22.来客(後編)


「――あぶねぇ!」


 ベイカーが野太い声を発した直後、ドサッという音が玄関ホールに反響した。


 突然なにが起きたのか。

 シュルツは一瞬理解できなかった。


 ヒューマノイドの死体を運ぼうとした途端に、IV-11-01-MARIAが高所から落ちてきたのだ。


「おい大丈夫か? あんた!」


 MARIAの体が床に打ちつけられる寸前に、当局のブラジウス・ベイカー捜査官が身を滑り込ませ、受け止めたのだった。


「どうした? おい」


 気を失ってだらりとしているMARIAの頬に、ベイカーはひたひたと触れる。

「…………ぅ」

 長いまつげをふるわせて、MARIAは重たげにまぶたを開けた。彼女を抱き留めていたのは、宿敵・当局の捜査官であるベイカーだ。


「きゃあっ!!」


 目覚めたMARIAは恐怖に青ざめ、彼から遠ざかろうとした。

「おいおい。怖がらないでくれ、取って食ったりしねぇよ」


 苦笑して、ベイカーはMARIAを離した。しどろもどろになりながら、MARIAはなんとかその場を取りつくろおうとする。


「わ、わたし……ごめんなさい。急に体が、熱くなって。気がついたら落ちていて」


「熱でもあるのか? 根暗な検死官に、良いようにイジメられてるんじゃないのかい? ……あんた、すげぇ美人だ。近くで見るとまぶしいくらいだぜ」


 ベイカーは白い歯を見せて笑った。シュルツといがみ合っていたときとは、まるで別人だ。黒い肌に白い歯が映え、わんぱくな少年のようだった。

 一方のMARIAは、恐怖に青ざめている。


「へ、平気です。お気づかいなく。えっと……」

「俺か? 俺はブラジウス・ベイカー。ロボット危機管理局の一等捜査官だ。一等捜査官って、分かるか?」

 おびえるひな鳥のように、MARIAはふるえて首を振った。

 ベイカーは得意満面だ。


「アメリカ西部劇じゃあ、名もないガキが無法者ならずものをたくさん殺して保安官になりあがったりするだろう? それとおんなじだ。この国じゃ、逃げ隠れてるヒューマノイドを見つけて壊せば、貧しいガキでも一等捜査官まで上り詰められる。若い頃は俺も、何匹もヒューマノイドを捕えたもんだ。“猟犬”なんて呼ばれてよ」


 MARIAは今にも泣きだしそうだった。

 見かねたシュルツが、横から口を挟もうとしたのだが……そのとき、

「あんた、歌が上手いな! さっきの歌、あれだろ? 『君を忘れじ』。戦前の映画だ」


 ベイカーがそう言った瞬間、MARIAの顔が輝いた。


「……あなたは、あの映画をご存じなんですか?」

 こわばっていた彼女の態度が、春雪のように溶けていく。

「俺のばあちゃんの一番好きな映画だった……ガキの頃から何度も見させられたよ。ありゃ、なかなかの名作だ。舞台のクレハの街も良い。地下水道でのクライマックスは最高だ」

 ベイカーの言葉を聞いたMARIAは嬉しそうに、頬をほんのり染めて笑った。

「ベイカーさんは、本当にお詳しいんですね」

「まぁな」

 ベイカーも、人なつこく笑う。

「まだ無名だった主演女優のディオネ・メルクーリは、その年のアカデミー主演女優賞にノミネートされただろ? たしかにディオネの演技はすばらしかった。見てるだけで、移民の苦悩が胸に迫ってくる」

「えぇ。わたしも、そう思います」


 いつの間にやらふたりは打ちとけ、映画の話に花を咲かせ始めた。

「俺のばあさんなんて、あの映画に惚れ込んでよ。貧乏人のクセに金ためて、とうとうクレハの墓地に自分の墓を建てちまった。あの世で毎日映画見てるんじゃねぇか? いま頃」

「まぁ」

「おかげで墓参りが遠くってな。日帰りには遠すぎるから、俺は毎年クレハで旅行するんだ。墓参りのついでにいろいろ遊んでくワケさ。――よかったら今年は、あんたも一緒にどうだい?」

