⑦
目を覚ますと、真っ白な天井だった。いつの間に意識を失ったのかもわからない。混濁した記憶と、今の状況。ここはどこだ、と周囲を見回そうとして、身体に痛みが走った。特に左腕に。
周囲は白いカーテンが取り囲んでいた。消毒液の匂いがした。左腕には湿布が貼られている。流血していた瞼の上も止血されている。
ベッドから降り、カーテンを開いた。
「おっ、目を覚ましたか」
そう言ったのは、どこかで顔を見たような気がする女子生徒だった。同じクラスではない。確か、2組の生徒だ。名前は覚えていない。
オーバル型のメガネの下に、挑戦的な瞳。ぼさぼさの髪を無造作にひとつに括った髪型は、あまりおしゃれに気を遣っていない様子が見て取れた。まるで、この世にはそんなものより興味を惹きつけられるものが山ほどあるとばかりの。しかし、身にまとう雰囲気は、途方もなく妖しい。そしてなぜか、制服の上に白衣を着ていた。
保健室だった。壁の時計は午後六時過ぎを示している。養護教諭の姿は見えなかった。
「いや、しかし、連中をあっという間に蹴散らしたのにも驚いたが、その後ばったり倒れたのにも驚いた。何をしていたんだ? 頭を打たれた様子はなかったし、それに……君は、目を閉じて戦っていなかったか?」
「見てたのか」
「君の行動には注目させてもらっていたからね」
「なぜ?」
「野崎悠介の死の真相を追っているから」
道哉は生意気な笑みを浮かべる女子生徒に詰め寄った。「なぜ、そのことを? お前、何か知っているのか?」
「まず質問に答えるなら……答えはイエスだ。野崎の死について、そして今の島田について、君の知らないことを、私は知っている」
「話せ。それと、お前は誰だ。何の目的で俺に近づく」
「落ち着きたまえよ、憂井道哉。ひとつ、私はこの学校に正義をもたらすために、君と組みたい。ふたつ、私に知らないことはない。そしてみっつ、私はお前なんて名前じゃない」白衣の襟を正して、彼女は続けた。「私は羽原紅子だ。よろしく、憂井道哉」
「羽原……」まだ警戒は解かずに道哉は続ける。「俺と組みたいって、どういう意味だ?」
「私には情報がある。君には武力がある。君の拳に、私は振り下ろす先を見出してやれるぞ」
「情報? 島田のことか? それとも……」
すると紅子は、妖怪のような笑みを浮かべた。「まあ、見たまえよ。あまり気分のいいものではないがな」
A4のプリントアウトだった。見知ったレイアウトは、WIREの画面だ。だが、そこに写っていたものに、道哉は言葉を失う。
写真だ。場所は、おそらくあの校舎裏。制服の下を脱がされ無理矢理開脚させられ、下半身を露出した野崎悠介だった。放心したような顔。目は焦点が定まっていない。身体には打撲のような痕も見えた。
写真とともに並べられた品のない言葉。道哉は目を背ける。すると紅子は言った。
「そいつは残念ながら現実だ。目を背けるな」
「こんなの、俺に見せて……」
「送信者と受信者を見たまえよ」
超然とした笑みのままの紅子。道哉はもう一度、そのスクリーンショットへ目を落とす。
送信者は、野崎悠介本人。
そして受信者の名に、道哉はまたも絶句する。
「君に見せたのはそういうわけでね」と紅子。
そこには、片瀬怜奈、と記されていた。
「もう少し解説を加えてやろう。君たち三人は小学校、中学校時代からの同級生らしいね。そんな君は鈍いから知らなかったのだろうが、野崎悠介は、同じクラスのクール・ビューティ、片瀬怜奈に恋心を寄せていたんだよ。どうやら、それが彼らに見透かされたらしい。男同士だと誰が誰に下心を抱いているか、わかるものなのか? 私には意味不明だが」
「女子に免疫がないタイプだったから。端から見れば、わかりやすかったのかもしれない」
「ま、それはどうでもいい。とにかく彼は、悪質ないじめの末に、そのような屈辱的な写真を撮影された。最初は脅しのネタだったのかもしれない。だが次第に行為はエスカレートしたのさ。最初は佐竹らの仲間内で。次第にグループから別のグループへ。この段階ではまだ顔などは加工された写真だったようだが」
「詳しいな。どうやって知った」
「それは後だ。まずは人の話を聞け」紅子はやや機嫌を損ねたようだった。「いいか、そしてある日、一線を超えてしまった。野崎の携帯電話から、片瀬へと、その屈辱的な写真が送信されたのさ。もちろん本人の手によってじゃない。取り巻きの誰かが携帯電話を勝手に操作したのだろうな」
「クソ野郎が」
「ここからは推測ですらないただの想像だが……野崎悠介は、毎日が辛かったのだろう。そんな日々の唯一の希望が、片瀬怜奈だったのだろう。もしかしたら、片瀬は彼を密かに励ますようなことを言っていたのかもしれないな」
「お前の推測、多分当たってるよ」
「私はお前なんて名前じゃない。何度言わせるんだ」また機嫌を損ねた様子の紅子。「そしてそんな片瀬に、この醜悪な写真が送信された。野崎の自殺は、その直後だ」
道哉が返す言葉を失くしていると、紅子はまた口を開いた。
「直接の要因がこれと断定することは難しい。だが、積み重なった辛さを決壊させるには十分だった。私はそう考えている」
「それで?」
「彼らには然るべき代償を支払わせなければならない」
「誰が? 警察がか? 学校が? お前だって、アンケートは配られたんだろ。あんなものに、何の意味がある。ここは学校だ。密室だ。直接の因果関係を誰も立証できないんだ。学校だって警察だって、あいつらを罪に問うことなんか……」
「私たちがやるんだよ」紅子はつかつかと歩み寄ると、人差し指で道哉の左胸に触れた。「今、君の中に渦巻いているどす黒い怒りが、彼らに正義の制裁を下すんだよ」
「何を寝ぼけたことを……そんなこと、できるわけないだろう」
「技術という面では、可能だろう? 既に見させてもらったからな」
彼女はテーブルの上のノートパソコンを開く。画面では映像が再生されている。目を閉じた道哉が、佐竹たちを叩きのめしている、数分の録画だった。
どうやって撮ったのだろうという疑問に答えるように、紅子が部屋の窓を開けると、クァッドコプター型のドローンが一機、音もなく飛来しテーブルの上に着陸した。下部にカメラを懸架している。
「私はロボット研究会でね。最近は歩行より飛行の方がこの分野もトレンドだ」
「静かなんだな」
「隠密仕様だ。すごいだろう?」
それはさておき、と道哉は咳払いする。「喧嘩して、勝てるかっていう話じゃねえ。そんなことしたら、今度は俺が犯罪者だ」
「それについては、考えがある」こちらを見上げているのに見下しているような目で、紅子は続けた。「誰かがやらねば何も変わらない」
「そんなものが、正義か」
「君は知らないだろうが……正義の味方は、正義そのものではないんだよ」
始まりを予感させる笑み。ポニーテールがゆらゆらと揺れていた。
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