マイクロバスから降車した労働者たちが建物の中へ吸い込まれていく。敷地内には武装した複数の男の姿が見える。朽ちたように見える建物だが外側からの目線はミラーやスモーク、目隠しのネットなどで巧妙に防がれており、内部の様子は窺えなかった。

 売物件と書かれた札の朽ちたモルタルアパートの前庭にある地下への入口からゼファーを隠す。代わりにライトバンに積んでいた完全電動超静音のステルスバイクを下ろす。

 道哉はバイクで地下から接近。禎一郎はライトバンに同乗し地上から接近し、現場の数ブロック手前で、走行中に扉を開けて転がり出る。

 葛西翔平と羽原紅子を乗せたライトバンはそのまま橋を渡って対岸へ走り、川沿いに停車。警察の監視もターミナル駅周辺に比べれば皆無であり、紅子は「これなら問題なかろう」と判断してドローンを飛ばした。

 作戦目標はふたつ。

 労働者の拉致を阻止することと、張本銀治が彼らを拉致する目的を明らかにすること。

 そのためには、敵武装組織を撹乱しつつ労働者を逃がし、警察を呼び、そして張本を尋問する必要がある。

「武装している。気をつけろよ」と紅子。

 全身黒に頭巾つきマント、顔の目から下を黒い布で覆った灰村禎一郎が、フェンスを越えて建物へ侵入する。トタン屋根に飲料メーカーのロゴが書かれた椅子が朽ち、生け垣だった場所とコンクリートの境目がわからなくなるほど荒れている。錆びて穴の空いた煙草の吸殻缶が目に留まる。おそらく、元々は工場で働く人らの休憩所だった場所だ。

 出入口を求め、低い姿勢のまま前進。すると物音がして慌ててダクト配管の影に身を隠す。

 建物の向こうから作業服姿の男が歩いてくる。自然なようで、稼働していないはずの工場に人がいるだけで不自然。

 深呼吸し、十分に引きつけ、マントを翻して姿を晒す。

 彫りの深い、一見して外国人とわかる男の顔色が変わり、腰の後ろの手を伸ばす。おそらくは拳銃。だが禎一郎の方が早かった。

 突進と同時に腰の後ろから新装備――左右一対の電磁警棒を引き抜く。

 肉薄。男が銃を構えるより早く懐へ飛び込み、左の一本を男の腹に突きつけて通電。木の枝を踏んだような乾いた音とともに男が蹲り、その後頭部へ右の警棒を打ち込む。

 葛西が主導で開発していた、禎一郎の専用装備である。市販品の電磁警棒を改造し、耐衝撃性と電圧を強めた。さらによく動き回る禎一郎のため、スーツの腰の後ろに収納用のベルトを設けた。三〇センチメートルほどのリーチはナイフよりも長い。近接で不意を突けなかった時に不利に陥りがちな禎一郎をフォローするための装備だった。

 開いている窓から建物の中へ侵入。廊下のような空間を進み、再び現れた作業服の男の顔面へ、出会い頭に膝蹴りを打ち込む。壁を蹴って躍り上がりながらの一撃――身体が半ば自動的に動く。

 建物中心部へ向かう廊下をすり足で進む。曲がり角越しに様子を窺うと、倉庫のような広大なスペースへの入口をふたりの男が警備しているのが見えた。作業着は同じだが装備はアサルトライフル。タクティカルベストのせいでもはや工場労働者には見えなかった。

 その場に転がっていた塩ビのパイプを投げ込む。

 当然気づく。男のひとりが、銃床を肩に当てて構えつつ接近してくる。もうひとりは、扉の脇から動かない。

 男が、明らかに訓練されているとわかる機敏な動作で銃口と半身を出す。その銃に黒いマントが絡まる。同時に手首がホールドされる。男は、頭巾を被った覆面の男に、顔があることを知る。

 銃口が逸れる。一体の影となった少年――ブギーマン・ザ・タンブラーが躍る。ひとり目の男の膝を足場に一歩。脇腹に電撃を一発。肩を足場に二歩。ひねりを加え、ひとり目の男の武装を手から奪い取りながらの跳躍。宙返りしながらふたり目の男へ肉薄し、空中から両手の電磁警棒を振り下ろす。さらに電撃を与えて無力化。

 ひとつ息をつく――覆面の曲芸師トラペジストの本領発揮。

 ドローンが一基、禎一郎の背後についた。

「よし、侵入しろ。張本を探すぞ」

「多少、騒ぎを起こした方がいいっすか?」

「それはファーストに任せておけ」言うが早いが正門の方面から激しい破裂音が轟く。「そら、始まったぞ」


 とにかく音を上げて威嚇する。炭化水素の強力な酸化還元反応を利用した爆弾を三ついっぺんに投げ、同時に何の変哲もない市販の発煙筒と、洗剤などを原料に製作できることから台所爆弾とも渾名されるタイプの爆弾に時限装置を仕込んだものを複数セット。これで遠からず警察が来る。あとは時間との勝負である。

