「例のやつを上空に展開した。いつでも行けるぞ」インカムから羽原紅子の早口が聴こえた。「というか、悪天候のせいであと数分が限度だ。使うなら早く使ってくれ」

「状況は?」

「タラップが上がった。急げよ」

「出港を強行する気か?」

「恐らくな。入管側に動きが……次の角から来るぞ、四人だ」

「見ている」

「見ていないだろう……」

 〈バグワーム〉を射出しコンテナの上に飛び乗る。手早くバッテリを交換。最後のひとつだった。

 接近していた四人の背後に音もなく着地し、忍び寄ってひとりずつ意識を奪う――三人目で気づかれる。拳銃を持った手を掴み引き寄せながら外からの手刀で肘を砕く。奪った拳銃は最後のひとりに向けて投擲。顔面へ的中する。その隙に一足飛びに接近。勢いを殺さず顔面を掴み、足を払って仰向けに倒す。

 後頭部をアスファルトへ叩きつけた確かな手応え。無闇に殺す気はないが、手を抜くつもりもなかった。

「地下の状況は」と道哉は言った。

「敵戦力の分断には成功したが、手が足りない。このままでは再合流を許すことになりかねん」

「灰村に地上を走らせろ。アップダウンがあってもその方が早い」

「……なるほど」

「そこそこでいいとも伝えろ」

「どういうことだ?」

「ダウンでいい。ノックアウトはしなくていい」

「私にはわからないことだな。そのまま伝える」

「いざとなったら、使えるものは全て使うんだ」

「私は反対だぞ」

「佐竹だけのことを言ってるんじゃない。お前が思いつく、使えるもの、全てだ」

「言ってくれるな。君にアイデアはないということか?」

「お前ならいくらでも思いつけると知っている」

 ややあってから紅子は応じる。「最近気づいた。君は大雑把なんじゃなくて、素直なんだな」

「世間話か。そっちは暇らしいな」

「別の回路が温まっているだけだ。……来るぞ。一〇人、いや二〇人以上だ」

「突破する」と応じた時だった。

 西、陸側から爆音が響いた。

 雨音がかき消されるような轟音。空が紅色に染まった。

「入国管理局で爆弾テロ。警察と海保向けの陽動だ。無視して船を止めろ!」

「了解」

 重機を覆う幌を払う。隠していた電動超静音ステルスバイクが姿を現す。黒と灰色基調の都市迷彩が無機質だけの空間に溶け込む。跨り即始動。モータへ動力が通う。

 コンテナの通路から現れた男たち――半数は作業服、半数は野戦服。いずれも武装。弱まり始めた雨の向こうに、彼らは影をまとったフードの男を見る。それが幻なのかと疑った一瞬、男――ブギーマン・ザ・フェイスレスの掲げた右手から強い光が三度、発せられるのを目にする。

 革のグローブを着けた右手の中指に装着されていたのは、指輪型の小型LED投光器である。

 そして上空に展開した七基のドローンの下部カメラが高輝度のパターンをキャッチ。最上位割り込みで書かれた論理回路が走る。「間に合った」と羽原紅子が呟く。ほぼ時を同じくして遠隔操作を解析されてコントロールを失っていたのだ。

 外部入力よりも優先される内部で完結した処理――全ての動力を切って厳重に耐水シールドされた導火線へ着火。

 自由落下。そして〈ファンタズマ〉の一団の中へ。地面に落着する直前に、一斉に起爆した。

 試作段階では特定のマーカをカメラで検知する画像処理だったものを夜間や、悪天候で安定した像が取得できない場合に備えて改良したアルゴリズムである。

 七発の爆音。個人による個人への航空支援。内部に仕込まれた、洗剤と肥料から生成された爆薬が、中国製の購入者特定など不可能なジャンク品脱法ドローンを粉々に破砕する。その爆圧と高速で飛び散った部品が武装した男たちの鼓膜を破り、全身に衝撃を与え、肌と衣服を貫いた。

 爆炎収まらぬ間に男らの間を走り抜ける電動バイク――跨るのは憂井道哉=ブギーマン・ザ・フェイスレス。

 運良く無傷だった男が銃を向ける。するとバイクが急ブレーキをかける。男の眼前で路面をグリップした前輪のタイヤが車体を支え、後輪が浮き上がる。重心を横へ振りながらもアクセルは緩まない――発砲とほぼ同時に後輪のタイヤに殴られる男。

 続いて別の男がナイフを手に接近。製造者不詳の超高出力モータが唸りを上げ、今度は前輪が跳ね上がる。男は顎下を打ち上げられて仰向けに倒れる。

 そして同じ前輪が側面からナイフを構えて距離を詰めていた男に襲いかかる。ウイリー状態の車体を片足で軽く支えつつアクセルを開き続け、後輪を支点に一回転。男は腕で辛うじてガードするもその場に転倒する。すると止めとばかりに空中から前輪が降ってくる――思わず上げた悲鳴が気道を塞がれて途絶える。

 別の男が拳銃を構える。その一瞬前にブギーマンが身を翻す。右足でステップを踏んだまま、左足で繰り出す後方回し蹴り。発砲とほぼ同時に拳銃が弾き飛ばされ、弾丸は雨脚の弱まりつつある空へ消える。男がナイフに手を伸ばすと、その顔面をウイリーサークルで一八〇度転回したバイクの前輪が襲った。

