第47話「儚き決断」

 肆捌空海は、寂滅の中に居た。誰かに呼ばれたような、誰かを呼んだような気がしたが、もう覚えてはいなかった。目の前には壱参空海が倒れている。背中の仏舎利はカタカタと振動を続けている。

 彼の『奇跡』は続いている。雪原。モノトーンで染め上げられた寂滅の世界は拡大を続けている。仏舎利の徳エネルギーと、そしてそれを持つ肆捌空海を動力源として。

 得度兵器の攻撃は、防ぐことが出来たようだ。いや、徳エネルギーで動くあの兵器は、この空間に近付くことすらできないだろう。

 景色が朽ちはじめる。肆捌空海の袈裟もまた、ボロボロに崩れ始める。肆捌空海は、思考する。

(ここは、徳無き荒野どころの話ではない。あらゆるものが生と存在を終えた、の世界だ)

 世界に急速に滅びが迫っている。空間は、拡大を続けている。『奇跡』を絶つには、功徳の源を絶つしかない。

(だが仏舎利を、持ち出せば)

 壱参空海の『奇跡』は暴走状態にある。その徳供給源は仏舎利だ。それを持ち出せば、

(彼は死ぬ)

 暴走した『奇跡』に功徳を瞬間的に喰らい尽くされ、壱参空海は死に至るだろう。

 時間は無い。何故自分がまだ生きているのかすら、疑問に思える。

 壱参空海の奇跡は周辺空間から徳をエネルギーとして吸い上げ続けている。吸い上げ続けた徳エネルギーによって、『奇跡』は拡大する。彼の奇跡はいわばブラックホールめいた巨大な穴だ。

「起きろ!」

 それでも、肆捌空海は壱参空海を揺り起こそうとする。は取れない。そんなことをしてはならない。してはならないのだ。生命を天秤にかけるが如き真似を。

 天秤の片側に乗るは、同胞の命。もう片側に乗るのは、己と……もしかすると、この世界すべての命。

「もう仲間を失うのは沢山だ!」

 あの戦争が始まって以来、幾人もの仲間を失った。残りは僅か七人。そのうちの五人を捨て置いてきた。彼らは既に、引き返せぬ道を歩み続けてきた。

「だから、目を覚ませ!」

 彼は己の決断を悔いた。仏舎利を持ち出さなければ、こんなことにはならなかった。大僧正は正しかった。己の傲慢と欲が故に、命が失われようとしている。

「…………死なせはしない」

 彼は仏舎利カプセルをその場に置き去りにし、代わりに壱参空海を担ぎ上げた。意識を取り戻せば、まだ望みはあるやもしれない。そのためには、僅かでも仏舎利を遠ざける必要がある。この身が何処まで持つかはわからない。それでも、命を切り捨てることだけは。

 仏舎利カプセルは得度兵器の手に渡るだろう。だが、それよりも大切なものがある。

 半ば引き摺るような態勢になりならがらも、彼の肉体に肩を貸し、歩み始める。どんな時であろうと、命を切り捨てることは、あってはならないのだ。


 だがその儚き決断の代価は、果たしてどれ程のものになるのか。


 

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 小さな島国の北で起こった小さな綻びは、水面へ落ちた小石の如く波紋を拡大させる。

「つまりは矛盾だろう」

 データを見るなり、そう田中ブッダは看破した。

「すべてを滅する異能と、何者にも滅されぬ断片が衝突した結果だ。外からの介入無くば、永遠に互いを食らい続ける。いわば裸の異点」

 新たに出現した領域の周囲には北部防衛線から抽出された得度兵器が待機し、包囲網を構築している。物理的解脱を経ることのない寂滅の到来。それは、彼らの存在意義そのものを脅かす事項だ。

「信じ難きは、それが人の手によって為されたことか」

 得度兵器の交戦記録。交戦した機体が破壊されていないため、ログの抽出は比較的容易であった。

 仏舎利カプセルの反応。サーモバリック螺髪ミサイルの使用。徳エネルギーフィールドの反応。そして直後の、領域を拡大する『異界』の出現。

 恐らく、徳エネルギー操作能力と仏舎利が関与した矛盾パラドックス。『異界』については、現在は小康状態にある。問題は、能力者の側だ。

「一人だけ、ということはあるまい」

 仏舎利を蒐集しながら人類すべてを解脱させるには、このレベルの事象を引き起こすと戦い続けなければならないのだ。得度兵器にも根本的な改善策が必要となるだろう。そのためには、やはり『専門家』が必要だ。


 現在生存しているだろうと思われる徳エネルギー専門家は三人。

 徳エネルギー基礎理論の専門家である、田中ブッダ。徳エネルギー流体を応用したアクチュエータとサイバネティクスの専門家、蕭 美齡(シャオ メイリン)。彼女は幾つも偽名を使い分け足取りを隠蔽している様子だが、極東にいるという情報もある。

 そして、最後の一人。徳情報理論、通称『転生理論』の第一人者。彼?彼女?に至っては、何をどうしているのか見当もつかない。

 この三人は、というより、より正確には者達だ。方向性は違えど、嘗ての徳エネルギー文明社会が生み出した、知性と不死性サバイバビリティの怪物達。

「接触を持つべきは……蕭美齡か」

 幸い、彼女は一応ながら孫弟子筋に当たる。加えて……まだ極東に居るならば、『異界』の出現を嗅ぎ付け調査に赴くこともあるだろう。

「ならば、私自身が出向かねばなるまい」

 協力を得られるかは定かではない。それでも、彼女の力が必要だ。


 徳無き者達の街では、ノイラ・H・S。奥羽岩窟寺院都市においては、シャリオン・ノヴァ。嘗ての名は蕭美齡。数多の名を持つ舎利ボーグの女は、本人の意志と関わりなく再び歴史の表舞台へと引き摺り出されるだろう。

 田中ブッダは南極を離れ、極東へと発った。時代の歯車は、ゆっくりと回り始める。



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ブッシャリオンTips 蕭美齡(Lv 1)

ある時は謎の舎利ボーグ戦士。またある時は徳エネルギーの専門家。幾つもの偽名を使い分けている彼女であるが、これが本名である。大変ややこしい。偽名の元ネタはおおむね本名の模様。

ちなみに奥羽山岳寺院都市ではシャリオン・ノヴァと名乗っていた。

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