21.来客(中編)

《1998年11月3日 1:00PM エルハイト市内 第六検死研究所》


 当局捜査官のブラジウス・ベイカーという男が研究所にやって来たのは、昼すぎになってからだった。


「よぉ、ロベルト・シュルツ“博士”。相変わらず陰険そうなツラしてんな」


 “博士”という敬称を嫌味な口調で言いながら、ベイカー捜査官は玄関ホールにずかずかと踏み込んできた。IV-11-01-MARIAは、彼を物陰からこっそり観察していた。


 ベイカーは、背の高い黒肌の大男だった。二メートル近い身長と、鍛えこまれた全身の筋肉。シュルツと同じ二十八歳だということだが、ベイカーのほうが縦にも横にも一回りほど大きく見える。髪は肌と同じ黒色で、縮れた黒髪に段差をつけて刈り上げた髪型は小ざっぱりして洒落ていた。デニムパンツにレザージャケットというカジュアルな出で立ちは、刑事庁の職員というより映画俳優に見える。


 『怖そうな人』――それが、MARIAがベイカーに抱いた第一印象だ。


 ベイカーは、ドクター・シュルツとはまったく異なるタイプの男性だ。ベイカーを見ているうちに、MARIAは肉食の獣を観察しているような気分になってきた。……出来るだけ、あの人には近づきたくない。そう願いながら、こっそり隠れて観察を続ける。


 ベイカーの後ろにはまるで従者のように、一体の亜ヒト型ロボットが控えていた。鈍色にびいろの金属光沢を放つたくましい外骨格。中世の甲冑を彷彿とさせるあのロボットはI-05-31-PRIMUSプライマス――当局捜査官の補佐専用ロボットだ。PRIMUSは、人間の背丈ほどある大きな袋をかついでいた。


 彼らを出迎えるような形で、シュルツが玄関ホールに立っている。シュルツはいつもの冷めた態度をとりながら、

「よくぞお越しくださった……とでも、言っておこうか? ブラジウス・ベイカー“一等捜査官”」 

 シュルツもまた、相手の敬称をあざけるような口調で言った。


 どうやらシュルツとベイカーは、あまり仲が良くないらしい。お互いに睨み合ったまま、二人の間に冷たい空気が流れ始めた。

 その沈黙を破ったのは、ベイカー捜査官の補佐ロボットだった。


『……恐れ入りますが。パートナー・ブラジウス、そしてドクター・シュルツ。次の予定が立て込んでおります』


 ベイカーの背後で、鈍色のロボットが金属的な声を出した。旧式給仕ロボットのIII-08-29-SULLAとは違って、あのロボットは口が利けるらしい。

 ベイカー捜査官は不愉快そうに振り返った。


「ちッ。クズ鉄野郎の分際で、この俺に指図する気か? てめぇ」

『いえ。自分は、あなたを補佐し与えられた業務をまっとうするための道具です。指図など――』


 鈍色の甲冑が、ベイカーにこうべを垂れた。シュルツがそれを見て、わざとらしくため息をつく。


「いや。I-05-31-PRIMUSプライマス、君が正しい。君の主人は粗暴で困る」

 シュルツは言うと、踵を返して歩き始めた。


「私は忙しいんだ、精神鑑定とやらを早々に済ませて、さっさとお引き取り願いたい」

「すかしやがって、忙しいのは俺だって同じだ」

 ベイカーは自分の補佐ロボットに向かって、粗暴な声で命令した。


「おい、クズ鉄。てめぇはそこに突っ立ってな!」

『かしこまりました。パートナー・ブラジウス』


 憎まれ口をたたき合いながら、シュルツとベイカーが一階の応接室に入っていった。

 MARIAは応接室の扉にぴっとりくっついて、わずかなすき間から覗き見を始めた。



「こんな辛気クセェ研究所に、二ヶ月に一度も顔を出さなきゃならねぇ俺の身にもなってほしいもんだ! ったく、くだらねぇ法律だよ」


 ベイカーは、テーブルに両足を投げ出して座っていた。給仕ロボットのIII-08-29-SULLAが彼の前にコーヒーカップを置くと、ベイカーはいかにも不味そうな顔でコーヒーをすすった。


「けっ。しみったれた味だな。せっかくの高級豆が台無しだ! ロボットなんざにコーヒーを淹れさせる奴の気が知れねぇ」

 聞き耳を立てるまでもなく、ベイカーの声はよく聞こえた。


 ベイカーの大声とシュルツの皮肉を扉越しにしばらく聞いてから、MARIAはとぼとぼとその場を去った。

「……お掃除でも、しようかな」


 いつまでも壁に張りついて盗み聞きしていても、仕方ない。


 ――ドクター・シュルツに、いつもどおりにしていろと言われたもの。


 あのベイカーという男が怖くて仕方がなかったが、MARIAは気を取り直そうとした。シュルツが、『大丈夫だ』と言ってくれたのだから、心配などいらないのだ。


「今日は、どこをお掃除しようかしら」


 しばらく考えてから、思いついたのは玄関ホールの高窓だった。玄関ホールは二階まで吹き抜けになっているから、特別長い脚立でなければあの窓には届かない。MARIAはまだ、あの窓を拭いたことがなかった。かなり大きい窓だから、掃除しがいがありそうだ。

