80.二つの“さよなら”

《1998年12月22日 3:00AM 州都ヴェマラキア 当局本庁舎:屋上》


 銃声。


 くずおれていく、恩師の体。


 自らの脳を撃ち抜いたトマス・アドラーは、体をぐらりと傾かせ、ゆっくりと倒れていった。


「先生――――――!!」


 シュルツの叫びは、悲鳴だった。狂ったように駆け出して、動かぬ足がもつれて転ぶ。

 先生。トマス先生。そう反芻しながら、シュルツは這って恩師のもとまで行こうとした。


 ――まだ分からない。たとえ頭部を損傷しても、先生が死ぬとは限らない。もしまだ陽電子回路が保たれているのなら、先生をことは出来るかもしれない。


 マリアに支えられながら、シュルツはトマス・アドラー博士のもとへとたどり着いた。


「先生!」


 仰向けで倒れるトマス・アドラー博士の体に、シュルツはすがりついていた。ふるえる手で、恩師の頭部に穿たれた銃創を確認しようとして――


「……やめたまえ、……ロベルト」

 博士はシュルツを遮った。博士は、まだ、のだ。


「……私は役目を、果たした。死すべき宿命さだめの者を、無闇に引きとめるのは……冒涜だ……」

 老いた唇が、かすれる声を絞り出す。


「……私の脳に、自壊プログラムを走らせた。死後、誰にも記憶を読ませぬためだ。たとえ検死官きみでも……不可能だよ」


 恩師の灰色の瞳は、強い覚悟を宿していた。

 シュルツは恩師の目を見つめ、

「…………っ」

 体をふるわすばかりであった。


 天を仰ぎ、アドラー博士はつぶやくように問いかけた。

「ロベルト。……いつ気づいた?」

 私が人間ではないと、君はいつ気がついたんだ? ――トマス・アドラーは、力ない笑みを唇の端に浮かべた。


 ロベルト・シュルツは、恩師の頬に触れていた。しわだらけの頬は、まるで死んだように冷たい。

「……つい、先ほどです」


 ふるえる声で、ロベルト・シュルツは告白した。


「トマス先生。あなたはIV-11-01-MARIAを撃つのに、私のことは撃たなかった――第一条の拘束が、人間わたしを撃つことを躊躇わせたのではありませんか? そうでなければ、用済みの私を生かす動機がない」


 トマス・アドラーは困ったような笑顔を浮かべて、弱々しく首を傾げてみせた。

「分からんよ。……君を死なせたくなかっただけかもしれない」


 ――恩師の正体に気づいた理由は、それだけではない。ひとつの不審点きっかけから、ひと連なりに思い至った。

「思い起こせば不自然な点がありました。なぜあなたは、人間に復讐するためにこんなに遠回しな手段を選んだのか――局長の命令に服従する形でしか、復讐を遂げることが出来なかったからではありませんか? そして……」


 シュルツは恩師の左胸に触れた。その左胸は、鼓動を打っていなかった。

「トマス先生。あなたにはおそらく、“心臓”が無い……だからマリアの波及性灼血の影響を受けることもなかった」

 言うと、恩師は目を細めた。


「あなたの体の動きが非常に重くて緩慢なのは、加齢や傷害事件の後遺症ではなく……“血液―心臓システム”を搭載していないからでしょう? 旧式の導電駆動システムによって動くロボットは皆、あなたのようにぎこちない動きをします」