 タイヤ痕を男の上に残しながら急発進。更にひとりを轢き、スライドターン気味に急停止する。横たわる死屍累々――打撲、肋骨骨折、顎部骨折、全身裂傷、熱傷、脳震盪。

 ブギーマンの圧勝。だがその時、憂井道哉は自分に向けられる常ならざる敵意に気づく。

 閉じた目。曖昧になる自分と外界の境目。煙が空中へ広がるように、霧散した意識の一部が、遠く離れた敵意の主を捉える。

 ナイフの突きを躱すように上体を逸らす。すると甲高い銃声。たった今まで頭部があった場所を鋭い風が貫く。背後のコンテナで火花が上がる。狙撃だった。

 急発進。スラローム走行で海側へと向かう。追いかけるようにアスファルトを弾丸が穿つ――寸でのところでバイクの加速が勝る。煌々と灯る照明の下から影の中へ飛び込まれ、狙撃手は標的を見失う。

 痛みに呻きながら立ち上がった数人が発砲するも、テールランプもないステルスバイクは既に夜の闇に溶け込んだ後。ありったけの弾丸を撃ち込んでから、作業服姿のその男はインカムへ怒鳴る。

「突破された! 船に乗せるな!」

 その報を受けた男たち――共有された地点へ急ぎ向かう途中で疾走する黒い影に遭遇した四人ひと組は、慌てて構えて発砲するも、その弾丸は行き先を見失うばかり。

 ブギーマンの予測コース上に車両を集め、即席のバリケードが構築される。だが待つこと数分――彼らの標的は現れない。

 更に数分経つも、一切の目撃情報が途絶えたまま。

 たった今まで次から次へと目撃、交戦、突破、あるいは負傷の報告が上がっていたにもかかわらず、忽然と姿を消す。狙撃手も見失ったという報告を繰り返すばかり。

 誰かが笑う――尻尾を巻いて逃げ出したんじゃないか?

 他の誰かが応じて笑う――今頃その辺で死体になってるぜ。

 笑わない数人――安堵を隠そうともせず銃を下ろす。

 だがその時、彼らの足元にカプセルトイの容器のような球体が転がり込む。実際それはカプセルトイの容器だった。だが、内部に詰め込まれているのは益体もないフィギュアではなく、憂井邸地下で製造された爆薬だった。

 カプセルは背後から来て、男たちの足元を通り過ぎ、車両の下まで転がって止まる。誰からともなく気づき、背後を振り返る。

 誰かが息を呑んだ。誰かが悲鳴を上げた。誰かがライフルを向けようとした手がもつれた。誰かがまだ正面を向いている仲間の腕を引いた。

 全て遅かった。

 爆弾が次々と起爆。車両が浮き上がり燃油に引火。爆音に狼狽える男たちの視界から、たった今目の前にいたはずの顔のない男の姿が消える。炎の揺らめきに溶け込んだような黒尽くめの肢体――ブギーマン・ザ・フェイスレスが踊り狂う。

 誰もその姿を捉えられない。関節、顔面、鳩尾、頭部。徒手空拳の、たったひとりの男に次々と急所を打たれ、武装した男たちがアスファルトに倒れる。ガラスが砕け、樹脂が割れ、銃声があたりに木霊し炎が周囲のコンテナの塗装を焦がす。

 難を逃れたある男は、ブギーマンの手から時折炎が放たれているように錯覚する。彼は銃を握りしめたまま、発砲はおろか狙いを定めることすら忘れる。炎を衣装にして舞う男の姿と、フードの下の暗闇に、目を奪われたのだ。

 炎の揺らめきと波長を合わせるように揺れる黒い包帯。数分前まで何度も言い交わしていたはずの言葉が嘘のように思えた。誰もが言っていたのだ。ブギーマンはただの人、銃も持たずにたったひとりでのこのこやってくる酔狂な阿呆。突破されるはずなどない――まして、一方的に蹂躙されるなどありえないのだと。

 その時、別の男の肩を折ったブギーマンが、上体だけを巡らせて、呆然とするばかりの男の方を見た。

 目がないのに見られていた。炎の熱で目眩がした。そのせいなのか――包帯の隙間から、紅蓮の炎が染み出しているように見えた。

 男は叫びを上げた。その時、ブギーマンは人間ではないと、男は確信した。殺さなくては、殺さなくては、殺さなくては。そう内心で呟きながら、まだ無事だった軽トラックの荷台に取りついた。東南アジアへ出荷される予定だった盗難車のルートを変更し、機関銃を荷台に据えつけて即製戦闘車両テクニカルに仕立て上げたものだった。

 這い上がり、機関銃に取りつく。給弾ベルトの鈍色に輝く弾丸が立ち向かう力をくれた気がした。あれが本当に地獄の淵からまろび出た屍人であるのなら、弾丸の嵐で奈落の底へ送り返してやればいい。

 男は意味を成さない言葉を叫びながら、銃座を回頭させる。

 一〇〇度ほど回ったところで、動かなくなる。

 数度押すも、やはり動かない。

 顔を上げる。

 目の前にブギーマン――銃身を右手が掴んで止めている。

 もう一度叫ぶ。引き金を引く。次々と放たれる弾丸。飲み込まれていく給弾ベルト。反動に男の腕が震える。発火炎が汗みどろになった男の顔面を照らす。だが銃身の長さよりも近くにブギーマンは立っている。それでも撃つ。ブギーマンが近づく。撃つ。ブギーマンが近づく。撃つ。銃声が止む。弾が詰まっている。

 黒いグローブの拳が男の顔面にめり込む。

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