⑪
怒りを蓄えろ。
そう自分に言い聞かせる。
授業中も、クラスメイトとの会話をやり過ごしている時も、榑林一花に料理のうんちくを聞かされている時でさえも、道哉はその場にそぐわない感情を蓄えている。
誰も戦えないなら、誰かが、戦わなければならない。
週明け、島田が金を脅し取られている現場に遭遇した。
そのときは見て見ぬふりをした。後で紅子と組んでWIREの投稿を盗み見たり、校内に仕掛けているという盗聴器を通じて会話を盗み聴いたところ、押しつけられたブランド品でもないアクセサリの代金として法外な金額を請求されているようだった。その額、実に十五万円。道哉も写真を見た。安っぽい金色のブレスレットだった。
「彼がこれまでに強請られた金額の合計はわかるか?」
「わからん」と紅子は腕を組んでしまう。「返済記録がないからな。島田が控えていればあるいはというところだが。だが生意気にも、借用書の方はあるぞ」
佐竹の仲間の一人が用意した借用書のようなものに、島田はサインを強要されていた。手書きの、書類ともいえないような紙切れだ。
その仲間は、書類を写真に収めてWIREにアップロードしていた。記述を見るに、原紙は佐竹が保管しているようだった。
「上着の懐に入れていたぞ」と紅子。
「どうやって知った、そんなこと」
「教室で見せびらかしていたからな。こちらが体育の時間に奪え」
「簡単に言ってくれるよ」
思えば紅子は2組だ。お前がやれ、と言いたいところをぐっとこらえ、道哉は数日後の授業中に、トイレへ行くふりをして2組の教室へ立ち入った。手袋をつけて椅子にかけられている佐竹の上着を探る。果たして、写真で見た通りの手書きの借用書が入っていた。
そのまま破り捨てそうになるところをこらえ、証拠品としてビニールの袋に収めて持ち帰る。
左腕の怪我も完治に近づいていた。湿布と包帯はほとんど大事を取っての飾りだった。
その日のうちに紅子と放課後にファミレスで落ち合い、件の借用書を渡した。
すると紅子が切り出した。
「週末、支度が整うぞ」
「支度?」
「君の戦装束だよ。私の家に来い」
「家? お前の?」
「私はお前なんて名前じゃないと、何度言わせるんだ」紅子は身を乗り出し、声を潜める。「まずは、ひとり。次にもうひとり。構成員のうち数人を、ひとりずつ襲撃する。そして恐怖を煽り、やつらを集合させ、一網打尽にする」
「煽るって、どうやるんだ」
「そこは私の専門分野だ」彼女は子供のように笑った。
そして週末。
招かれて、電車を乗り継ぎ訪れた羽原邸は、意外にも、榑林の道場がある場所から徒歩二〇分ほどの距離だった。バスのほうが近かった。外観は、いかにもお金持ちの家という風情。古くからの大豪邸のような高い塀や生垣はないが、建売にありがちな画一性もない。デザイナーとよく相談して建てられた一品物の家のように見えた。停まっているのは小ぶりの外車。横に見覚えのあるスクーターがある。
「シティ・アドベンチャーだっけ……」
呼び鈴を押すと、羽原紅子が顔を出した。制服の時とは違う、黒縁のクラシックな眼鏡だった。ポニーテールのなりそこないのような髪型はいつも通り。
上がるなり開口一番「茶は出ないぞ」と紅子は言った。家族は不在のようだった。
室内は、知育玩具とも何ともつかぬインテリアが目立つ。壁に大判のカレンダーが貼ってあるかと思えば元素周期表だった。親の姿はともかく、この家にしてこの子ありだと道哉は思った。
「どうした?」
「いや……変わった趣味だな、と思って」
「そうか?」彼女は居間から地下の部屋へと降りていく。
辿り着いたのは、コンクリート打ちっぱなしのガレージのような場所だった。立ち込めるオイルの臭い。当たり前のようにPCのモニタが四枚壁に据え付けられている。壁面には無数の工具。キャスター付きの台には大量のボルト類が収納されているようだった。ホイールが外れた状態でメンテナンススタンドに放置されている二輪が一台。作業台の上にはノートPCと、ドローンのパーツのようなものが散らばっている。
かと思うと、換気用と思しき小窓から小型のドローンが帰還する。
「始終飛ばしているのか?」
「今日だけだ。君が駅から歩いてくるところを監視していた」
「犯罪者め」
「何とでも言え」
「そのバイクは? お前の?」
「父のものだ。最近は仕事が多忙なようでな。そのカスタム車もさっぱりできあがる気配がない」