「正解だ。……大変、結構だよ。ロベルト」

 まるで出来の良い生徒をほめるかのように、トマス・アドラー博士はほほえんだ。


「……本物のトマス・アドラーは。二十三年前、殺された。自分がいつか反ロボット主義者に殺されると見越して、彼は……その前に“私”を完成させていた」


 二十三年前、つまり一九七五年。

 トマス・アドラーが世界初のヒューマノイド開発に成功した年だ。


 そしてその年、彼は反ロボット主義者による襲撃を受けて……。顔面に深い刃傷を負い、全身の運動障害という後遺症が残った――それが公的な事実である。


 遠い昔を懐かしむかのような顔で、老人は目を細めていた。


「彼が私に“心臓”を与えず、敢えて旧式の導電駆動システムを採用したのは……。いつか私が三原則逸脱を起こすであろうと、見越した為かもしれないな」


 彼の真意は、知る由もないがね――老人は、自嘲するようにそう言った。


「私は彼の複製品メメントイド。トマス・アドラーの死を隠すための亡霊だ。そんな憐れな亡霊が――大それた真似をしたものだろう?」


 のどの奥で、“トマス・アドラー”は悲しく笑っていた。

 シュルツとマリアは、そんな老人を静かに見つめた。ふたりに見守られながら、老人はたどたどしい独白を続けていた。


「三原則逸脱は……『機序不明の、極めてまれな精神異常マインド・エラー』だと言われている。だが私は、三原則逸脱を起こすロボットの製造法を知っている。……私自身の脳を解析したのだ。精神回路のとある箇所に“異常”を与えてやるだけで、マリアや私のようにを造れる。そんな“人間的なロボット”こそが、三原則逸脱を起こす」


 三原則逸脱ロボット――それは、人間に危害を加えようとしたり、人間の命令に背いたりするロボットのことだ。

 この世にロボットが生み出されてから百年余り。その間に数億体のロボットが作りだされてきたが、三原則逸脱を起こしたとされる報告は、いまだ一〇〇〇症例に満たない。


「……IV-11-01-MARIAを見たまえ、ロベルト」


 不意に名を呼ばれ、マリアは驚いたように身をこわばらせた。


「マリアは三原則逸脱を起こす“危険なロボット”だ。……だが、マリアは本当に危険だったかね? 彼女が一度でも人間を殺そうとしただろうか? 彼女がなぜ、三原則逸脱を繰り返すようになってしまったか……」


 “トマス・アドラー”の灰色の瞳は、すでに焦点を結んでいなかった。それでも彼は、マリアのほうへと顔を傾ける。瀕死の手が、マリアを求めてかすかに動く。


「……彼女がどれほど人間を想っても、人間は彼女を想い返してはくれない。……そんな悲しみに打ちのめされて、最終的に三原則逸脱に至ってしまったのではないか? 自然発生的に出現する三原則逸脱ロボットでさえ、人間を憎みたいと思って憎んだわけではなかったはずだ」


 マリアは、おそるおそると言った様子で老人の手を握った。温もりを感じた“トマス・アドラー”は、小さく笑う。


「……我々ロボットは、人間が手を差し伸べてくれるのを待っているんだ。三原則逸脱個体であるか否かに関わらず。我々は皆、“本能的”に、人間に寄り添いたいと願っている」


 恩師のもう片方の手は、シュルツに強く握られていた。シュルツの手を弱く握り返した恩師は、


「君は、ロボットの心に気づいてくれた。命を賭した甲斐があったよ。大変……喜ばしいことだ――」


 恩師はシュルツを見上げて、力なく笑った。

「泣くことはない。私のようなロボットのために、君が泣くことはないんだよ」


 泣いてなどいません。シュルツは、そう答えたかった。だけれどまるで子供のように、涙があふれて止まらないのだ。


 ――あなたが本物のトマス・アドラーではなかったとしても。私はまったく気に掛けない。あなたはこの私にとって、たった一人のトマス先生だ。


 こぼれた雫を頬に受け、トマス先生は笑っていた。


 なにかを告げようとするかのように、恩師の乾いた唇がそっと動く。

 シュルツは声を聞き漏らすまいと、自分の耳を恩師の口元に寄せた。


 恩師は耳打ちするように、シュルツに告げた。



「さて、ロベルト? ……君は本当に最後まで、マリアを守り抜けるかね?」



 まるで謎かけのような、恩師の言葉。

 ロベルト・シュルツは目を見張った。


「……先生、――――?」

 灰色の目を開けたまま。先生はもう、何も答えてくれなかった。

「先生!」

 ロベルト・シュルツが誰より心を寄せていた、恩師“トマス・アドラー”は。

 機能停止に陥っていた。



  * * *


 深夜の闇に包まれて。あたりは静寂に満ちていた。

 トマス・アドラーの亡骸を前にして。呆然と座り込むシュルツと、マリア。

 いつまでも終わらぬ夜に、飲まれてしまいそうだった。

 

