59.波及性灼血《はきゅうせいしゃっけつ》

《1998年12月21日 3:10AM ナヴァ市内 ファン・レント整備工房》


 あらゆるロボットの精神は、“ロボット工学三原則”に縛られている。


 第一条では、人間に危害を加えないように・人間を危害から守るように。

 第二条では、人間に服従するように。

 第三条では、可能な限り自分ロボット自身の身を守るように。


 これらの条項ルールの内側で、ロボットは自ら考え行動するのだ。


 しかし百万分の一未満の確率で、三原則から逸脱する異常なロボットが発生すると言われている。


 ――もしもロボットの精神が、三原則から逸脱したら? 


 そんなときには、“心臓”が停止するようになっている。

 近代のロボットにとって、“心臓”はロボットの稼働に必須の部位だ。“心臓”が止まれば疑似血液が沸騰し、ロボットは不可逆的に壊れてしまう。


 規定ルールに従え、逆らうなら死ね。それがロボットの宿命だ。

 だが……


*************************************


 “三原則に逆らった異常なロボット”に、人間が「それでも、死ぬな」と命じたら?


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「ロベルトは以前、マリアに『絶対死ぬな』と命令したんでしょう? だからマリアが人間を憎んで三原則逸脱を起こすたびに、身代わりで他のヒューマノイドが死ぬ。……それが、“波及性灼血はきゅうせいしゃっけつ”」


 レナーテに、そう言い放たれて。マリアは明らかに動揺していた。


「レナーテさん。なにを……言っているんですか」

 か細い声が、不安そうにふるえている。


「わたし、人間を憎んだりしません。それに、わたしに起こるはずの死が、わたし以外のヒューマノイドに波及するって……そんな魔法みたいなこと、ある訳ないじゃないですか」


「そんな魔法みたいなことが、あったのよ。実際に」


 ロベルト・シュルツは、横から口を差し挟んだ。

「レナーテ。原理は分かっているのか?」

「いいえ、まったく」

 ふてぶてしいほど堂々と、レナーテ・ファン・レントはそう答えた。思わずシュルツが眉をしかめる。


「……なによ、しょうがないでしょ? 教授も継続不可だって言って邪魔したし。親父も死んで忙しかったし。子供もデキたし」

 あたしにもいろいろ事情があったのよ。そう言いながら、レナーテはふて腐れていた。


「一応、当時はまじめに検討しようと思ってたのよ? 音叉の共鳴とか、一卵性双生児の共感現象とか、そんな具合でアプローチしようとした矢先に中退しちゃったから、結局は闇の中だけど」


 滅茶苦茶だ。


 理論もないまま恥ずかしげもなく、そんな仮説を主張できる君の勇気には恐れ入る――ロベルト・シュルツの唇からそんな嫌味が飛び出そうになった。が、苦虫を噛み潰すような顔でそれを止める。


「……レナーテ。過去の事例を教えてくれないか。私も検索したが、詳細な報告は見つからなかった」

「えぇ。一例あるけど、『非英語圏で起こった、整備メンテナンス不良による故障事故』ってことで決着がついてたから。マトモな報告書なんか存在しなかった。あたしも昔、現地調査してデータ集めるしかなかったもの」


 一九八九年、極東の国で亜ヒト型ロボットの同時多発死“事故”が起こったという。その事故に興味を持った学生時代のレナーテ・ファン・レントは、単身で渡航して情報収集したのだ。


「お国柄……って奴なのかしら。あの国は、昔っからロボットへの嫌悪感が比較的薄いみたいなのよね。それで、とある地方都市で面白い実験がされてたの」


 同時多発死は、とある地方都市で起きていた。その都市では試験的に、亜ヒト型ロボットに市長職を預けて市政を管理させていたという。人間に任せるよりも効率的で公明な治政が実現するのでは――というのが当初の想定だった。

 だが、国内の反ロボット主義者らの批判を集め、暴力的なデモ活動が頻発したという。


「デモ活動が起こるたび、なぜか“市長”ロボットの近くにいるの別の亜ヒト型ロボットが“心臓”故障で死んでいったの。回を重ねるごとに、規模は大きくなっていった。最初は“市長”ロボットと同レベルの高度頭脳を搭載したロボットばかりが死んだけど。そのうち、安い量産型やモノ型ロボットにまで、異常死は広がっていった。暴徒がロボットを破壊したんじゃないかとも疑われたみたいだけど。そんな痕跡はなかった」