それからたった今帰還したドローンに関する講釈が一〇分ほど。そしてようやく、彼女は作業台の引き出しを開けて本題に入った。
「二輪用のウェアやプロテクターの改造だ。一応ダミーのアカウントでコンビニ留めしたり父が随分前に購入したものを流用したり、目立つ部品は自前で加工・塗装もしている。万が一露見しても父が買ったということにもできるさ。そうそう君には繋がらない。学校では、我々は微塵も関わりを持っていないからな。一応、プロテクター部分は防刃仕様だ。少なくとも、私の力では刃が通らなかった」
「俺にはよくわからないが、足はつきにくいように配慮したし安全性も抜群ということか?」
「理解が早くて助かるよ。君のその大雑把さにも慣れてきた」
そこから、羽原紅子の身振り手振りを交えた解説が始まった。
まずは、バイク用のハードプロテクタージャケット。購入品を一旦分解し、インナー部分にレザーのフードを取りつける。プロテクター部分は、三社の製品を組み合わせてひとつにし、元々黒いものを再塗装する。留め具の類はすべて金属製のものへ交換。色は、印象を強くするため赤にする。元々金属無垢のものに塗装をした。目立つ部品を半内製化することで、物品からの追跡を躱す狙いがある。
下半身は膝と大腿部の外側、向こう脛にプロテクター。威圧感を演出するため、服の下でなく外側に装着するタイプを選ぶ。上半身のものも、大事故でも怪我をしないことを目的に、突起物にも耐えるよう設計されている。裏を返せば、防刃だ。一方、足元は動きやすさを考慮し踝までのブーツ。
物品を揃え、改造が終了するまでは、およそ二週間かかったという。
話にうんざりしかけたところで、不意に彼女は言った。
「着てみろ」
「今か?」
「試着しなければわざわざ君を呼んだ意味がない。ほら、早く脱げ。あっち向いててやるから」
「わかったよ、わかった。俺も肚を括るさ」
「うわーっ! 本当に脱ぐやつがあるか! 阿呆! 変態! 死ね!」
「はあ!? お前が脱げっつったんだろ!」
「テクノロジーを解さんやつには冗談も通じないんだな!」
一悶着してから一通り装着。覆面を着けてフードを被り、ガレージで思いつく限りの動きの型を試す。
「着心地はどうだ?」いつの間にか白衣姿の羽原紅子は、回転椅子に腰を下ろして腕組み。
「さすがに、多少動きが重くなる」
「防刃は捨てて耐衝撃だけにしようか。それならかなり柔軟性が増す。あるいは、殴られないし切られもしないという前提で全部布にするか?」
「ひとりと戦うなら、それでいい」
「だが君の敵は無数だ」
右拳、左掌底、体を一回転させて左裏拳。「これがいい」
だが、フードを取って覆面を脱ぐと、そこにはどこか不満気な紅子の顔があった。
「どうした?」
「いや……」顎に手を当てて彼女は言った。「恐怖が足りない」
「そうか? 顔面真っ黒なやつが夜陰に乗じて忍び寄ってきたら無茶苦茶怖いと思うが」
「それだけでは、だめだ。何か、人間のエモーションを刺激するものが必要だ。影への恐怖、それだけじゃない。何かあるはずだ。何か……おい憂井、お前、怖いものはないか」
「何だそりゃ」
「人間ひとつくらい、心の底から恐れるものくらいあるだろう」
「お前は?」
「ない。仮説・実験・検証の繰り返しで解析できないものはないからな。それと、お前呼ばわりはいい加減にしないか」
「そんなものか? 怖いものかあ。日常生活してて、恐れを感じることなんて……」
道哉は苦労しながら上半身の装備を外す。プロテクターからインナースーツ。ストレッチの効いた素材である分締めつけがきつく、脱ぐのは一仕事だ。
左腕のスーツを外すと、怪我に巻いていた包帯が外れた。
小窓から吹き込んだ風が、垂れた包帯を揺らした。
それが呼び水であったかのように、不意に、思い出した。
目眩。佐竹たちを返り討ちにしたときの、世界中をひっくり返したような目眩だ。目の前が揺れる。その隙間をぬって、波長を合わせるように、目に見えないが確かな存在を持つものが忍び寄ってくる。
従兄の拳だ。
榑林一真の、揺らめきを貫く正確無比な拳。呼吸のリズムさえも掴まれているかのような圧力を感じる。
心臓を掴まれるような不安。それを打ち破るように、紅子が声を上げた。
「それだ!」
彼女の手は、道哉の左腕に巻かれた包帯をまっすぐに指さしていた。
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