⑥
放課後。バスケットボールのゴールが朽ち果てている、校舎裏の広場。
目の前には、色の浅黒い、蛇のような細面の二年生、佐竹純次。にやにやと笑う彼の周りには、2組で彼に付き従っている数名の生徒と、まるでお目付け役か何かのように腕を組んでいる三年生。背後には、道哉と同じ一組の、松井、元木、高橋と、彼らに腕を捻られている島田雅也がいた。
「1組に嗅ぎ回っているやつがいるって聞いてさあ」と佐竹が言った。「俺たちだって、友達の野崎があんなことになってすっげー悲しんでるんだよな。それを、あたかも俺らのせいであいつが自殺したとばかりに決めつけてるやつがいるみたいでさー、信じらんなくねえ? ねえ、憂井くん?」
道哉は、佐竹から目を離さず、今朝からの出来事を思い出す。
まず、登校すると、松井が道哉の机に座っていた。道哉に気づいても、退く様子はなかった。昨日までのような、取ってつけた明るい挨拶はなかった。松井は道哉がいないかのように、机に居座り続けた。
三度、呼びかけても反応がないので、肩を掴んだ。すると、松井はこちらも見ずにその手を振り払った。道哉は、怜奈の警告が現実になったことを悟った。どうするかを、一瞬だけ考えて、松井の肩関節を逆に捻って腕を固め、顔面を硬い机に押しつけた。
ギブ、ギブと言う彼を解放すると、ちょっとした冗談を装って彼は自分の席へ戻った。その後、松井は仲間らと声を潜めて何事か話しながら、道哉の方へ時折目線を送ってきた。
授業間の休み時間に教室を出ると、馴染みのない2組の生徒と肩がぶつかった。簡単に詫びを交わした後、視線を感じて顔を上げると、少し離れた廊下に、腕を組んで壁に背を預けている佐竹の姿があった。
そして放課後だった。
目をつけられている、と聞いてはいたが、こうも直接的な行動に出るとは思わなかった。今を切り抜けることと同じく、明日からのことも考えなければならない。彼らとはひとり残らず明日からも同級生なのだ。
力の差を思い知らせる気なのだ。ずっと同じ空間ですごす相手に、一度無抵抗に殴られてしまえば、それから先、絶対的な上下関係ができあがる。黙って殴られるのはごめんだ。できれば、誰とも関わらずに生きていきたいのだ。
目の前に佐竹。左右から松井と高橋に腕を抑えられる。
「どう思う、ねえ憂井くん」と佐竹が言った。
どうかな、と道哉は応じる。
啜り上げるような声が聞こえた。島田だった。彼には、少しだけ申し訳なかった。野崎のことを知りたくて、この件に道哉は首を突っ込んだ。道哉と、佐竹らだけでいいはずだった。
「じゃあ今日の演舞は
彼は、片足を浮かせてリズムを取るように繰り返し軽くジャンプする。松井と高橋の身体が強張った。隙だった。
松井の足を踏む。痛みに拘束が緩んだ隙に振り払い、虚を突かれた高橋の足を軽く払い転倒させる。全く同時に、佐竹のやや踏み込みながらの横蹴り。腕を交差して受けた。だが、蹴りは鋭く、そのまま組技に持ち込む前に脚を退かれた。
考える間もなく、次が来た。捻りを加えた後ろ横蹴りは受けずに引いて躱す。空間を刈り取るような一蹴りは、一瞬間合いが消滅したかのように錯覚するほど疾い。
中段蹴りの三連打を腕刀で捌くと顔面を狙う廻し蹴り。咄嗟に屈んで避け、即座に襲い来るだろう次の一撃へ構える。
だが、来ない。佐竹は数歩退いた。
「やるじゃない、憂井くん」
「テコンドーか」
「まあね。そっちは? 合気道か何か?」
それには応えずに、「今なら、異種格闘技ごっこだったってことにできるが?」と応じる。
「元からそのつもりだよ!」
踊るような廻し蹴りの連撃。三回目は躱せずに腕で受ける。即逆回転360度の蹴りが迫った。道哉は逆に一歩踏み込み軸足を狙う。浅い。だが間合いは詰まる。当てる気のない掌底を二発。これで十分だった。
佐竹は慌てて横蹴りを立て続けに繰り出す。だが、今度は軸足が安定しない。一呼吸の間に三度四度と放てる蹴りが乱れる。そして足首を捕えた。怪我をさせない程度に膝へ負荷をかけながら体を捌き、肘で佐竹の喉笛を打ちながら足を絡めて払う。もつれながら仰向けに転倒。起き上がれば、上に立っているのは、道哉だった。
右足と左手で佐竹の左腕と左肩を抑え、右の拳を振りかぶる。
「今後俺に構うな。取り巻きにもそう伝えろ」
佐竹は薄ら笑いを浮かべる。「そうきたか。知りたいことがあるんじゃないか?」
「訊けば話すのか?」
「話さないが? 話すこともないからね」
「どの口が……」
「君が被害者だと勘違いしている人が、君のことを迷惑がっていてね」佐竹の、蛇のような顔が邪悪な笑みに歪んだ。「後ろを見なよ」
尋常でない気配を感じて振り返る。
角材を振り上げた島田雅也の姿があった。
振り下ろされる。咄嗟に腕で防ぐ。受け流せずに左前腕へまともに打撃。
たまらず佐竹の上から降りて数歩逃れる。左腕が痺れる。鼓動するようにズキズキと痛む。そして何より、守る気だった島田に牙を剥かれた衝撃。半ば放心する道哉の耳へ、島田の呻くような言葉が届く。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
島田が、佐竹らと関係することを好むタイプではないのは明らかだ。何か、事情があるのだ。事情が。
だが、左腕に受けた痛みが思考の余裕を奪っていく。好機と感じたのか、左側から2組の生徒が拳を振り上げて迫る。佐竹とは比べ物にならない隙だらけの構え。間合いに入った瞬間正面から膝を蹴って倒す。
相好を崩して近づいてくる佐竹。「ほらね~? 島田くんもお前みたいなのがうろつくのは嫌だって言ってんだよね~。俺ら友達だし、友情に亀裂を作るようなことしないで欲しいんだわ」
「脅しているな? 誰にも助けを求められないように。クソ野郎が」
「証拠あんのかよ、証拠!」
上段の廻し跳び蹴りをすんでのところで躱す。だが続く流れるような後ろ横蹴りは避けられない。みぞおちだけは守りながらも、後方へ跳ね飛ばされる。肺から空気が抜ける。校舎の壁に立てかけたまま放置されて朽ちた資材の山に突っ込む。ベニヤの割れる音が雷鳴のように聞こえた。
尖った木材で瞼の上が切れる。全身の痛みを無視し、無理に身体を動かし立ち上がる。
流れた血が目に入る。目眩もする。目を開けていられない。
その場で崩折れている島田。蹴り真似をしながら迫る佐竹と取り巻きたち。すべてがぼやけて見える。
深呼吸をした。
目を閉じた。
暗闇の方が、かえって世界のすべてがよく見える。見たくないものまですべて。
道哉の身体が、風に吹かれたように揺れた。
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