音響閃光手榴弾をあるだけ全部、室内の四方へ投擲。可能な限り室内の全員を行動不能にする。効果範囲と安全圏――地下の蔵のさらに地下で葛西翔平が繰り返した実験の成果は頭に叩き込んでいる。

 だが部屋の中央にいる禎一郎と、そのすぐ側にいる仮面の男と帽子の男は外さざるを得ない。

 既に倉庫へ潜入し東側に潜んでいた憂井道哉=ブギーマン・ザ・フェイスレスの猛攻。北側へ周り、激しい光と音に昏倒する男たちを、放電装置を仕込んだブラスナックルで二秒にひとりのペースで戦闘不能にする。

 一方の灰村禎一郎=ブギーマン・ザ・タンブラーも疾走。武器を取り返すと南側の三名を次々に仕留め、部屋中央を一気に抜けて北側へ。

 フードに黒包帯の亡霊と覆面の曲芸師のアイコンタクト――ザ・タンブラーが走り、ザ・フェイスレスの組んだ手を足場に一気にコンテナの上へ。その一瞬の交錯の間に、ふたりの少年が言葉を交わした。

「仮面は俺が」

「他は任せて」

 標的を捉えられない無為な銃声が響き、倉庫の壁に穴を穿ち鉄のコンテナに火花を散らす。頭上の足場に道を見出し最速で突き進みながら武装した男たちを次々と打ち倒していく灰村禎一郎――そして憂井道哉は、十指を蠢かせて仮面の男へと突進する。

 初手の閃光と音で少なくないダメージを受けた仮面の男=首狩りゾエルの対処は遅れる。サブマシンガンを構えるより早く銃身を払う。ゾエルの手は即座に右腰の拳銃へ――これも手首を掴んで制する。するとあろうことが左腰に佩いた刀をゾエルは左手で抜こうとする。道哉――ザ・フェイスレスのグローブを嵌めた手が柄ごとゾエルの手を抑えた。

 力と力。

 フードで隠した包帯巻きの顔と、不気味な笑顔の仮面が正対する。

「顔は、ある」とゾエルが言った。「隠しているだけだ」

 ローキックの応酬。変則の組手が解ける。即座に拳銃を抜くゾエル。ザ・フェイスレスの蹴りが飛び、拳銃は手から弾かれて床を滑る。ゾエルは間髪入れず、ベルトで吊っているサブマシンガンを取る。

 掃射――暗闇から這い出したような黒い手がゾエルの手首を掴み、弾丸は八方へ飛ぶ。ガラスが割れ、壁を貫く。一発たりとも、顔のない男を貫くことはない。

 再び組手が解ける。ゾエルの手が予備弾倉に伸びる。ザ・フェイスレスの手もベルトのポケットへ――テルミットを仕込んだ金属片を三本まとめて投擲。空中で発火しゾエルの装備へ突き刺さる。

 即座に振り払うゾエル。だが、サブマシンガンを吊っていたベルトが焼き切れ、地面に垂れた。

 弾かれて床に落ちた金属片から火柱が上がり、消える。

 ゾエルが銃を床に置く。ザ・フェイスレスが腰だめに構える。

 タクティカルグローブの手が刀の鯉口を切る。手首を黒い包帯で装飾した手が、破損した電撃ブラスナックルを離す。

 仮面の抜刀。亡霊の突撃。

 魔を払うような白刃と、魂を暗闇に引きずり込むような影が交錯する。

 マスクの下で憂井道哉は確信する――この男、銃より刀の方が遣う!

 まるで木の枝でも振り回すように刀を振るうゾエル。回避は全て紙一重。その剣圧に、怯む。命を奪うためだけに鍛え上げられた刃の存在感が、刃渡りを何倍にも大きく見せる。

 吸い寄せられるのだ。

 人を殺すために鍛え上げられた芸術品。類まれな業物だけが持ち得る魔力。窓から差し込む月光を反射する刃が、死の迫る倉庫を狂気へと突き落とす。

 平突きを躱して膝を打つも、跳ね上げるような刃が下から喉に迫る。袈裟懸けの一振りを躱して腕を取るも、振り解かれて突きが飛ぶ。そして大上段からの打ち込みの懐に潜り込むも、結局は拮抗状態から再び間合いを取られるだけ。

 そして首狩りゾエルは構える。八相を左右反転させたような奇妙な構えだった。

 立ち会う相手を焼き焦がすような気迫が発せられ、風のないはずの空間に風が吹いたかのように錯覚する。これは、なんだ。道哉の塞いだ目に、奇怪な気配が人の形を取って映る。

