同じ日の夜。憂井邸地下の秘密施設に、チーム・ブギーマンの全員が集合した。パイプ椅子やドラム缶、緩衝材を詰めた段ボール等、めいめいの椅子に腰掛ける一同を前に、一番値の張る回転椅子に脚を組んで腰掛けた羽原紅子は、手の指を二本立てた。

「軸は二本だ。ステッカーと、土橋信幸」

「ステッカーについては、俺が調べますよ」灰村禎一郎が、丸椅子の上に片腕で逆立ちして見事にバランスを取りながら言った。「そういうのに詳しいやつを知ってます。ストリートはネットより速いし、ネットでは見えないストリートもありますから」

「信用できるか?」

「サカグチくんでしょう?」と怜奈が口を挟んだ。「黒爪団事件の被害者のグラフィティ・アーティスト。今は回復して活動再開してるの。彼なら信用できると思う」

「はい。サカグチと……後はパルクール仲間っすね。みんな街の変化に敏感ですから」

 珍しく感心した様子で紅子は目を瞬かせる。「なるほど自分たちの足元の観察は怠らないというわけか。憂井、君もそれでいいか?」

「灰村の友達なら、問題ないだろ」

「あ、灰村くん。来週あたりちょっと時間を貰えるかな」と段ボールに腰掛けた葛西翔平が言った。サイズの合わない白衣の裾が床に触れていた。「君のための新装備が上がる。試して欲しい」

「了解っす」

「よし。で、一方の土橋の方だが……気に入らんが、またやつに振ることにした」紅子はウェブ通話システムのマイクミュートを解く。「おい猪瀬、聞こえるか。先刻送った写真の男だ。直近三ヶ月の足取りを追って欲しい。特に山谷のドヤから姿を消す直前を重点的に当たれ」

 しょげた女の声がスピーカから返ってくる。「って名前つけたの、そっちでしょうに……」

「だったか? 名前なんてノリだからな、基本的には」

「依頼は了解。似たような仕事がある場所に検索を絞る。既に受け取っている顔認証アプリケーションで大丈夫だと思うさね」

「依頼と来たか。もう本格的に探偵だな」

「お代は……」

「やりがいと充実」と紅子は即答して、ややあってから続けた。「これが片付いたら食事にでも行こう。今度はスタンガンなしでな」返事がある前に紅子は通話を切った。一同へと向き直る。「我ながら二枚目専用の台詞だった」

「あたしはどうすればいい?」と怜奈。

「怜奈くんの出番はまだ先だ。土橋の関係先か、例のステッカーの配布元がわかれば潜入してもらう」

「了解」

「俺は?」

 つられて口を開いた道哉に、紅子は呆れたような溜め息で応じた。「いつも言っていることだが、君は家に帰れ。覆面ヴィジランテ活動などしていない普通の男子高校生として振る舞うことが、今の君の最大の任務だ。……なんだ、不満気な顔だな」

 いや、と相槌を打ち、道哉はスキンヘッドにP印が回転し続けるモニタを睨んだ。「気味が悪いんだ。ただ、ひたすらに気味が悪いんだよ」


 地下を移動し彼らなりの出口から撤収する羽原紅子と葛西翔平、そして樹木から塀を越えて夜の住宅街へと消えていく灰村禎一郎。彼らとは対象的に、片瀬怜奈は堂々と憂井邸を出た。

 勝手口を閉じる。時刻は夜の八時頃だった。

「誰かに見られたら、都合悪くないか?」

「他のみんなはともかく、あたしがあんたの家から出てくるのは、別に問題ないでしょ」

「そうか?」

「同級生には大体バレてるし」

「え、嘘」

「いや、憂井道哉と、片瀬怜奈が、その、何。特別な関係ってことは」

 数秒、呆気にとられて沈黙してから、道哉は応じた。「上手に嘘をつくコツは、本当のことを含めること」

「そういうこと」

「不愉快じゃないのか?」

「あたしにばっかり、言わせるな。むしろそれが不愉快」

「ごめん」

「謝って欲しいなんて言ってない」

「最初は可愛い子だなと思った。次に変な人だなと思った。そのうち、この人と俺が同じものを見たら、同じことを感じるんじゃないかと思った。怜奈の言った言葉が、俺の気持ちそのもののように沁みることがあった。その頃他の人に、君らには君らしかいないんだって言われた。ああ、そうだったら嬉しいなあ、って思った」

「ふぅん」彼女は涼しい顔だった。「もっとシンプルに」

「それは無理だ」

「どうして」

「言い表したら失われるものがあるような気がして」

「……気持ちはわかるけど」

 返す言葉が見つからず、道哉は大股になる。ちょうど、大通りに出る交差点だった。

「方面反対だよな。悪い。送ってはいけない」

「大丈夫。鍛えてるし」片手をL字に挙げる怜奈。「またハト仮面が出てきたら呼ぶから」

「あれともう一回やりあうのは嫌だよ……」

「そんな顔しなくても」釣られて苦笑いのまま、彼女は背を向けた。「じゃあね」

 彼女がどんな言葉を望んでいるのかはわかっていたし、それが言えない理由も彼女には全部見通されている。互いの中に互いがいる今だけに許された贅沢な関係にずっと浸っていたかった。

