第65話「補陀落渡海」

「プラン・ダイダロス。それは種を蒔くための船だ」

 少年の祖父は、ゆっくりと話し始めた。年老いた彼ですら直接は知らぬ、遠い過去の話だ。およそ百年の昔……この地上にその時代を直接知る者は、既にほんの数人しか居ないだろう。

「……つまりは移民船、星を渡る船だ」

「星を、渡る」

 空海は驚きの声を上げる。少年と空海を襲ったのは、疑いを通り越した戸惑いだった。嘗て、人は宇宙にまで版図を広げた。

 それ自体は、異なる教育を享けた二人とはいえ、知識として知ってはいた。だが、それは己の生きる日常の外の話だ。

 片や未来、片や過去として語られる、お伽話だった。

「尤も儂の生まれた頃には、もう撤退しとったそうだが」

「爺ちゃんも、SFの住人だったんだな……」

 少年は思わず口に出す。だが、老人は首を振った。

「村の外のことをよく知らんのは、儂も同じだ。儂らの先祖は、南極移管後の計画には関わっていない」

 南極。

 空海は、田中ブッダの言葉を思い出す。南の果て、未踏の大陸。そこに、彼は居ると言った。

「では、南極のことは……」

「知らん。それ以来、実験施設だったこの村で暮らしとる」

「つまり、この村は徳カリプスよりも以前からあったのですか」

 空海は老人に問う。

 この村自体は、得度兵器によって作られたものではなかったのか。

「無論だ。元は、自給自足の暮らしをしていた。10年以上前、そこへ得度兵器がやって来た。小さかったお前は覚えとらんだろうがな」

 老人は少年に言った。

「……じゃあ、俺の暮らしてた世界は何だったんだ」

 少年は叫んだ。

「大人たち皆して、俺達を騙してたんか」

 安寧が偽りであったことよりも。機械に支配されていたことよりも。

「得度兵器は村を改造した。仲間の多くが死んだ……いや、解脱したのか。兎も角、生き残った儂らは、従う他に選択肢は無かった。この村の中で怯えながら暮らす他無かった」

 選択肢があるだけ、少年は幸福だったのかもしれない。無論、彼自身はそんなことを省みる余裕など無い。祖父の言葉は、言い逃れにしか聞こえない。

「せめて、何か言ってくれよ」

「……祖父殿の言うことは、分からなくもない」

 だが、空海は知っている。得度兵器に怯える人々を。空海達に縋る、奥羽岩窟寺院都市の住民達を。

 空海の街には、縋ることのできる力があった。それは彼等、覚醒者という力だ。だが、もしもそれが無かったならば。力なき人々が機械による支配を跳ね除けることが、果たして出来ただろうか?

「村の話は……後で、ゆっくりとしよう。今は、客人の話が先だ」

 老人は話を戻した。少年だけではない。村には時間が必要だ。平穏の終わりという名の事実を受け入れるための時間。

 だが、その時は誰かが稼がねばならない。そのための術を探さねばならない。

「この村では、どのような研究が」

 空海は改めて問う。地下に眠る巨大施設。活路はそこにあるのかと。

「ここで研究されたのは、ケースCつまりは第三案だったらしい。……徳ジェネレータを使った、完全自給自足型都市による多世代宇宙船だ」

「たせだ……何だ」

「宇宙船の中に、丸ごと村を一つ載せる。人はそこで暮らしながら、目的地を目指す」

 少年の疑問に、老人は付け加えた。それは、補陀落渡海めいた、あてのない旅をするための船だ。

「乗組員自体をエネルギー源にする、と」

 空海もまた補足する。老人は頷く。地下の大徳ジェネレータを見た後ならば、空海にも凡その想像はついた。

「この村では、そのための村を作る実験が行われておった」

「……ならば、そのエネルギーは一体何処へ?」

 地下の大徳ジェネレータでエネルギーを生産する。それはいい。

「村の維持に使われておった筈だが……」

 村の維持に使う。それは無論あるだろう。だが、宇宙船……つまり、移動手段ならば、少なくとも余剰のエネルギーが発生する筈。

 問題は、それが何に使われていたのか。200年前の産物とはいえ、徳ジェネレータの生み出すエネルギーは莫大だ。省エネルギーという概念の薄い時代であろうと、何かに使っていたと考えるのが自然。

「何か、知らない施設が有るのではありませんか」

 空海は老人に詰め寄る。

「確かに、今や内部を完全に把握している人間は居らんが……」

 老人はたじろぐ。彼とて、直接研究に携わっていた世代ではない。施設を管理していただけなのだ。だが、鍵はそこにあるやもしれない。




 それは、確かにあった。

 否、『それ(It)』は、確かにあった、と言うべきか。

 村の遥かに地下、既に誰も知らぬ遺棄された空間に並ぶ、大量の冷蔵庫大の物体。徳エネルギー流体演算器(プロセッサ)。嘗ての人類が産み出した最高水準のスーパーコンピュータ。

 嘗て、研究施設として使われていた時代の遺物。徳エネルギーで稼働する、無尽蔵に近い計算資源。その技術は、今尚得度兵器達の思考中枢にも用いられている。そして、その中身ソフトは……得度兵器達の祖の一つだ。

 だからこそ、この村は。得度兵器達の拠点にある。いや、村に付随する工業プラントから、この地の得度兵器達は始まったのだ。




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ブッシャリオンTips 光定みつさだ

 第六章の主人公。『少年』と本文中では呼ばれている。2010年相当(厳密に同じではない)の時代環境で育ったため、感性や思考は徳エネルギー時代の人間からはかなり外れている。困っている人間を捨て置けない性格。適応力が高い。

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