 強いて言えば、榑林一真の纏う気配に似ていた。だが、決定的に違っていた。一真の拳は他人の命を奪えても、奪うためにこの世に生を受けたものではなかった。しかし首狩りゾエルの刀は、命を奪うためにあるものだった。

 ともすれば、首狩りゾエル自身も。

 殺すために生まれ、殺すために生きる。己自身を殺人に最適な道具に仕立て上げた男が、動いた。

 左脚を引き、切っ先で大きく円を描くように、刀を巡らせる。八相の逆さのような構えから、上段、そして八相へと近づいていく。ぎらぎらと輝く刃。まるで満ちては欠ける月のよう。刀が過ぎ去れば消えるはずの円弧に意識を引かれ、幻像の輝きに、閉じたはずの目を奪われる。

 刃が八相へ。やがて更に下がり脇構えへ。

 目を閉じてようやく開かれた感覚の窓に暴風が押し寄せる。よろめく。ザ・フェイスレスではなく、憂井道哉が足元を見失ってよろめく。

 そして刃が、ねじ曲がる時空へ吸い込まれるように、消えた。

 今だ、と思わされる。

 そこに隙などないにも拘らず、隙があると思わされる。

 相手に精神を誘導されている。同時にその事実に自覚的になる。敢えて相手の領域に踏み込まねば破れないから、敢えて誘導されているのだと自分に言い聞かせる。

 全身の肌が粟立つ。久しく忘れていた感覚に血が沸き立つ。

 恐怖。あるいは興奮。名前をつけられない衝動が憂井道哉とブギーマン・ザ・フェイスレスの背中を押す。

 凍てついた空気が弾けた。

 爬虫類のような速度でブギーマン・ザ・フェイスレスが接近。ゾエルの刃が前に出ていた右脚の影から現れる。掻き取るような形に構えられた左手の一撃がその喉に迫る。ゾエルは僅かに上体を仰け反らせながら打ち込む。手首を返しながら∞の字を描くような二連の太刀筋――刃の風切り音が窓ガラスを揺らす。

 ゾエル/ザ・フェイスレス――互いに健在。掬い上げられた仮面が宙を舞い、切り落とされた黒い包帯の一片が散る。

 そして上段からの突きと、上体がほとんど水平になるような低さからの右の手刀が交錯する、その瞬間だった。

「そこまでよ」と誰かが言った。

 凛と通る、少女の声だった。


 仮面が床に落ち、包帯の切れ端はどこかから吹いた風に舞い飛ばされる。

 刃と拳を互いに寸前で静止させた首狩りゾエルとブギーマン・ザ・フェイスレス。

 武装グループの男たちが銃を下ろし、灰村禎一郎=ザ・タンブラーが物陰から首を出す。

 すべての目線が一点に集中していた。

 倉庫の更に奥。管理室のようなスペースから、場違いに着飾った少女がふたり、姿を表したのだ。

 片や挑発的な笑みを浮かべ、周囲を睥睨しながら靴音高らかに歩く、黒いドレスの少女。片や怯えて身を竦ませ、忙しなく左右を見回しながら覚束ない足取りで歩く、白いドレスの少女。

 遠くに警察車両のサイレン音が聞こえた。

「ゾエル、おやめなさい」と黒い方が言った。「やりすぎよ」

 拳を引く/刀を引く――互いに数歩下がる。

 ゾエルが刀を納めると、三歩下がってふたりの少女の後ろに控える。更にその後ろに〈帽子男〉張本銀治。倉庫に潜んだ男たちが引波のように移動し、少女らの背後についた。驚くことに、武装していない者もいた。あからさまに荒事に慣れていない技術屋然とした男たち。彼らの作業着姿だけは本物のように見えた。

 ふたりの少女は、まるで鏡写しのように瓜二つの容姿をしていた。互いにまだ一〇代の半ばにしか見えなかった。そんな少女たちが、一糸乱れぬ統率力で屈強な男を従えている。有象無象のみならず、首狩りゾエルのような男まで。

 一方のザ・フェイスレス=憂井道哉の傍らには、緩みかけた覆面を直す灰村禎一郎。その手にはどこで拾ったのか拡声器があり、音もなく飛来した一基のドローンから、ボイスチェンジャーを噛ませた声で羽原紅子が言った。

