23.IV-11-01-MARIAの“恋”

《1998年11月3日 2:00PM エルハイト市内 第六検死研究所》


 ヒューマノイドの遺体を目にして取り乱してしまったMARIAは、シュルツに言われて地下の倉庫にこもっていた。

 物憂げな顔をして、壁にもたれかかっている。

 いつまでも収まらない体の震えに、いっそう自身を強く抱きしめた。

「………………」


 怖かった。


 同類ヒューマノイドの死体を見るのは、初めてだ。

 頭を割られ。目をえぐられ。体がいびつに折れ曲がって、足はちぎれて取れていた。

 あれは、機械の“残骸”なんかじゃあない。人間と同じ形をした、人間と同じ、“遺体”だ。

「……どうして?」

 どうして人間は、あんなにひどいことが出来るんだろう?

 同じ姿をしているのに。体の中身が、少し違うだけなのに。人間かロボットかという、些細な違いだけなのに。


 たったそれだけの違いで、どうして人間はそこまでロボットに対して憎しみを持てるのだろう? 人間という生き物が、まるで悪魔の化身のように感じられた。そして……そう感じた瞬間に、全身が灼けつくように痛んだのだ。


 さっき脚立から落ちたのも、ヒューマノイドの遺体を見て人間に恐怖を感じた瞬間のことだった。


「わたし……異常なのかしら」


 前にドクター・シュルツは言っていた。ロボットが人間に反抗心を持つと、三原則に背かないために“心臓”が止まるのだと。……もしかしたらこの痛みは、“心臓”が止まる前触れだったのだろうか。


 もっと激しく人間を恐れ、もっと激しく人間に反抗したら。この“心臓”は、止まってしまうのだろうか。


「そんなの……いや」

 死にたくない。もっと沢山、いろいろなことを学びたい。もっと沢山、そばにいたい。


 ドクター・シュルツの、そばにいたい。


 そう思った瞬間、MARIAの胸はまた熱くなった。でも、今度は灼けるような痛みではない。苦しいけれど、心地よい。ふしぎな熱が胸の中を満たしていった。


「ドクター……」


 初めて出会ったその日から、MARIAはシュルツだけを見てきた。

 シュルツの動きのすべてを目で追い、わずかな表情の変化でさえも、いつまでも見つめていたくなってしまう。

 あの声を、いつまでも聞いていたくなってしまう。


 MARIAは、ポケットからそっと銀細工のカフスボタンを取り出した。

 蝶のデザインがあしらわれたそのカフスボタンは、一週間前にシュルツが街で落としたものだ。返しそびれてしまった。返したいけれど……でも、返したくない。いつまでも、じっと見つめていたい。


 そう言えば、あの映画にもこんなシーンがあった。ヒロインが、愛しい主人の落としたボタンを大事に拾って持ち歩くのだ。それと、同じ……


「やっぱり、わたしは誰かの模倣まねをしているだけなの?」


 ドクター・シュルツは、ロボットには感情なんてないと言った。でも……

「違うわ。この気持ちは、ぜったい本物」


 MARIAは自分の鞄から、一冊の本を取り出した。シュルツの恩師トマス・アドラー博士の著した“ロボットの魂魄”という本だ。シュルツの許可を得て、鞄の中に入れていたのだ。


「わたしにも、魂がある。……そうでしょう? アドラー博士」


 本の表紙を撫でながら、MARIAは静かに問いかける。彼女自身はアドラー博士に出会った記憶はないのだが、きっとすばらしい人物なのだろう。ドクター・シュルツが、あれほど尊敬するのだから。


 ドクター・シュルツは、アドラー博士のことを話す時だけは優しい表情をする。あの優しい表情を、もっと見たい。ドクター・シュルツに、もっと喜んでもらいたい。


「わたし。もっと、しっかりしなきゃ」


 アドラー博士は、シュルツに彼女を託した。

 自分の自立はアドラー博士の願いであり、結果的にはシュルツの幸せにつながるのだろう。――MARIAは、そう考えた。


 だったら、検死を怖がってなんていられない。たとえヒューマノイドの死体だろうと、検死をやり遂げなければならない。

 初めてシュルツに出会ったときに言われた言葉を、MARIAは思い出していた。




『私は今後あらゆる障害から君を守らなければならない。君自身、ロボット工学三原則・第三条に照らし合わせて最大限自らを防衛するように。トマス先生が迎えに来るというその日まで、私は君が“死ぬ”ことを絶対に許さない。理解したか? これは、命令だ』



 ドクター・シュルツは言った。自分の身を守れ、絶対に死ぬな、と。

 MARIAはその言葉を噛みしめ、決意した。

 ――わたしが自分自身の身を守ることが、ドクター・シュルツの身を守ることになる。だったらわたしはしっかりして、もっと強くなろう。


「守ってもらってばかりじゃなくて。……いつかわたしも、ドクターを守れるようになれるかしら」


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