 やるべき仕事を見つけると、心が落ち着くから不思議なものだ。掃除道具を用意するうち、彼女のくちびるからいつもの歌がこぼれはじめた。


「愛しき 君を。我は忘れじ――」


 歌うとさらに元気が出てきた。明るい気持ちを取り戻したMARIAは、高窓に立てかけた脚立をのぼり始めた。


 * * *


 ロボット検死解剖官の精神に異常がないか調べるための、“精神鑑定”。

 連邦保健省が有識者を集めて作ったという精神鑑定手順プロトコルを、ベイカー捜査官はかったるそうに暗唱した。

 一見、ただの雑談に聞こえるような質疑応答だ。素人にはよく分からないが、その受け答え方に得点をつけて合計すると、相手の精神に異常があるか否かを判定できるのだという。


「――それで、次の質問は?」


 ベイカーの対面に腰を下ろしていたシュルツが、ベイカーを冷ややかに見た。

「あン?」

 要領を得ず、ベイカーが気だるそうに睨み返す。


「今月の私への“インタビュー”は、それで終わりかな?」


 馬鹿にしたような口ぶりで、シュルツはそう言った。

 ベイカーも、憎らしそうに答える。


「そうらしいぜ? さて。合計点は……九十七点:異常なし。ちッ、このテスト本当に合ってンのかよ。テメェみてぇに歪んだ男が『異常なし』なんてよ」


「そのテストの信憑性については、私も懐疑的だ。君のように無教養な男が精神鑑定を行う時点で、非常に片手落ちだと感じている」


 二人の間に、再び吹雪のような沈黙が流れた。


「――ちっ、ケタクソ悪い! お望み通り帰ってやるよ」

 ふてくされたように吐き捨てて、ベイカーはジャケットのポケットから片眼鏡モノクルとペンライトのような道具を取り出した。


「その前に。ほら、半期に一度の“C/Fe検査”だ。こっちに来い、キザ野郎」


 シュルツはうなずき、片眼鏡をかけたベイカーの前まで来た。

 ベイカーは、シュルツの左胸にペンライトを照射する。片眼鏡の内側に映った画像を確認してから、飽き飽きした顔で言った。


「あぁ、つまんねぇ。やっぱテメェは人間なのか……」


 彼の持つペンライトは、正確には“後方散乱エックス線装置”と言う名がついている。先端から五〇マイクロシーベルトのエックス線が照射され、画像化された映像は、携帯している片眼鏡状のモニターに映し出される仕様になっている。当局捜査官は全員この機器を携帯し、ヒューマノイドと疑われる人物に照射して人間Cか、ロボットFeかを判定する権限を持っている。

 ベイカーの片眼鏡に映っている静止画像は、X線に照射されたシュルツの心臓である。うすぼんやりと白く映った生体組織の画像を眺めて、ベイカーは悪態をついた。

「もしヒューマノイドだったら、俺が徹底的にぶっ壊してやったのに」


「それは残念だったな。……それにしても、本当にくだらん儀式だ。私は検死官である限り、無為なエックス線検査を受け続けなければならないのか」

「文句があんなら、政府くにに言え。検死官になるとき同意書書いたんだろ? テメェがロボットじゃねぇことを証明するための“大事な”儀式なんだからよ」


 ヒューマノイドがこの国で全面廃止となる以前、実在の人物をヒューマノイドとして複製し、悪用する事件が起きたことがある。それ以来、要職に就く人間は定期的に“C/Fe検査”と称するエックス線検査で人間であることを証明しなければならないのだ。


