第3話 疾走

episode 3 "LACK OF SPEED"

「連中は加減というものを知らないからな」耳元のインカムから紅子の声がした。「抗争も新宿なら警察の目が厳しいが、周辺地域へスプロールされると困るんだよ。いいな憂井、報復の連鎖とやらに後ろから膝かっくんをカマすぞ」

「言い方を何とかしろ」

「相手は五人だ。路駐してるライトバンの中で待機している。……店内はどうだ?」

「彼らの仲間のひとりが、スナックの店内で彼らの標的を監視しているみたいだ」

「受信は音声でも発信はテキストでと言ったろう!」

「先生……あなたは今どこに?」

「同じ店のトイレ。……おぇえ。焼酎はだめだ」

 葛西翔平。化学室炎上事件から三週間が経ち、夏休みもほぼ終わりに近づいた頃、道哉は彼からの連絡を受けた。『ぜひ協力させて欲しい』という返答だった。

 曲がりなりにも数日前まで警察の取り調べを受けていた男だ。紅子は連絡を取り合うこと自体に難色を示したが、葛西が提供するという物資の内容を知って眼の色を変えた。

「尾藤が動いた。店を出たぞ。葛西、貴様わざわざ前線まで出張っておいて何だそのザマは」

「あー……監視してた韓国人風の男がやや遅れて今店を出て行ったよ」

「トイレを出たのか!? 人目につくところでは人目についてもいい手段で話せと……」

 おそらくは耳にインカムを着けたままだった葛西からの音声入力がノイズになる。ややあって、今度は携帯電話の回線を介した声が聞こえた。WIREが提供している無料通話システムを紅子が勝手に流用した、プライベートな通信だ。

「韓国人風の男が尾藤をつかず離れずで尾けてるね。あ、何か連絡しているよ」

「車内に動きがあった。周辺クリア。憂井、出番だ」

「了解」

「気をつけろよ。どうやらその連中はよそで一仕事してきた帰りのようだ。標的である尾藤が姿を表したから急遽駆けつけたみたいだぞ」

「どちらにせよ、俺のすることは同じだ」

 地下から梯子を登り、偽装マンホールの蓋を開いて地上へ。路肩に停めておいたバイクに跨り、走る。距離はほんの数分。違法な改造の結果、ヘッドランプは任意で切れる。

 上空にドローンを飛ばしている紅子から刻一刻と状況が告げられる。ライトバンの扉が開き、中から数人の男が現れる。うちふたりは拳銃を所持。彼らの標的は、たった今スナックを出た指定暴力団構成員、尾藤だ。

 二週間ほど前、新宿の中華料理店前で発砲事件があった。撃たれたのは尾藤の舎弟にあたる川口という男。そのさらに数日前に息の掛かった店からみかじめ料を徴収しようとして、外国人マフィアの構成員と小競り合いを起こしていたのだという。

 撃ったのは、新興のコリアンマフィアである『三星会』の構成員。昨今、彼らによる、外国人が経営する店の管理を指定暴力団、つまり日本のやくざから奪おうとする動きが活発化しており、似たような刃傷沙汰は増加傾向にあった。だが、発砲に至るのは珍しい。

 そして尾藤が血の気の多い男であることが災いした。どこの馬の骨ともしれない朝鮮人どもに嘗められっぱなしでは終われないと息巻いた彼は、短慮にも報復を行う。当然、彼は組織から謹慎を命じられ、しばらく東京を離れることになったが、その前に馴染みの女がいるスナックに顔を出しておこうとここを訪れた。すべての動きは三星会側に察知され、WIREで積極的に連絡を取り合う三星会の動きを紅子が監視。襲撃計画を阻止すべく、道哉も動いた。

