76.絶望の色

 うつ伏せで床にくずおれた局長の抜け殻を、シュルツは蒼白な顔で見つめていた。


 ――何なんだ。これは。


 この悪夢は、一体何なんだ。

 シュルツは、壁面に並ぶいくつものモニタを見た。

 庁舎のいたるところで活動していたPRIMUSたちが、どれも機能停止に陥っている。PRIMUSだけではない――亜ヒト型、モノ型を問わずあらゆるロボットが死んでいた。庁内は騒然として、一種のパニックのようになっていた。


 通信が入る。各部署から、局長の指示を仰ぐべく何件もの通信が入ってくる。


《局長!》 《――局長、これは一体!?》 《ご指示を、局長!》


 局長はいない。すでに死んだ。局長室にはシュルツだけだ。

「……せん、せい」

 床に這いつくばったまま、シュルツは声を震わせた。

「トマス先生!」 

 悲鳴のように、シュルツが叫ぶ。モニタの奥のトマス・アドラー博士がこちらを見た。


『やあ。ロベルト』

 床に伏すシュルツを、アドラー博士は静かな眼差しで見つめていた。


『君は、かつて私に約束してくれたね。IV-11-01-MARIAを守り通すと。マリアは、私とともに四十一階の大会議室にいる』


 シュルツを挑発するかのような笑みを、アドラー博士は作ってみせた。こんなに冷たい笑い顔を、今までシュルツは見たことがなかった。

『君は最後まで、IV-11-01-MARIAを守れるかね?』


 アドラー博士がそう言った瞬間、シュルツの腕を拘束していた手錠の鍵が、突然に外れた。

 画面の向こうに映っているのは冷たく笑う恩師と、マリア。

 ふたりを映していたモニターが、ふいに暗転ブラック・アウトした。


 マリアを。守れるか。

 

 何から守るんだ? あなたに託されたマリアを、あなたの手から守るのか?

 ――ふざけないでくれ。

 シュルツは叫びをあげていた。怒号のような声をあげ、動かなくなった右腕と右脚を奮い立たせようとする。

 死んだ手足は動かない。それでもシュルツは這いずるように動き出した。

 残った左の手と足を使い、壁に体を押し付けながら立ち上がる。


 四十一階。最上階の大会議室。マリアと恩師のいる場所へ、シュルツは進み出していた……しかし。


「局長!!」


 当局の局員たちが十数人、一斉に局長室に押しかけた。いつまでもヴォルフ局長が応答しないので、直接指示を仰ぎに来たのだ。

 局長の死体が床に転がっているのを見て、局員たちは気色ばんだ。


「……ヴォルフ局長!?」

 彼らがシュルツを疑ったのは、当然の帰結であった。


「貴様――局長に何をした!?」

 局員たちは口々に怒号を飛ばし、ロベルト・シュルツを取り押さえた。


「くそっ。邪魔をするな! 放せ!」

 床に叩きつけられるようにして自由を奪われたシュルツは、必死にわめいて抵抗した。右の手足は使えない。屈強な局員たちをふり払うだけの腕力もない。

「放せ!」

 顔面を床に押し付けられて、シュルツには為すすべもなかった。


 ――私を、行かせてくれ。


 そのとき。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 雄叫びのような怒号とともに、シュルツの体にのしかかっていた重みが消えた。