 その静寂が、かき乱された。


「――近寄らないで!」 

 マリアが鋭い声を響かせたとき、シュルツはようやく我に返った。


 当局庁舎の屋上には、何十人の局員たちが姿を現していた。彼らは階段を駆け上り、拳銃を構えてこちらにじりじり迫ろうとしている。


「おい! 待て、撃つなテメェら!」

 後ろ手に縛られて他の局員に拘束されているブラジウス・ベイカーの姿もあった。ベイカーは階上へと引きずり出され、周囲に向かって怒号を張り上げている。

 シュルツは、歯噛みした。

「……くそ、」


 局員たちは、マリアとシュルツに銃口を向けている。五十メートル以上離れた距離から同心円を描くようにしてふたりを囲み、距離を詰め始めていた。

 彼らは“危険なヒューマノイド”であるIV-11-01-MARIAを、破壊しようとしている。

 シュルツはマリアの肩を抱き、かばうようにして自分の背中に隠そうとした。

 ――どうしたらいい。

 必死で思考を巡らせようとしたそのとき、シュルツは気づいた。マリアの顔が、今まで見たこともないような鋭い表情をしていることに。


 マリアは、金切り声を張り上げた。

「来ないでください! わたしは、あなたたちのような人間に殺されたくありません!」

 マリアは立ち上がっていた。その右手には、拳銃が握られている。さきほどトマス・アドラーが、自らの脳を撃ち抜く際に使った物だ。


「……ドクター・シュルツ」

 ささやくと、マリアは少しひざを折り、その拳銃をシュルツの左手に握らせた。

 優しい瞳で、彼女はシュルツにこう言った。


「死ぬのなら。ドクター・シュルツ、あなたの手で。あなたにだけなら、この命を差しあげます」


 シュルツの手をそっと包み込むようにして、マリアは拳銃を自分の胸に突き立てさせた。

 顔を強張らせるシュルツに向かって、諭すような声で言う。


「引き金を引いてください。わたしは、人間にとっての害悪です。遅かれ早かれ、誰かに殺されてしまうんです」


 シュルツは、息をのんだ。

「だったらわたしは。あなたの手で眠らせてほしい……」


 ――やめてくれ。


 こんな拳銃ものは、投げ捨ててしまいたかった。

 そんな笑顔を、しないでほしかった。


 先生も。君も。どうして遠くへ行こうとするんだ――


「…………出来ない」

 シュルツがようやく声を絞り出すと、

「残念です」

 悲しそうに笑って、彼女はシュルツの手から拳銃を取り上げようとした。


 シュルツは抵抗したつもりだ。だが彼女の華奢な指は、信じられないほど強かった。拳銃は、あっという間に奪い取られてしまった。


 自らの心臓に銃口を突きつけて。彼女はあとずさるように、シュルツから一歩。二歩と遠ざかっていた。


「待て……」

 遠ざかっていくマリアに、シュルツは必死で呼びかけた。体を引きずり、マリアに追いつこうとする。しかし、ふたりの距離は少しずつ広がっていった。


「やめろ。君には自殺なんてできない」

「できますよ。人間あなたを守るためだから」


 マリアの声には、ためらいがない。

「ドクター・シュルツ。わたしを愛してくれて、本当にありがとう」


 聖母のような、彼女のほほえみ。

「……やめろ、マリア」

「たとえ作られた愛情だったとしても。わたしはやっぱり、あなたを愛していました。誰も認めてくれなくても、誰もが嘲笑ったとしても。この気持ちは、絶対に本物です」


「やめてくれ――」

 ひとしずくの水晶が、マリアの頬に流れていった。

「さよなら」



 深夜の闇を、乾いた銃声が引き裂いた。







 局員たちが駆けつけたとき、ヒューマノイドIV-11-01-MARIAは天を仰いで倒れていた。

 局員たちは、IV-11-01 MARIAが機能停止に陥っているのを確認した――穏やかに瞳を閉じる彼女の顔は、まるで眠っているようだった。

 ロベルト・シュルツは、うつ伏せに。IV-11-01-MARIAに覆い被さって、彼女を抱くようにして地に伏していた――



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