「え? わたしですか?」

 唐突に誘われ、MARIAはふしぎそうに首を傾げている。


「……用が済んだなら、お引き取り願おうか?」

 いつまでもだらだら話し続けるふたりに向かって、シュルツが冷たい声を挟んだ。

 ベイカーは何を勘違いしたのか、勝ち誇った顔でシュルツをふり返っていた。MARIAの肩に手をのせながら、シュルツを挑発するように言った。


「なぁ、あんた。家政婦なんだろ? こんな男のところは辞めて、俺に雇われるってのはどうだい?」

「え?」

「この検死官は、性格も悪いし胡散臭い。こいつの師匠は、トマス・アドラーっていう人形偏愛主義ピュグマリオニズム老人じじいなんだ。史上最悪のロボット工学者だよ」


 言われた瞬間に。


 シュルツの様子が、豹変した。無表情はそのままに、背後から黒い炎が吹き上がったかのようだった。


「あぁ、嘆かわしい。……無知というのは、実に恐ろしいものだ」


 石を噛み砕くように、ゆっくりと。シュルツは低い声でつぶやいた。

「トマス・アドラー博士は決して危険人物ではない。ロボット友愛主義と人形偏愛主義ピュグマリオニズムとの区別もつかないとは、貴様の知能は単細胞生物にも劣る。その程度の頭で国家の治安を守る連邦刑事庁の一等捜査官が務まるのか――この国の行く末が不安で仕方ない」


「なんだ? やるってのか?」

 ベイカーは意地悪く笑って、シュルツに真正面から向かい合った。ふたりは目から火花を飛ばし合い、噛みつくように睨み合う――と、そこに。


「きゃあぁああっ!」


 MARIAの悲鳴とバケツの水をひっくり返す音が響いた。

 シュルツとベイカーの視線が床に注がれる。


「ごめんなさい! わたしったら――」


 いつの間にやら、MARIAは足をバケツに突っ込んで転んでいた。床に水をぶちまけて、彼女もびっしょり濡れている。


「いま急いで床を拭きますから!! ほんとにごめんなさい!」


 あたふたと振る舞いながら彼女がちらりとシュルツに目配せをしてきた。

 MARIAはあえて空気を乱して、シュルツをフォローしたつもりなのだろう。


 ――余計なことを。


 シュルツは少し眉を寄せて、彼女を見下ろした。

「……マリア。君には落ち着きが足りないようだ」

 シュルツが言うと、

「へぇ。あんた、マリアって名前か」

 ベイカーが、すかさず首を突っ込んだ。MARIAの手を取り、軽くかがんでその白い甲にキスをする。


「尊い名前だ――“Notre《ノートル》-Dame《ダム》《聖母マリア》”。 あんたほど、その名が似合う女はいない」

 ぽかんとして口を開けているMARIAに、ベイカーは真剣な笑みを捧げた。

 そして数秒。おもむろにマリアの手を離し、ベイカーは時計に目をやりながら言う。

「さて。と。さすがにそろそろ仕事に戻らねぇと」

 じっと待っていた鈍色の補佐ロボットを従えて、ようやくベイカーは立ち去ることにしたらしい。

「じゃあな、また来るぜ、マリア」

 言い放ち、研究所から出ていった。



 ベイカーが敷地内から完全に立ち去ったことを確認してから、MARIAが言った。

「優しくて、いい人ですね」

「あれが良い人だと言うのなら、君の頭脳には重大な欠陥があるということになるな」

 ニコニコしているMARIAに向けて、シュルツは鋭い視線を送った。


「連中に気を許すな。当局の捜査官は“後方散乱エックス線装置”という機器を携行している。その機器で照らされたら、終わりだ。君はすぐさま回収されて解体処分になるだろう」

 シュルツは面倒くさそうな顔で、玄関ホールに置き捨てられたままの“死体”に目を向けた。


「……ずいぶんと、時間の無駄をした。仕事に戻るぞ」

 MARIAもまた、“死体”に目を向け――顔をこわばらせた。


 人間の姿をした、ロボットの死体だ。頭が割られて、眼球が飛び出している。体がいびつに折れ曲がり、ばらばらの方向に向いている左右の腕と右脚……。左脚は膝から下がなくなっていた。

 ――と。

 MARIAが、がくりと膝をついた。

「どうした?」

 MARIAはうずくまり、真っ青になっている。


「…………苦しい、です……ドクター」


 ヒューマノイドの死体を目にして、MARIAは動揺しているようだった。まるで、若い娘が人間の死体を見たときのような態度だ。

「ロボットは普通、そんな反応はしないものだがな」

 先ほど上から落ちたのも、この遺体を見て取り乱したからなのだろうか?


「……胸が、痛いです。灼けるみたいに。わたし……わたし」

「もういい、分かった」

 シュルツは、言った。

「君はこの検死に関わるな。私がやる」


 シュルツはMARIAの肩に手をかけて、死体から遠ざけるように静かに押した。

「君は休んでいろ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る