 自分の身に何が起きたか、シュルツには理解できなかった。だが……


「行け、シュルツ!」


 朗々と響く男の声。この声はよく知っていた。

 頭を上げたシュルツが見たのは、長身の黒人捜査官が当局局員を殴り飛ばす光景だった。


「ブラジウス・ベイカー!?」


 当局の一等捜査官。ブラジウス・ベイカーだ。

 なぜこの男が私を助ける? 一瞬混乱しかけたが、そんな暇などシュルツにはない。死に物狂いで壁にすがりつき、壁を伝ってのろのろと歩き出す。


「っざけンな! 遅ぇんだよテメェは!!」


 業を煮やしたブラジウス・ベイカーは片腕でシュルツを抱え、局長室を飛び出した。


「畜生! どいつもこいつもふざけやがって!」

 ベイカーは全力疾走だ。行く手をふさぐ扉を蹴破り、行く手を遮る局員を鮮やかに殴り倒して走る。


「ちくしょう……畜生、畜生!!!」


 猪突猛進。ベイカーは階段室の扉を突き破った。息切れを知らぬ巨躯は、シュルツを抱えて一直線に階段を駆け上がっていく。


「くそ、なんだって男抱いて走らなきゃならねぇんだ、畜生!」


 畜生、畜生と壊れたレコードのように繰り返すベイカーの横顔を、半ば呆然としてシュルツは見ていた。


「……お前は何をしているんだ」

「知らねぇよ! 何がなんだか分かんねぇ! 説明しやがれ、ロベルト・シュルツ!」


 このブラジウス・ベイカーは、局長室の外ですべてを聞いていたのだ。

 直感だった。局長室で局長の顔を見た瞬間に。直感的に、シュルツの言葉が真実であり、局長が何か陰謀を抱いているのだと悟った。だから、


「聞き耳立ててたに決まってンだろ! どのみちマリアが捕まれば俺もおしまいなんだ!」


 ヒューマノイドIV-11-01-MARIAの隠匿に関与したベイカーは、もはや当局捜査官ではいられない。どうせ我が身が終わりなら、なにもかもが自棄(ヤケ)クソだ。

 どうとでもなれ、クソ野郎!! ――そう喚き散らすベイカーを、シュルツは呆気にとられて見つめていた。


 駆ける。駆ける。最上階へと駆け上る。


「おい、シュルツ! ロボット友愛主義者のトマス・アドラーが、なんでロボットを殺すんだ! トチ狂ったか? それともウチの局長ボスの心臓を止めたかったのか!?」

「………………」


 シュルツは沈黙した。抱えられて走る道、思考を巡らせ沈黙する。


 なぜ先生は、ヒューマノイドを殺す手はずを整えたのか。

 なぜ先生は、ヒューマノイドに留まらず、あらゆるロボットを殺そうとしているのか。


 誰よりロボットを愛しているはずのトマス先生が、なぜロボットを殺すのか。ロボットへの愛情を上回るほどの動機とは一体何だったんだ。


 行き着いた答えに、シュルツは慄然とした。


「……違う、ベイカー。トマス先生の狙いは、単なるロボット破壊ではない。その先だ」

「その先?」


 いぶかしげな顔で、ベイカーはシュルツを見た。その間も足は止まらない。


「もしもこの世から本当にロボットが消え去れば、人間社会は混乱に陥る。IV-11-01-MARIAによって引き起こされるロボット破壊は、トマス先生にとって、人間社会への復讐なのかもしれない……」


 社会のあらゆる場面では、亜ヒト型やモノ型のロボットが大量に導入されている。もしも突然、すべてのロボットが死んだらどうなるだろう。人間が食する物は? 着ている服は誰が作る? 物流は誰が担っている? ありとあらゆる産業が、機能停止に陥るだろう。


「はァ!? ンだよ、それ! ……復讐!?」 


 延々と上に伸びていた階段が、尽きた。白い壁には黒いペンキで『41』と記してある。最上階だ。到着するや、ベイカーは防火扉を突き破った。長い廊下を一直線、突っ走りながら悪態をついた。


「ふざけやがって! なんつぅ回りくどい復讐だ、これだから知識階級インテリは嫌いなんだよ」


 ベイカーは走りながら、一丁の拳銃をシュルツの左手に押し付けた。


「……テメェの師匠だろ。だったら、弟子のテメェがケツ拭え。いざとなったら、ためらうな」


 冷たい汗で湿る手に、シュルツは拳銃を握りしめた。



 大会議室にいたる扉。分厚い両開きの扉の前で、ベイカーはようやく足を止めた。

「ケリ付けろ。誰が来ても、足止めしてやる」

 黒い肌に小さな汗の滴を浮かべて、ブラジウス・ベイカーは扉に背を向けた。

 シュルツはうなずく。重たい扉に身を押し付けるようにして、内側に向けてじわじわと力を加えた――


  * * *


「やぁ。待っていたよ。ロベルト」

 

 真白い雪原に降り立つ鶴の羽音のように。

 恩師の声は、静かで穏やかだった。


 広々とした会議室の中央に、トマス・アドラーは立っていた。右手に杖を突いて、一羽の鶴のようにすいと背筋を伸ばして立つ。恩師の姿は、孤高の賢者のようだった。雪色の頭髪。雪色のひげ。何者にも染まることのできない、孤独な立ち姿。


 恩師の傍らに、一人の娘がうずくまっている。壊れた人形のように身を折って、床を見つめて動かない。


「……マリア」


 シュルツがつぶやくと。

 マリアは、ぴくりと体をこわばらせた。おそるおそると言った様子で、ゆっくりとこうべを上げる。


「……ドクター・シュルツ」


 おびえるような、彼女の顔。蒼白な美貌には、絶望の色が刻まれていた。

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