「貴様ら、何者だ」

 黒衣の少女が応じた。「私はまぼろ、この子はすがた。〈幻像姉妹スペクター・ツインズ〉と呼ぶ人もいるわ」

 黒が白を抱き寄せる。ネガポジ反転させたようなふたりが寄り添う様は、ここが朽ち果てた倉庫で、たった今まで仮面の殺し屋と覆面のヴィジランテが互いに鎬を削っていたことまで、嘘にしてしまいそうだった。

 その耽美な陶酔に唾を吐くように、ボイスチェンジャー越しの声が響く。

「名前など訊いていない」

 変わらず黒い少女――幻が応じた。「〈I文書〉を行使する者よ。あなたと同じ」

「一緒にするな」電子変換された声でもそれと伝わるほどに、怒気を露わにする紅子。「我々は例の文書を拾ったが、行使してはいない。むしろあのような悪の方法の撲滅こそが、我々の目的だ」

 紅子と幻、ふたりのやり取りをよそに、武装グループの男たちは武器や通信端末と思しきもの、タクティカルベストやグローブの類までを外し、一箇所に積み上げていく。技術屋風の若い男がその上にガソリンをかける。

「ふぅん。ならあなたのバックドアを用いたWIREへの侵入も、監視カメラへの侵入も、顔認証も、ドローンとドローン制御には認められていない帯域の回線を使った戦闘指揮も、建物制御システムへの不正アクセスも、風説の流布も、すべて〈I文書〉によらないもの?」

 ひと呼吸の沈黙があって、紅子が応じる。「そこまで調べているのなら、我々が例の文書を手に入れるより以前から活動していることくらい承知だろう」

「ええ。あなたたちのことは調べさせてもらったわ」同じ黒なら元々ひとつとでも言うように、蕩けるような眼差しを向ける幻。「ザ・フェイスレス……こうしてこの目で見るまでは、半信半疑だったけれど」

 姿を確かめたのなら、顔を暴けると言われているような心地。ブギーマンの活動から羽原紅子の手口を調べ上げたように。マスクの下に隠した素顔まで見透かされているようで、道哉は内心身震いする。

 そして気づいた。

 ブギーマン・ザ・フェイスレスには、たったひとつだけ弱点がある。

 憂井道哉であるということだ。

「〈I文書〉を集めて、何をする? 例の労働者たちを使って、何をしている? お前のような小娘が、なぜ組織を率いている? 興味は尽きないが」ドローンが高度を上げた。「時間切れだ」

 そうね、と幻が応じる。「また会う時を楽しみにしているわ」

「次が貴様らの最後だ。覚えておけ」

「〈ファンタズマ〉は忘れない」と幻。

「〈ファンタズマ〉」目を伏せたままの像が、初めて口を開いた。「私たちの、名前です……」

 それを合図にしたように、男たちが咳きひとつ立てずに建物の奥へと姿を消していく。ひとり、またひとり。

 像――白いドレスに身を包み、幻の背に隠れていた少女が、マッチを取り出し、擦る。炎を見つめる瞳が、爛々と輝く。表情が、笑い方をたった今思い出したような笑みに歪んだ。

「酷いことしたくないの。降参して欲しいの」マッチを落とす。ガソリンを伝って装備の山に引火する。

 炎が上がる。周囲は可燃物の山。警戒は解かずに、ふたりのブギーマンも後退する。

 幻と像=〈スペクター・ツインズ〉――紅蓮の炎に照らされ寄り添う美しいふたりの少女。この世のものではないかのよう。

「私たちは全てを記録し、全てを解析し、全てを回想する」そう言うと、幻はドレスを翻し、像の手を引いて踵を返した。「行くわよ、像、ゾエル」

 その横に従う〈帽子の男〉張本銀治が、「俺っちを忘れないで下さいよぉ」と情けない声を上げる。

 炎に隠れる彼らの背中をじっと睨む灰村禎一郎。

「……ドローン全基の制御が復旧した。撤退するぞ」と通信機越しに紅子が言った。

「セカンド、撤退だ」道哉は禎一郎の肩を掴んだ。「切り替えろ」

 禎一郎は身体を震わせて応じた。「すいません。ちょっと……」

「どうした?」

「いや、なんでもないっす」まだ〈スペクター・ツインズ〉の消えた方を睨んでいた。

 撤退ルートを早口で指示してから、紅子は言った。

「それにしても、走馬灯ファンタズマか。……縁起でもないぞ」

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