 五人の男たちの前に躍り出てバイクを急停止させる。妙に静かな排気音でランプも点けずに現れたバイクに驚く五人。それもそのはず、そもそも排気というものがない。紅子が用意した、電動バイクだ。外装・内装ともに改造を加え、安全や乗り心地を求めるライダーのために搭載されている発音機構をすべて切った。その際に紅子が参考にしたのは、バイクライフへの理解のない妻や子供からの苦情に悩むある父親がネット上に公開していた改造記録なのだとか。

 道哉が降車。男たちが何事か怒鳴りながら武器を掲げる。

 その時、上空から一枚の布切れが落ちた。

 男たちの視界に重なったそれは、黒い包帯だった。

 一瞬の隙が生じる。その間に、黒い影となった道哉が肉薄して拳銃を持った男の腕を取り、肘関節に打撃を加えた。

 呻く男。続いて鉄パイプを持った男の懐に飛び込んで掌底を打ち込む。

「音声認識……韓国語で『出たな、顔なし野郎』と言っていたぞ」

 紅子の軽口を聞き流しつつ、突き出されたナイフを躱す。すると、他方の男が拳銃を構えた。

 格闘では間に合わない。

 舌打ちしつつ、ベルトに備えていた、スティックのり大の筒を取り出し、スイッチを押して投擲。

 アスファルトにぶつかる。その直後に起爆。

 住宅街の裏路地に、強烈な閃光が走った。

 これが、葛西がもたらし、紅子が目を輝かせたものから生み出された成果のひとつだ。

 葛西は、化学室が炎上したあの日、室内にあった強力な酸化剤や還元剤、可燃物の類を持ち出し、ロボット研究会の部室へと隠した。それらは化学室とともに炎上したことになり、結果として道哉らはどこにも購入記録を残すことなく、危険な化学物質を扱えるようになった。

 金属マグネシウムの粉末に着火剤を混ぜ、スイッチで着火する機構を組み込んだ、手製のフラッシュグレネードだった。

 殺傷能力はそう高くない。金属マグネシウムの急速な酸化反応に伴う発光で、視界を奪うことが目的である。そもそも顔をすべて覆面で覆った道哉=ブギーマンは、何も見ていない。

 目を押さえるふたり目の拳銃男に悠々と近づき、真正面から顔面を殴って拳銃を奪う。大振りなバールを持ったままよろめいている男の膝を崩し、明後日の方向へナイフを向けている男の鳩尾を打つ。

 そして、立ち上がろうとしていた最初の拳銃男の首筋に手刀を入れ、道哉は構えを解いた。

 葛西からの通信が入る。「尾藤、無事タクシーを拾ったよ」

「あれはあれで悪党だから、結果的にとはいえ助けたのは癪だ……ん?」

 何かに気づいたらしい紅子の怪訝な声。演出のため敵の前では声を発することができない道哉は、上空のドローンを見上げる。

「どうしたの?」と葛西。

「いや……憂井、ちょっと連中の車のトランクを開けてくれないか。中で何か動いた」

 言われて車に歩み寄る。まだ誰か潜んでいるのか。近づいてみると、確かに何者かの気配があった。だが、敵意は感じなかった。紅子のドローンが道哉の肩に乗った。別の一基が、下部から伸ばしたアームで発光を終えたフラッシュグレネードの残骸を回収している。

 手をかけ、トランクを開いた。

「……何だこれは」カメラ越しに状況を確認している紅子の声が震えた。「子供か。連中、まさか誘拐を?」

 猿ぐつわを噛まされ手足を縛られた、十歳位の少女だった。黒い癖のある髪に、浅黒い肌。見慣れない、彫りが深い顔立ち。日本人ではなかった。

 拘束を解いてやる。

 すると少女は、叫ぶでもなく泣き出すでもなく、眼前の黒ずくめの男へじっと視線を向けたまま、車内を後退りした。細い身体が震えていた。

 紅子はひとつ息をついた。「撤退だ。これ以上は周辺住民に通報される」

「でも……」

「撤退だと言った。Aルートから四番の偽装量水器口を使って君と車両を回収する。急げ」

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