事態は混迷の一途を辿っていた。

 警察にしてみれば、喧嘩の通報を受けて駆けつけてみれば少年らが倒れていて、そのひとりが覚醒剤を所持していた。それだけの事件なはずだった。だが彼らは、こう主張する。『黒ずくめの男に殴られた』と。

 彼らには心当たりがある。噂もある。だが警察や大人たちには理解できない。自殺したクラスメイトの亡霊に復讐されたなど、まともに取り合うはずがない。

 一方で、学校は『物証』を元に動いたらしい。いじめの事実を認め、自殺との因果関係を考慮に入れて調査を進めるとマスコミに向けて発表した。

 休校の最終日。

「当たり前だ!」と羽原紅子は高笑いを上げた。「今頃警察も困惑していることだろうさ。ま、我々にとっても覚醒剤は予想外だったがな。いじめの告発と、いじめ行為が野崎悠介の自殺と因果関係があったのではないかと問題提起するのが目的だったんだ」

「すごいことになっちまったな……」乾いた笑みで道哉は応じた。「ちょっと怖い目に遭わせるくらいのつもりだったんだが」

「やりすぎたのは君だろう」

「向こうが何かを出してきたんだ。危ない武器を」

「危ないって、ただのナイフだろう……ああ、そうか。君は見えていないんだったな」

 道哉は思わず押し黙った。

 その日、道哉はまた、羽原邸のガレージへ招かれていた。休日の彼女は何だかピアノの発表会のような服を着ていて、そしてガレージの中に入るといそいそと白衣を羽織った。

 WIREの画像が警察の手に渡ったのか、確認は取れていない。だが、既にネット上の話題は「佐竹純次らに暴行を加えた何者か」に辿り着いていた。

 だがメインは、やはり「高校生に迫る薬物の魔の手」だ。北朝鮮から流入し続ける薬物やそれを国内流通させる韓国・中国系マフィア、日本のやくざ。佐竹純次が在日韓国人の三世を中心とし、新宿周辺で勢力を伸ばす新興のマフィアの構成員とつながりがあったことが明らかにされた。オリンピック以来の観光客増加、移民受け入れ、そして外国人犯罪の増加と結びつけて語られる言説は、もはや事態の正鵠を射ているとは言い難かった。私たちの子や孫を外国人から守る、と臆面もなく言い放つ報道番組の出演者には、さすがに呆れるばかりだった。

「しかし……これは、もはや中傷だな」と端末片手の紅子はぼやく。

 どこからか、ネット上には佐竹純次の生い立ちが暴露されていた。

 母親は、不法入国した韓国人。当初は新宿歌舞伎町のマフィアの息がかかったクラブで客を取る街娼だったが、浄化作戦で都下各地に散った他の中国、韓国人娼婦らと同様、彼女も近郊の地方都市へ移った。そこで同じく体を売って生活していたが、生でやりたがる日本の男との避妊に失敗し一子を授かってしまう。

 歌舞伎町のように充実した闇医者のコミュニティなどがあるわけでもない。堕胎するにも病院へ行けず、出産。男や友人の家などを渡り歩く。だが一念発起し、風俗から足を洗い、独立。食品工場で働き始める。父親の方も無視していたわけではなく、十分ではないが金を渡していたらしい。

 しかし、同僚の主婦に不法滞在者であることを警察に告発され、旅券法違反で強制送還。子供である順次は、父親が引き取った。

「テレビも、ネットも、朝鮮民族の血を引いていることへの中傷ばかりだ。人種差別だぞ、これ」

「人種差別、ね」口に出して、言葉を噛みしめる。

 右を見ても左を見ても、同じ言葉を話し同じ肌の色をした人間しかいない場所に育った道哉にとっては、浮ついた言葉だった。

 紅子は舌打ちした。「私たちは、こんなことをしたかったわけじゃない」

「あいつ、言ってた。『俺は、奪われる側じゃねえ』って」

「何のことだ」

「佐竹だよ。奪われるくらいなら、奪う側でい続けるって、そう言いたかったんだろ」

「やつに同情でもしているのか? 拳を交わしたからか?」

「ボーイズラブの読み過ぎだ、阿呆」

「んなっ……」

「同情はしてねえよ」

 紅子は咳払いする。「当然だ。そんな身勝手で誰かを傷つけることは、許せない」

「でも、人と人が関わるということは、奪い奪われるということだよ。完璧に孤独でない限り」

「我々は作り上げたじゃないか。完璧に孤独な存在を」

 道哉は顔を上げた。「どういうことだ……?」

 妖怪のようににやりと笑うと、紅子は手にしていた端末の画面を示す。ソーシャルメディアのリアルタイム検索画面だった。

 キーワードは、『ブギーマン』。

 学校内で行われていた陰湿ないじめの主犯にして覚醒剤を所持していた非行少年を打ちのめした何者かには、いつの間にか名前がついていた。名無しという名が。

「奪われ傷ついた者の肩に手を置く、完璧に孤独な存在。名もなく顔もない彼は、誰とも関わらず、ただ闇の中へ溶け込むのみ。そういう存在のことを、何と言う?」

 挑発的な上目遣いの紅子。

 道哉は笑みを返した。

「正義の味方だ」



――――――――――――――――――――――――――――――

Boogieman: The Faceless episode 1 "THE FACELESS"

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る