 車が行き交い、ファミリーレストランやラーメン店はあっても飲み屋の類はほとんどない、国道沿いの道を、一時間ほどかけてのんびりと歩いた。学校からの帰り際に怜奈に呼ばれて現場へ向かったために、バイクを学校に置いたままだった。

 背の低い住宅街でも、今時珍しい純和風建築で平屋の榑林邸は目立つ。だが、建物が指定文化財であることはあまり知られていない。道哉自身も、怜奈に教えられるまで知らなかったのだ。

 門扉を潜り庭を横切り、玄関へ足を踏み入れたあたりでスマートフォンが鳴った。

 ただいま、と室内へ声を掛けると、榑林一真が足音もなく姿を見せる。防寒に関心がなさそうな、藍色の作務衣姿だった。

「おや、放蕩息子が帰ってきた」

「俺、最近はちゃんと帰ってますよね」

「日頃の行いが悪いからなあ」呵々と笑う一真。「一花がお待ちかねだよ」

 とても目が不自由とは思えない確かな足取りで居間へ向かう一真。

 道哉は着信を確認する。羽原紅子から、短いメッセージだった。『全員、今すぐテレビのニュースを確認しろ』と書かれていた。

「ん、どうした、道哉」一真が足を止めた。

「一真さんは知らないだろうけど、バイク用の靴は脱ぐのが面倒なの。一真さんは知らないだろうけど」

「この世にはまだ僕の知らないことがあるんだねえ」

 呑気な一真の目が、スマートフォンを見据えていたような気がする。この男には見えていないとわかっていても、見られていると感じてしまう。それが榑林一真の魔力だ。

 もしかしたら、本当に見えているのかもしれない。夜毎ブギーマン・ザ・フェイスレスとして街を駆け、数々の強敵や銃で武装した男たちと目を塞いで渡り合ってきた道哉でさえ、一真相手の立ち合いでは一度も勝てたことがない。練習という体を取っていても、道哉の方は、常に全力のつもりにもかかわらず。

 着替えてから何事もなかったかのように居間へ入る。テーブルではジャージの上から厚手のどてらで備えた榑林一花が、湯呑みを中心に丸くなるようにして、目線だけを道哉の方へ向けた。

「道哉さん、お帰りなさい……あ、まだ色々お鍋に入ってるので適当に温めてください……」

「連絡すればよかった。ごめん」

「いえー、いいんですよ。あと冷蔵庫にサラダが」

 いつも通り、と自分に言い聞かせ、道哉は台所に入りコンロの火を点ける。「あの、一花ちゃんちょっと丸くなった?」

「実は二キロ太りまして……」

「そうじゃなくて」道哉はあえてわざとらしく首を傾げてみる。「テレビ点けていい?」

「いいれすよー……ポチっとな」

 以前の一花なら、食事中のテレビは禁止、と息巻いていたように思う。冬のせいなのか、少し丸くなったのは間違いない。もちろん体重ではなく。

 食卓では一花がチャンネルを次々切り替える。台所に立つ道哉の手元では、肉じゃがと味噌汁が温め直されていく。

「何か観たいのあるんですかー?」

「いや?」さり気なく切り出す。「ニュースとかでいいや」

「はーい」

 一花がリモコンを置いた。チャンネルはNHK、流れているのはニュース映像だった。

 大森海岸駅前での不審死に関する続報だった。アナウンサーが淡々と読み上げる文言に、道哉は我が耳を疑い、そして羽原紅子が緊急連絡を飛ばした理由を知った。

「先程速報でお伝えしました、東京・大森海岸駅前で男性の遺体が発見された事件。捜査関係者の話によりますと、亡くなった土橋信幸さんには、急性被爆に似た症状が見られ、警察では被爆の経緯、直前までの足取りについて調べを進めています。繰り返しお伝えします。先程速報でお伝えしました……」

「道哉さん、焦げてません?」と一花。

「え? うわ、やばいやばい。燃えた、玉ねぎ燃えた」

「もー、わたしがやりますから。そんな生活力ないんじゃ駄目ですよ」

 椅子から立ち上がって背伸びする一花。

 慌てて火を弱めながらも、道哉は意識をテレビの方へ向け続ける。

 事件現場を歩くキャスターの映像。駅と通りを再現した模型。視聴者提供の映像は、紅子が送りつけてきたものと同じだった。

 そして、安堵していいのかわからない一言が聞こえた。

「なお、大森海岸駅周辺の放射線量は平常通りとのことです」

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