 シュルツはため息をついて立ち上がった。

「まったく、この国には無意味な法規が多すぎる」

「めずらしく意見が合うぜ。それについては、俺も同感だ」



 精神鑑定とC/Fe検査を終わらせたシュルツは、ブラジウス・ベイカーを伴って玄関ホールに戻ってきた。

 玄関ホールでシュルツが見たのは、脚立にのぼって天井付近の高窓をみがくIV-11-01-MARIAの姿だった。


「君を。忘れじ――愛しき、君を」


 お気に入りの歌まで歌って、とても気分が良さそうだ。


「夜のとばりが別つとて。 ……その幾千の眠りを眠りを越えて――」


 緊張するだの怖いだのと言って物陰に隠れていたくせに、ずいぶんくつろいでいるじゃないか。

 IV-11-01-MARIAはつくづく理解しがたいロボットだ……。シュルツは、そう思った。

 彼女の姿を見つけたブラジウス・ベイカーは、黒い瞳を大きく見開き輝かせた。


「おい。いい女じゃねぇか! なんだよ、あれ」


 ベイカーは、彼女に興味津々といった様子だ。窓みがきをしているMARIAの顔をよくよく見ようと、一生懸命に上を見ている。


「新しく雇った家政婦だ」

 事もなげにシュルツが言うと、


「家政婦? そんなもんいなくっても、ロボットがあれば事足りるだろ? あんた、今まで誰かを雇ったことなんてなかったじゃねぇか」


「知り合いの伝手つてだ。誰を雇おうと、私の勝手だろう。州内閣府からその権限を与えられている」

「そりゃそうだけどよ……」


 ベイカーの顔に、下卑た笑みが浮かんだ。

「――で? もうヤったのか?」

 シュルツは白けきっていた。

「その質問も精神鑑定のつもりか? 時間の無駄だ、帰りたまえ」

「そのために雇ったんだろ? ったく、恰好つけやがって」


 ベイカーは口笛を吹いてMARIAを見上げていた。……どうやら、スカートの中を覗き見ようとしているらしい。


 ――下衆な奴め。あの娘がヒューマノイドだとも知らずに。


 ベイカーの姿は滑稽だった。


『パートナー・ブラジウス。お取り込み中のところを恐縮ですが、そろそろ参りませんと』


 ベイカーとシュルツの会話に割って入った者がいた。もはや玄関ホールの調度品となりかけていた、甲冑のような亜ヒト型ロボットI-05-31-PRIMUSが、主人に向かって声をかけたのだ。


「ちッ。――まぁ、そうだな。次の用がある」

 ベイカーは、少し忌々しそうにI-05-31-PRIMUSをふり返った。


「よし分かった。おいクズ鉄、荷物を下ろせ」

『了承いたしました』

 ベイカーに命じられ、PRIMUSはシュルツの前まで進み出て、会釈してから背中の荷物をそっと下ろした。

 人間がひとり入っていそうなくらい、大きな麻袋だった。


「……なんだ、これは?」

 首をかしげるシュルツに向かって、ベイカーが少し真面目な顔で言った。


「ヒューマノイドの死体だよ」


 ヒューマノイドの、死体。ベイカーの声は、脚立の上のMARIAにも届いていたらしい。今まで一生懸命窓をみがいていた彼女の動きがぴくりと止まったことに、シュルツは気づいた。


「死に立てほやほやだったから、直接運んできてやった」


 シュルツは麻袋の口をほどいて中身を覗き見て、

「……損傷がひどいな。君が殺ったのか?」

 思わず、不愉快そうに顔をしかめた。


「バカ言え。捜査官おれたちバラすときは、もっとスマートだ――無駄な部品一つ残さず解体して、再利用できない部品は溶鉱炉さ。こいつをやったのは、民間人どもだ」


 ヒューマノイドの惨殺体……一見したところそれは、人間の惨殺体と同じように見える。破損した部位から覗き見えるのが、肉や骨ではなく金属部品であるだけだ。


「ひどいもんだったぜ。土木工事の作業現場で『死ね』だのなんだの叫びながら、パニックになった連中が二、三十人群がってた。俺が駆け付けたときには既に、こいつはこんな状態で体の中身を引きずり出されてた」


「眼球が粉砕されているな」

「目ン玉が壊されてたら、視覚情報ってのは見れねぇか?」

「いや。視覚ユニットが損傷していても、脳の視覚情報域が残っていれば問題ない」

「そいつは助かる。現行犯の奴らは全員逮捕したんだが、他にもいるかもしれねぇからな。ロボットって奴はホントに便利だぜ。死んでも、脳を調べりゃいくらでも情報が取れるんだから。『死人に口なし』ってのは、ロボットにゃ当てはまらねぇや」


 ベイカーがあらかじめ聴取したという内容では、このヒューマノイドは人間に混ざって、工事現場の作業員として労働していたらしい。突然に起きた事故から他の人間を守ったときに片足を損傷して、人間ではないことがばれた。現場は混乱に陥り、彼は職場の仲間であった人間たちに“惨殺”されたということだ。


 私刑リンチの様子がベイカーの口から語られるたびに、MARIAはおびえてシュルツのほうを見つめてきた。シュルツは脚立の上の彼女を睨み、『不自然な態度を取るな』と無言でしかりつける。それでもMARIAは不安そうな顔で、こちらを見つめ続けていた。


 シュルツは静かにひざまずき、麻袋の中身を引きずり出した。遺体の全貌が明らかになる。頭は割れ。目はえぐられ。左脚は膝から下がなかった。


 そのとき……


 がしゃんと脚立の鳴る音が、玄関ホールに響いた。脚立の上にいたIV-11-01-MARIAの体は、糸の切れたマリオネットのように脱力して、落下しかけていた。



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