第64話「籠に舞う蛍」

 村の地下大徳ジェネレータは起動した。100年の時を越え、人の遺物は息を吹き返した。

 外は暗かった。老人をモニタールームへ残し、少年と空海の二人は地上……偽装発電所事務所のある、眼下に村を見下ろす斜面の上へと戻っていた。クーカイは、万一の戦いに備えるため。そして、少年は己の決断を見届けるため。

 嵐は、いつの間にか止んでいた。眼下に見る村の明かりは、それまでと何も変わらないように見えた。少年は、それを、最後であろう平穏を心に焼き付けていた。空海はそれをただ見守っていた。

 だが、そこには変わらぬ異物もあった。静かに佇む、馬の飾りを付けた多面の観音像をモデルとした赤色の得度兵器。タイプ・バトウ。

 しかし、それは既に動きを止めていた。そして、次の瞬間。

 その機体の内側から、弾けるように光の粒子が溢れ出す。得度兵器の内部に存在する徳エネルギーキャパシタが、大徳ジェネレータの干渉によって破損・決壊したのだ。

「……綺麗な光だなぁ」

 少年は思わず目を奪われた。

「あれこそがブッシャリオン。大気中でコロイド化した徳エネルギーそのものだ」

 いつの間にか二人の後ろに居た老人が、そう口にした。

「祖父殿、もう良いのですか」

「ああ、動作を自動に切り替えた」

「ブッシャリオン……」

 少年は唱える。それは、少年にとっては日常の終わり。それを告げるかのように、コロイド化したブッシャリオンは光を放ちながら宙へ舞い上がり、雪のように地へ降り注ぐ。

 同時に、村の家々の明かりが消え、タイプ・バトウが糸の切れた人形めいて静かに倒れ伏した。

「そうだ。この光が、文明をも滅ぼした」

 老人は続ける。徳カリプス、或いはそれより遥か以前に遡る、衰退の始まり。

いつの世も、技術は幾つもの顔を持つ。多面の仏像のように。徳エネルギーすら例外では無かった。

 エネルギーを失い、機能を停止したタイプ・バトウ。それは今、地面に倒れ伏し……側面の柔和な顔を晒していた。骸の傍らに光る小さな蓮が弱々しい華を咲かせたが、間もなく空気に溶けて消えた。

 蛍めいた徳の光は、村中に空から降り続ける。異変を感じ、起きだした老婆に。眠り続ける赤ん坊に。停電に戸惑いながら、同級生のことを思い悩む少女に。

起きている村の誰もが、空を見上げた。

 いつもなら、満天の星が輝く空。そこには、何もなかった。ただ、暗い人工の天蓋だけが広がっていた。

 その日、『揺り篭クレイドル』は役目を終えた。その内に居た誰もが知った。今までの安寧が偽りのものであったことを。


 少年は、徳の蛍が地面に吸い込まれ消えて無くなるまでずっと見つめていた。老人と空海の二人もまた、黙したままその光景を見続けていた。

 空海は、疲弊した身体に力が戻るのを感じた。降り注いだ徳エネルギーの一部が肉体に吸収されたのだろう。恐らくは……他の村人にも、同じことが起こっている。

「……これからだ。得度兵器が再び訪れる前に、防備を整えなければ」

 空海は呟く。大徳ジェネレータを起動し続ければ、得度兵器の侵入を阻むことはできるやもしれない。地下施設に立て篭もれば持ち堪えられることも出来るやもしれない。だが、それ以上は無理だ。得度兵器は知性を持っている。

どれ程硬い守りであろうと、いつかは破られる。それまでにドームの中に居るであろう覚醒者を探し、纏め。戦うための備えをしなければならない。

「……戦い続けっ他、無ぇのか」

 少年は呟く。

「そうでなければ、死ぬことになる」

 空海は答える。僧兵として戦い続けてきた彼の知る世界は、それだけだ。

 空海の生きた、生きる限り、抗い続ける限り戦いの続く煉獄。そして、少年の生きた仮初の平穏。それは、確かな違いだった。

「答えが無ければ、探してこい」

 老人が口を開いた。少年の迷いを察したのか。

「緩やかな滅びは、その内に居る人間にとっては存外心地よいものだ。だが……外に出んとする者には、地獄だ」

「地獄を、見てこいってのか」

 或いは。少年や村人達にとっての平穏もまた。誰かにとっての地獄だったのやもしれない。いずれにせよ、偽りの平穏は終わった。

「どの道変わらんよ。儂らの先祖には、それが出来んかった。わかっていながら、衰退の外へ踏み出ることは出来んかった。希望を目指すことは出来んかった。『彼女等』とは違ってな」

 だが、老人は言葉を漏らす。

「……それは、もしや」

 村へと足を向けた空海は、その歩みを止めた。人類最後の希望。

「そして……儂らにも。これは、その報いか」

「プラン・ダイダロス」

 あの謎めいた言葉。だが、空海は考える。もしかすると、そこに。村を救うための手がかりがあるやもしれない。

「遠い夢だ」

 老人は答える。夢。田中ブッダも同じことを言っていた。『夢の残骸』と。

「どうか聞かせて欲しい、その夢の話を」

 空海は老人に問い掛ける。

「儂の生まれる遥か以前の話だ。記録は散逸し、儂も全てを知るわけではない。それでも良いか」

 空海は頷き、老人は語り始める。


 それはまだ、人が衰退の坂を転げ落ちる前の。遠い遠い、お伽話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る