても不味い。喉元を鷲掴みにされた状態も同然だ。そして、それ以上に……もしもが起こった時、パイプラインの管理を行う少女は、どうなるのか。だが、

「ハー……ハー……まさか、得度兵器を呼び寄せるような真似はせんでおじゃろ……」

 不死者の宿痾。彼はこの期に及んでもまだ、生者の必死の足掻きをどうしようもなく侮っていた。その愚かさを、見誤っていた。はあるにせよ。実際に、その札を切ることは無いと思い込んでいた。

 だが、それとは別に、彼の何時蓄えたともしれない記憶は警鐘を鳴らし続ける。それが、彼を走らせる理由だった。

 不死の毒に耐えるための薬。それだけの筈だった。それとも、こんなことすら、自分は幾度となく繰り返してきたというのか。

 彼は、走り続ける。衰えた身体に己で鞭打ちながら。己が何者かすら、曖昧になりながら。それが、嘗て彼自身が選んだ生き方なのだと気付かぬままに。



 『マロ』が目的地に辿り着いたのは、結局、ヤオが日課の点検を全て終えた後のことだった。

 彼女は、ボロボロになった『マロ』を見て、目を丸くした。いつもと変わらぬ少女を見て、『マロ』は辛うじて安堵の笑みを零す。

「……どうしたの?『マロ』さん」

「ハァーッ……ハァーッ……ゲェーホ、ゲホ。何か、異常は無かったでおじゃるか」

「えっ、別に……」

「本当でおじゃるか」

「何かあったの?」

「かくかくしかじかでおじゃる」

 呼吸を整えながら、彼はヤオへ彼の仮説を語る。

「……自己診断だと異常は無いみたいだし、潜って調べたとこは、変なところも無かったけど……確かに、潜って調べられるとこより先は分からないかも」

 パイプラインの海中区間は、2キロ程。その先は淡路島の陸上区間を通り、再び海中へと入る構造だ。陸上区間より先に何かがあっても、彼女に直接調べる手立ては無い。第二の海上区間の長さは、4キロ。その先は得度兵器の支配地だ。

「……調べに行くの?」

 だが、彼女はそう口にする。

「……待つでおじゃる。業腹なのもわかるでおじゃるが、まずは無人機を飛ばして、状況を確認するでおじゃる」

 『マロ』はヤオを制止する。得度兵器を刺激するような行動は避けるべきだ。平時ならばそう考えただろう。だが、今は事情が異なる。正体の見えざる敵が居る。

敵の正体を突き止めねば、事件は終わらない。

「……それで、解決するなら」

彼女は承諾した。形だけとはいえ、彼女はパイプラインの管理責任者だ。

「決まりでおじゃるな」

 『マロ』は頷く。この数日、諜報のために手持ちのリソースを随分と割いてしまった。それに比べれば、無人機の一つ位は安いものだ。

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