 煙に紛れて正門から堂々と建物内へ侵入する憂井道哉=ブギーマン・ザ・フェイスレス。

 建物外を警備する人員は拳銃程度の装備だったが、建物内ではアサルトライフルだ。鳴り響く銃声。一発たりとも顔のない男を捉えることなくガラスや壁へ突き刺さるライフル弾。

 こちらの姿を見た五人の敵を全員倒し、ごく小さな応接室のような部屋へ身を隠す。待つこと一〇秒。正面玄関付近に仕掛けた爆弾が爆発する。建物が震え、埃が散る。

 明らかに日本語ではない怒号を上げて、扉一枚向こうを男たちが通過する。そして彼らの背後でゆっくりと扉が開く。最後尾のひとりが物音に気づき、振り返る。すると彼の目には、フードを被った全身黒尽くめの男が映る。そしてフードの中で揺れる黒い包帯と、吸い込まれるような暗闇が。

 もう遅い。

 こじ開けた一瞬の隙を、超小型テルミット焼夷弾が仕込まれた金属片が貫く。三人の男の手首、足首、肩に突き刺さって発火。驚愕する男たちにあえてゆっくり歩み寄り、急所を打って武器を奪う。

「〈帽子男〉は。どこにいる」

 インカムから紅子の声。「まだ見つからない。君は二階へ向かえ」

「労働者らか?」

「ああ。見る限り武装した男らに囲まれている」

「拘束や暴行は?」

「全員、手を頭の後ろで組んで蹲踞の姿勢だな。崩したら殴られている。――まずいな」

「どうした?」

「通りの監視カメラにミニバンが数台映った。接近している。室内にも動きがある。急げ」

 階段を駆け上がる。踊り場に差し掛かったところで上がりきった二階のフロアめがけて威嚇用の爆弾を投げた。

 激しい炸裂音。一気に二階へと雪崩込み、最初のひとりの脚を払って顔面へ一撃。室外の警備は二名。ふたり目が同士討ちを恐れて発砲を躊躇する間に接近。銃口を払い、顎に掌底を打ち込む。

 元会議室らしき室内に二名の敵。ひとりが廊下へ出てきたところで鳩尾に肘をめり込ませる。炭酸飲料のボトルを開けたような間の抜けた声が男の口から漏れる。

 室内へ突入――かつて椅子だったらしき金属を掴んで投げる。

 椅子を顔面に受けた男が体勢を崩す間に肉薄。銃を持った手首を掴み、膝を崩し、倒して寝技に持ち込む。男の呻き声。ハングル語の叫び。構わず、腕を極めて折る。さらに顔面を殴って倒す。

 室内には一〇人ほどの労働者。うちふたりは頭から血を流して倒れ、意識がなかった。三人は身体のどこかを抑えていた。そして全員が、怯えていいのか喜んでいいのかわからないような目を、顔面を全て覆ってフードを被った黒尽くめの男へ向けていた。

 足元に注射器が転がっている。毒々しい赤い色の液体がシリンジに残っていた。針を抜き、注射器を回収する。

 外への道を指差す。すると、それで全てが許されたかのように、汚れた身なりの男たちは一斉に階下へと殺到する。

 すると、セカンドこと禎一郎の息急いた声。「〈帽子男〉を発見。単独だ……仕掛けます!」

「深追いはするな。俺もすぐに行く」

 急げよ、というおざなりな一言に継いで、回線を一対一に切り替え「妙だな」と紅子が呟く。

「どうした?」

「車から戦闘員が出て来る。労働者を乗せて連れ去るつもりではないのか?」

「逃走手段は別に確保しているんだろう。ナビしろ」

「君も大概人使いが荒い……」いつものように憎まれ口で応じた紅子は、だがそこで声音を変えた。「おいおいおい、ちょっと待て。なんだこれは。まさか……」

 羽原紅子の動揺。常ならざるその一事が、道哉をも動揺させる。「おい、どうした」

「ドローン六基が制御不能になった。くそ、警備用のドローン制御電波の撹乱装置だ。自律飛行させている機体が全部やられた」

「どういうことだ」

「一基は通常ドローンには使わない帯域なんだ。それを母船に子を六体、一般的な帯域を使って制御している。それらをやられた。母船は移動体通信と同じ帯域だからまず問題ないが、時間をかければチップの癖を解析されるおそれもある」

「つまり、一基残してハッキングされた?」

「概ねその通りだ。君に随伴させている一基だけが……」自分をチューニングするかのように調子よく喋っていた紅子は、急に言葉を切った。

 同時に道哉も気づいた。

「撹乱装置?」と道哉。

「連中は予め用意していた。つまりこれは」と紅子。

「罠だ」

「急げ憂井。灰村が危ない!」

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