第77話「過去を知る者、知らぬ者」
徳カリプス後の荒野に生まれ育った者達にとって、世界は最初から『そういう場所』だった。徳エネルギーは破綻し、人類は最盛期の100分の1以下にまでその数を減らした。星の世界を駆けるまでに至った文明は長い時をかけて衰退し、その枢要は既に機械達の手に渡っていた。
だから彼らは、繁栄の時代を知らない。それを求めようにも、どんなものであるかすら判らないのだ。嘗ての人類の文明は、遠い昔話でしかない。
だが徳カリプス以前を知る者にとって、それは確かに己の手の中から零れ落ちた、過去の栄光である。故に彼らは、その幻影を無意識に追い続ける。
徳カリプス以前、徳エネルギー文明最晩期。円熟の時代の記憶を持つものと持たぬ者。その間に存在する溝は果てなく深い。
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「『マロ』さん、『マロ』さん!」
「……随分と、早かったでおじゃるな」
パイプラインの異変を知ったヤオは、再び『マロ』の屋敷を訪れていた。
「パイプラインがまた……って、今回はあんまり驚いてないですね」
前日の取り乱しぶりが嘘のように『マロ』は落ち着いている。
「まぁ、一度で終わるとは思ってなかったでおじゃる故なぁ……ただ、こうも連日とは早過ぎでおじゃるが」
そう口にしながら、『マロ』は何やらごそごそと懐を弄り、モニターの付いた端末を取り出す。
「なにそれ?」
「こういうこともあろうかと、修理の時に色々と仕掛けたでおじゃる」
何やら端末を操作する『マロ』。映しだされるのは、徳エネルギー液化施設の中の光景。
「巻き戻しでおじゃる」
端末が自動的に、カメラの映像から『異変があった』時間を抽出する。
そこに映っていたのは……
「……誰でおじゃるか、これ」
「この子、近所に住んでる……」
年端もいかない少年だった。ヤオは、その姿に見覚えがあった。村落に住まう子供の一人だ。
「でも、どうして」
映像の中の子供は、機械のケーブルに手を伸ばしはじめる。手に持っているのは、恐らく小さな刃物か何かだろう。
「……そういう、ことでおじゃるか」
『マロ』は密かに口元を隠し、目を細めた。
「こんな、大それたことをするような子じゃないのに……」
「確かに、動機は無さそうでおじゃるな」
『マロ』は、不思議な懐かしさを感じていた。徳エネルギー時代に入り、久しく嗅ぐことの無かった匂いがする。それは、誰かを貶めんとする謀略の香りだ。
「……『マロ』さん」
少女は『マロ』の表情を見つめる。だが、その口元は袖に覆われているため、表情を読み取ることはできない。
「この子供は、捕まえた後、麿のスローライフを邪魔した罪で尻をひっぱたくでおじゃる」
「えっ、ひどい」
「……この事件、麿が思うに、黒幕が居るでおじゃるよ」
『マロ』は真剣な表情をしてみせる。子供の悪戯にしては、今回の事件は手が込みすぎている。一方で、何処か杜撰さも見え隠れする。
「くろまく?」
「少なくとも施設の構造を知らねば、今回のようなピンポイントの破壊は出来んでおじゃるよ」
一度ならば偶然も有り得るかもしれないが、二度続けばそれも考え難い。……つまり、最低でも徳施設の構造を知っている人間が関わっていることになる。それは恐らく、村の大人達の誰か。ヤオの言ったように、少年には動機も薄い。人は、自分の置かれた環境そのものに疑問を持つことは難しい。
だが、徳カリプス以前を知る者達であれば。徳カリプス以前の生活と今の生活とを比べ、不満を持ち。徳エネルギーパイプラインで送られている分のエネルギーを欲したとしても不思議は無い。そのために、『マロ』への嫌がらせを計画したとしても、一応の筋は通る。
それでも。『不満を持つ』ことと『行動を起こす』ことの間には、大きな差がある。
村の大人達ならば、仮に『マロ』への嫌がらせを思い立ったとしても、その結果を考えない筈はあるまい。より直截な言い方をしてしまえば、『マロ』の機嫌を損ねれば……集落が滅びるということを彼等は想像できる。
入れ知恵をした大人。実行に移した子供。だが、事件の全体像を知るには、まだ何かが欠けている気がする。『マロ』の何時養ったとも知れぬ勘はそう告げていた。
「ひとまず、牛車を出すでおじゃる。その子供を捕まえて、お尻ぺんぺんの時間でおじゃる」
「その……なるべくやさしくしてあげてね?」
「保証はできんでおじゃる」
仮に。あくまでも、仮定の話だが。入れ知恵をした大人達の向こうに、不満を持つ者達の間を取り持ち、この不和を仕組んだ者が居るのなら。それは紛れも無く、悪意を持った何者かに他ならないだろう。
徳という価値観に浸りきった嘗ての世界で、そんなものが育っていればの話だが。
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