 結局、試験は続行不能になって“市長”ロボットは解体された。以後、連続“心臓死”は一例も起きなかった。

 その“市長”は重要な職を任されて、自己防衛の順守を強化されていた。――死ぬことを許されなかったロボットだ。


「IV-11-01-MARIA《あんた》みたいに、ね」


 マリアは肩をふるわせた。

「あんたは、“遺族用メメントイド”なんでしょ? だったら製造依頼者からも、生存を強く望まれていたはず。そして今は、ロベルトから『死ぬな』と命じられている。製造者のトマス・アドラー博士も、あんたの生存を望んでいる。複数の人間による第三条の強化――それが、IV-11-01-MARIAが“心臓死”を起こさない要因じゃないかしら」


「でも……わたし」

 マリアは、反論の言葉を探していた。

「もしレナーテさんの言うような現象が現実に起こるのだとしても。わたし、人間に反発なんかしていません」

「ほんと?」

 ネコ科の獣のように鋭いレナーテの目に射抜かれて、マリアは狼狽しているようだった。


「人間の身勝手に振り回されて、『人間なんて嫌い』って、思ったことはない? そこのバカにひどい仕打ちを受けて、絶望したことがあるんじゃない?」


 そこのバカ――そう言いながら、レナーテはロベルト・シュルツを指さした。

 え? と不安そうな顔をして、マリアがシュルツを見つめてきた。シュルツは思わず視線をそらしていた。


「血も涙もないバカだけど、この男、一応人間だから。ロベルトに反発するのは、つまり人間に反発するって事よ?」


 シュルツは無言のままだった。


「ふつうロボットは三原則逸脱を起こさないわ。第一の安全装置として頭脳の束縛を受けているから、どんな仕打ちを受けても、人間を憎む気持ち自体が生まれないようになっている。でも、百パーセントじゃない。……ロベルト、実際どれくらいの症例が、三原則逸脱兆候によると予想される心臓死を起こしているの?」


 問われてシュルツは、記憶をたどった。

「過去十年のデータでは、国内で四例。国際機関の報告では過去百年で九八九例だ。――非常にまれではあるが、三原則逸脱を起こす頭脳というのは、存在し得る」


 それを聞いて、レナーテはマリアに言った。


「人間の立場からひどい言い方をさせてもらうならば、IV-11-01-MARIAは『頭脳の欠陥で三原則逸脱を起こし』、しかも『第二の安全装置である心臓も、正常に停止しなくなった』暴走ロボット、っていうことになる。人間性を持てば持つほど、ロボットとしては欠陥品と判断されるのかもしれない――ほんとヒドイわね、ごめん」


 レナーテは最後にそう結びながら、マリアの肩をぽんと叩いた。

 マリアの顔は、真っ青になっている。

 彼女の蒼白さを見つめながら、ロベルト・シュルツは口を開いた。


「マリアの“波及性灼血”現象を止めなければ。どうしたら止められるんだ?」


 レナーテは首をふる。


「止まらないわよ。引き金になっている亜ヒト型が解体されるまで、過去の事例は収束しなかったもの。これからも、マリアが人間への反抗心を持つたびに大規模の死が起こり得る。解決方法として想像できるのは、人間への反抗心を捨てること。それか……」

 勝気な美貌に、ためらうような色が射した。


「……………………マリアそのものが死ぬことよ」

 

 沈黙が生まれていた。

 うつむいたまま顔を硬くしているマリアと。苦い顔で目を閉じているシュルツ。ふたりの顔を、レナーテは交互に見つめた。


「そんなことはさせるか。マリアは死なせない」


 シュルツが、立ち上がった。

「……トマス先生だ。製造者のトマス先生ならば、マリアの頭脳を修復できるかもしれない。いつの日か先生は、マリアを迎えに来ると言った。それまでは……人間への反発心とやらを最小限に抑えて、当局の目をごまかし続けるしかない」

 シュルツは、マリアにも立ち上がるよう促した。

「帰るの?」

 身支度を始めたロベルト・シュルツに、レナーテが声をかけた。

 シュルツはうなずいて答えた。


「結論は出た。それに朝になれば、いつものように今日の検死しごとが当局から届けられるはずだ。不在にしていたら、怪しまれる」

「そうね。車、貸そうか?」

「ありがたい」

 レナーテは、肩をすくめて笑って見せた。


 車の鍵をシュルツに向かって放り投げ、レナーテ・ファン・レントは言った。

「ロベルト。そののこと、しっかり守ってあげなさい」

 放物線を描いた鍵を右手で受け止めたロベルト・シュルツは、なにも答えず工房の外へ出て行った。ためらいがちな会釈の後に、マリアもシュルツの背を追う。

 古びた木戸の締まる音が響いた。

 レナーテ・ファン・レントはふたりの去った作業場に、静かに椅子に腰を下ろしていた。



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