第71話「生命線」
ロボット牛の引く牛車に揺られながら、ヤオと白塗りの男は屋敷を目指す。
「今日も、パイプラインは無事だったよ」
「そうでおじゃるか。パイプラインさえ無事ならば、この里はしばらくは平和でおじゃるよ」
牛車の御簾越しに見える屋敷の敷地には、広大な枯山水庭園が広がっている。
枯山水は、ある種の功徳のバロメータだ。抽象的な庭園は禅の思想を表現し、内的世界を色濃く反映する。
ならば……衛星軌道からすら視認可能な庭園を擁するこの男は、どれ程の徳を積んできたというのか。
「潮の香りがするでおじゃるな」
「ごめんなさい、シャワーちゃんと浴びる暇がなかったから」
「いや、これはこれで……風流でおじゃる」
「マロさんの言うことは、時々わからないです」
「何度も言うでおじゃるが、麿の名前はマロじゃないでおじゃる」
ヤオと、彼女が『マロさん』と呼ぶ白塗りの男。
最初に、男が少女に道を尋ねた。そこから始まった奇妙な関係は、数年を経た今もまだ続いている。平穏な日々の全てを徳カリプスによって失い、塞ぎ込んでいたあの娘は、華やかな笑顔を取り戻した。そして……『マロ』。嘗ての異端の徳エネルギー技術者は、この地に文明を取り戻した。
「……ねぇ、マロさん」
「おじゃ?」
「マロさんは昔、偉い学者さんだったんでしょう?」
ヤオは、マロに尋ねる。
「……昔の、話でおじゃる」
マロはそう言って、目を細めた。遥かな過去を思い返すかのように。
「なのに、どうして今はこんなところに居るの?」
「身体が付いて行かなくなったからでおじゃるよ……研究者も、結局は体力勝負でおじゃるからな。中には、身体を機械で改造する者までおじゃった」
これまでも、幾度か交わした会話だった。その度にマロの口にする理由は違っていた。だがマロはその度に、少女の目が言外に訴えていることを感じ取っていた。
徳カリプス。連鎖的強制解脱現象。徳エネルギーの暴走事故。そのプロセスには、発生から14年が経過した現在ですら謎が多い。
謎を解明すべき徳エネルギー研究者達の大半が、正にその徳カリプスによって輪廻から解き放たれ、この世界から去っててしまったからだ。
真相に辿り着く者が居るとすれば、それは休むことを知らぬ機械知性体達か。或いは……それらに与する、南極に住まうあの男だろう。少なくとも、自分ではない。マロはそう思っていた。
だが、徳カリプスによって両親を、友人を、まだ始まったばかりの人生の全てを失った少女は、その存在によって彼に問い続ける。何故、悲劇を防げなかったのかと。何故、それを解き明かそうとしないのかと。
「研究者は、魔法使いでも魔法の杖でもないでおじゃる。魔法がほしいのなら、予算と時間をよこせ、という話でおじゃるよ……それに麿は、あの世界へ戻るのはもういやでおじゃる」
だからこそ彼は、言い訳めいた答えをその場その場で返すことしかできないでいる。少女の真摯さに報いられずにいる。
「何があったの?」
「麿の学会発表が、回を重ねるごとに段々人のいない時間帯に追いやられていったでおじゃる……」
マロは、おどけて身を震わせるふりをする。
「同じ発表時間帯には、『空海は宇宙人だ!』とかトンデモをわめく、頭のおかしな爺さんしか居なかったでおじゃる……あと懇親会にこの格好で出て以来、なぜか麿だけ誘われなくなったでおじゃる……」
「それは仕方ないんじゃあ……」
他愛のない会話。それですら、朽ちかけた不死者には眩い輝きだ。
「だから麿は、ここでスローライフを送るでおじゃる。世界がどうとか、人類がこうとか、そういうのは他の人間が考えればいーんでおじゃるよ」
それが、彼の結論だった。徳カリプスによる文明の崩壊は、人の無力さを思い知らされるには十分以上の力を持っていた。
無力を胸にを抱いたのは、決して彼一人ではなかった。だが……そこから先の在り方は、異なっていた。徳エネルギー文明の生み出した不死者達は、各々が別の道を歩み始めた。ある者は、人の滅びを悟った。ある者は、ただ眺め続けることにした。そして、彼は、目を背けることを選んだ。
「そんなことより、今日は徳島名物のみかんでゼリーを作ってみたでおじゃる。一緒に食べるでおじゃる」
「そうですね、マロさん」
ロボ牛車が止まる。マロと呼ばれる男の抱えた重荷は、己の為すべきことを為さずにいる後悔は、心の奥で膨らみ続ける。彼女と共にある限り。いつか、彼自身が重みに耐えかねるまで。その命が、続く限り。
終わることのない命と、下ろすことの出来ない重荷。それは、彼のせめてもの贖罪の形であったのかもしれない。重き荷を背負い、己を責め苛み続けることこそが、彼の選んだ身勝手な償いなのかもしれない。
全てを失った少女と、全てを投げ捨てた不死者。その物語の行く末を知る者は、まだ、誰も居ない。
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