羽原紅子。高校二年。道哉と同学年だが、クラスは2組。ロボット研究会の会長。片瀬怜奈や、亡くなった野崎悠介のクラスメイト。

 ついてこい、と言う彼女に従い、特殊教室のあるフロアを進む。途中、二年の教室の前を通った。壁には直近の定期テストの成績上位者名が掲示されていた。羽原紅子は理系科目のトップを総なめにしていたが、総合順位は芳しくなかった。

「そういえば、保健室、先生いなかったけど」

「ああ、少し席を外してもらった」

「どうやったんだ。曲がりなりにも怪我して寝てる俺がいたのに……」

「なあに、簡単だよ。上目遣いに潤んだ瞳で『彼とふたりきりにしてください』と懇願するだけだ。女の武器というやつさ」

「強かなんだな」

「強かでなければ生きていけないからな」

「優しくなければ生きている資格がない」

「何だ、それは」

「男の信念というやつだよ」紅子の言葉を借りて、道哉は応じる。「一昨日読んだ本に書いてあった」

「受け売りで信念を語るのはよしたまえよ。言葉の価値が下がる。……おっと、ここだ」

 彼女は情報実習室と、隣り合った工作室の前で足を止めた。

「ここが?」

「これが何か、わかるか?」

「情報実習室と、工作室だな」

「阿呆か、君は」彼女は左右を交互に指差して言った。「ハードウェアと、ソフトウェア。ロボットに必要なものだ」

「例のドローンか?」

 まあね、と応じると、ノートPCを小脇に抱えた彼女は情報実習室の方に入る。後ろについていくと、更に扉が一枚。入った先は、特殊教室にありがちな、狭苦しい準備室のようだった。狭間にある部屋らしく、工作室の方に繋がる扉もある。

 壁に並んだ工具が目につく。部員のものなのだろう、バイク用のヘルメットもあった。

 紅子が明かりをつけた。部屋は無人だった。立ち上げっぱなしのPCが、何かに反応したのかスリープから復帰した。

「ようこそ、ロボット研究会へ」

「お前一人なのか?」

「だから私はお前なんて名前じゃないと……」

「他の部員は?」

「今日はいない。活動日ではないからな」

「なぜ俺をここへ?」

「そう構えるな。人気も人目もないが、取って食いやしないさ」

「冗談を言うためだけに来たなら俺は帰るぞ」

「待て、待て。君だって気にしていただろう。私がどうやって今回の件の情報を得たのか」

 半ば踵を返していた道哉は、その一言に立ち止まった。

 紅子はPCの画面を示す。何かのプログラムの開発環境らしきものや図面がとっ散らかった隣に、携帯電話の画面を再現した仮想環境らしきウィンドウがあった。

 見覚えがある画面だった。

 紅子は得意気に、しかし不気味に笑う。「かわいい妹から連絡だぞ。既読くらいつけてやれ」

「これって……」

「見ての通り、君のWIREだ」

「何だこれ、ハッキングってやつか」

「今日日そんな言葉を使うやつがいたのか。……今日は腕によりをかけてパエリヤを作るから早く帰って来いとのことだぞ。変な娘だ。肉じゃがとかではないのだな」

 道哉は自分の携帯電話に目を落とす。全く同じWIREの画面。確かに、榑林一花からのメッセージが数件溜まっている。

「どうやってるんだ」

 彼女は唇の端で笑うと、ブラウザの検索窓に何事か打ち込む。すると、眼鏡の、やや小太りな男の画像が表示された。

 キャプションには、株式会社WIRED社長、羽原純一郎と書かれている。

「父だ」と紅子は言った。「色々あって娘の私はユニバーサルな権限でWIREサーバに繋げる。投稿内容、顔写真などの情報を適切に検索すれば個人とアカウントの関連づけは容易だ。君なんか本名のアルファベットそのままじゃないか。味も素っ気もない」

「色々って?」

「家庭の事情だ、気にするな」

 やや眉をひそめ、それから思い出して道哉は言った。「例の写真の話も、こうやって?」

「まあね。あの件は私もどうも納得がいかなかった。クラスメイトが亡くなったんだ、その理由は気になるだろう」道哉の表情を窺ったのか、紅子はやや声音を変えて続ける。「好奇の目が気に食わんのはわかるさ。君は彼の友人だったんだったな? だが、これは私の性だから仕方ないと思って諦めてくれ。気分を害したなら、謝るが」

「いや……別に最近はそう親しかったわけじゃない。俺だって同じだ」

「謙虚だな。もっと自分の正義感を誇りたまえよ、私のように」

「正義感?」

「許せないんだろう。野崎悠介を死に追いやった連中が」彼女はキーボードを叩く。すると画面が切り替わり、屈辱的な写真が回覧された先が次々と開かれていく。「彼らは仲間内で次々と写真を回して彼を笑いものにした。簡易的なウェブサイトまで作って、彼の写真を晒しものにしたんだ。今は削除されて閲覧できないし、サーバも海外だが」

「そんなことまで……」

「君は、彼らに報いを受けさせたい。だがそうすることができない。違うか」

「確かに、探ってはいたけど」

「扉が現れることを願って壁を叩いたって、時間の無駄だ」

「どういう意味だ」

「私が誰よりも尊敬する女性の言葉さ」彼女はPCをロックすると、あろうことかヘルメットを手に取った。「その気があるなら、この部屋に来い。私が、君の扉だ」

 きょとんとしている道哉に、彼女は手にしたヘルメットを掲げた。「これか? バイク通学なんだ。ちゃんと許可は取っているぞ」

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