78.決断


  あなたは人間に復讐するために、IV-11-01-MARIAを作ったのでしょう!?



 シュルツの言葉を、まるで悪い夢の中にいるような心持ちでマリアは聞いていた。

 すべてが。夢であったらいいのに。

 こんなにひどい現実は。悪い夢ならよかったのに。


 マリアの視線の先には、アドラー博士とロベルト・シュルツ。彼らの争いを、マリアは呆然と見守っていた。


 シュルツがどれほど叫んでも、アドラー博士には届かないようだった。博士は何も答えずに、沈黙を貫くばかりだ。


 ――苦しい。

 息もできないくらい、胸が苦しかった。


 ――わたしは、アドラー博士が人間への復讐を果たすための……“道具”?


 自分は道具でも奴隷でもない……そう、信じていたかった。だけれど現実は残酷だ。“道具”として生まれた自分は、その現実を受け入れるしかないのだ。


 ――わたしという“道具”が存在するせいで。関係のないロボットたちがたくさん死んでいく。アドラー博士は止まらない。ドクター・シュルツは苦しめられる。


 最愛の人が、苦しめられる。


「…………」

 マリアは、シュルツを守りたかった。

 こんな馬鹿げた争いの中で、これ以上あの人を苦しめてはいけない――なんの役にも立たない出来損ないの自分だけれど、シュルツを今の苦しみから解放するための方法ならば知っていた。


 ……すべての元凶は、自分なのだから。


 マリアは立ち上がっていた。

 シュルツとアドラー博士が彼女の異変に気づいたとき。マリアはすでに、大会議室の入り口とは反対方向に駆け出していた。

 非常扉だ。

 屋上に続く非常扉を開け放ち、全速力で駆けあがる。


「「マリア!?」」


 アドラー博士とシュルツ。ふたりは同時に叫んでいた。

 マリアは振り返らなかった。


  * * *


《1998年12月22日 2:50AM 州都ヴェマラキア 当局本庁舎:屋上》


 屋上につながる分厚い鉄扉を開け放つ。開けた瞬間吹き込んできた真夜中の強風が、マリアの肌を突き刺した。

「……ぅ」

 屋上の床を踏みしめた。

 ざらりとつめたいコンクリートの感触が、靴底から足に伝わった。冷たく、悲しく。つま先から凍りつきそうなくらいに寒かった。


 びょうびょうと鳴る風が前後左右に吹き荒れて、髪を激しくなぶられる。体を持っていかれそうなくらいの強風。視界を遮るものはない。夜間照明に照らされた三六〇度の眺めが、瞳に飛び込んできた。

 四十一階建ての本庁舎から見渡す州都の夜景は、冷たい宝石のように輝いていた。


「そうよ……ここから、落ちてしまえばいい」


 こんな高さから落ちたら、絶対に助からない。……だから良いのだ。


 ――わたしは、壊れなければいけない。

 関係のないロボットたちを、これ以上死なせるわけにはいかない。


 アドラー博士に、これ以上利用されたくない。

 ドクター・シュルツを、これ以上苦しませたくない。

 だから、マリアは。ふるえる足で屋上のフェンスに向かって歩き出した。

「………………」


 膝がふるえて、思うように進めなかった。それでも、進む。風になぶられながら、じわり、じわりと進んでいった。

 三原則の第三条。自己防衛の条文が、マリアの投身自殺を阻もうとする。だけれどマリアは、第三条に負ける気などしなかった。


 ――ありがとう。ドクター・シュルツ。

 あの人の顔を脳裏に描けば、足を進めることが出来た。

 あの人は、わたしを愛していると言ってくれた。

 嬉しかった。だからこそ。


「わたしは、死ななきゃいけない」

 

 わたしは“道具”だ。人間に復讐するために造られた、危険な“道具”だ――ならばこんなに危険な“道具”は、一刻も早く壊してしまおう。

 “道具”がなくなれば、アドラー博士の復讐計画は止まるだろう。そうなれば、シュルツを今の苦しみから救うことが出来る。


 それがシュルツのためになる。人間シュルツを守ることになる。

 第一条が、マリアの背中を押していた。


「それに……どうせわたしは、助からない」


 IV-11-01-MARIAが生きている限り、ロボット破壊は止まらない。

 だから、最終的にIV-11-01-MARIAを待ち構えている未来はたったひとつだ。


 危険な“道具”であるとみなされ、当局や他の治安組織に殺される。

 どんな経路をたどったとしても、最終的にIV-11-01-MARIAは殺されるのだ。もう二度と、シュルツのもとへは帰れない。


 ――さよなら。ドクター・シュルツ。


 帰れない日々。あの人の隣で過ごしたいくつもの日々。

 ひとすじ涙を目からあふれさせ、マリアはフェンスに足を掛けようとした。

 そのとき。


 銃声とともに、マリアの太腿に激痛が走った。

「……――――ぁ、っ――」

 声にならない悲鳴をあげて、マリアはその場にくずおれた。


「IV-11-01-MARIA。……勝手な真似は許さない」

 諌めるように低くて厳しい、老人の声が響く。


「……アドラー博士」

 非情階段の鉄扉を開いて、トマス・アドラー博士が立っていた。息の上がり切ったアドラー博士は、額から汗を滴らせて荒い息をついている。


「君の生存は必要不可欠だ。君を失えば、私の計画は水泡に帰す。身を投げようなど……そんな愚かな真似は許さん!!」

 真白いひげと頭髪の下。博士は憤怒の表情だった。

 博士は怒りに打ちふるえ、年老いた足取りで屋上へと進み出でた。


 アドラー博士は杖を左手で突いていた。そして右手には。

「戻りなさい! マリア!!」

 細い硝煙が立ち上る拳銃を右手でかかげ、博士は恫喝するようにマリアに向かって叫んでいた。

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