58.うらやましい

《1998年12月21日 2:40AM ナヴァ市内 ファン・レント整備工房》


 整備師レナーテ・ファン・レントは、かつて自分が研究してきた“波及する死”――波及性灼血死について、シュルツに教えてやってもいいと思った。その交換条件として、三原則逸脱を起こしたという稀少なロボットIV-11-01-MARIAを、少しばかり“研究”したくなったのだ。


 レナーテは、居住スペースと作業場をつなぐ扉を閉めた。シュルツを作業場にひとりで締め出した形だ。

 IV-11-01-MARIAはレナーテを見上げて顔を曇らせた。


「わたしの……“心臓”を?」

「えぇ。ただ見るだけよ。別に殺したりしないから。いいでしょ?」


 MARIAは頬をほの赤く染めて、ためらっているようだった。

 ためらう。そんな反応を示すロボットを見るのさえ、レナーテにとっては初めての経験だ。


「ついでに整備してあげるから。あんた、何度か灼血感の症状が起きたんでしょ? なら、きちんと整備したほうが良いわ。下手すると“心臓”の調圧弁が壊れて死ぬかもしれないもの」

 それは、単なる脅しではない。

「死ぬ……?」

 顔を青くしながら、MARIAはようやくうなずいた。


 MARIAはブラウスを脱いで、上半身の素肌を露わにした。

「いい? 触れるわよ」

 言いながら、レナーテはMARIAの背中を開いて開口部から手を突き入れた。

「……あっ」

 IV-11-01-MARIAの白い背中が、恐怖するようにふるえていた。あえぐように呼吸が浅くなる。ふつうロボットは“心臓”を掴まれても、こういう反応はしないのだが。


「ん? 痛くないでしょ? すぐ終わらせてあげるから我慢して」


 レナーテは言いながら、突き込んだ手を大雑把に動かした。

「――ふぅん。調圧弁も正常ね。“心臓”にまったく異常ないわ」


 MARIAが何度も三原則逸脱を起こしたというのならば、“心臓”に不具合が残っているのではないかと思ったのだが。まったく異常は見られなかった。


 念のために“心臓”以外の部位も確認してやった。異常はない。手際よく整備を済ませ、レナーテはMARIAの背から両腕を引き抜いた。

「はいっ、終わり」

「…………」

 MARIAは肌を真っ赤に染めたまま、うつむいて沈黙していた。

「どうしたの? “心臓”の検査は終わりよ。着たらいいじゃない」

「あの………………」

「ん?」

 泣き出しそうな顔をして、MARIAがこちらに振り向いた。


「ドクター・ファン・レント。あなたは、ドクター・シュルツとよく似ています」


「へ?」

 いきなり、何を言い出すのだろう。ぎょっとして目をむいていると、IV-11-01-MARIAはさらに言葉を継いだ。


「あなたと話しているときのドクター・シュルツは、なんだか安心しているみたいでした。あの人に信頼されているあなたが……とても、うらやましいです」


 “うらやましい”? 

「ドクター・シュルツとは……どういう、ご関係なんでしょうか……」

「昔の男」

 雷に打たれたような顔をしたIV-11-01-MARIAを見て、レナーテは思わず笑っていた。

「昔の男。……かもしれない。わかんない、もう忘れちゃった」

「え……?」

 うそよ、バカね。――そんなふうに言いながら、レナーテはMARIAを小突いていた。

「MARIA。あんたって、面白い子ね」


 ロボットはうらやましがらない。ロボットは嫉妬しない。それが世間の常識だ。なのに……。このIV-11-01-MARIAはまるで人間の娘のようだ。

「ねぇ、マリア。あたし、あんたのことが少し気に入っちゃった」

 レナーテは、思わず笑みをこぼしていた。

 マリアの肩をぽん、と叩いてレナーテは立ち上がった。


 コーヒー飲む? あんたには摂食機能があるんでしょ? 疑似胃が備わってるもんね――そう言いながら、マリアの返事を待たずにポットで湯を沸かし始める。

「あたしね。実は、ロボットにも感情があるんじゃないかって感じる時があるの。あたしは子供の頃からここで暮らしてて。いろんなロボット見てきた。ヒューマノイドも、亜ヒト型も、モノ型も。いろいろ」

 食器棚からマグカップを二つ取り出し、レナーテはカップの中にインスタントコーヒーを入れた。


「でね。子供だったあたしは、ロボットに興味津々なわけ。親父が整備してる真っ最中のロボットにちょっかい出してさ。勝手に部品を抜き取ったり、蹴っ飛ばしたり、好き勝手するの。親父にしょっちゅう怒られてたなぁ」


 そんなことをしたら、ロボットが悲しむだろう! ――父親がそう怒鳴るたび、レナーテは言い返していた。『ロボットは何にも感じないんでしょ? だったらいいじゃない』


「でも親父の言うように、『本当は感情があるのかも』って感じる瞬間があったの。なんだか、気持ちを我慢してる感じっていうか……」

 沸騰したばかりの湯を、レナーテはマグカップに注ぎいれた。


「いつかロボットと腹割っておしゃべりできたら、楽しいだろうなって思ったことがある。あんた見てると、やっぱロボットも泣いたり笑ったりしたいんだろうなって気がするわ。――はい、どうぞ」


 差し出されたマグカップを、マリアはおずおずと受け取った。マグカップの中をじっと見つめる彼女に向かって、レナーテは苦笑する。


「ロベルト・シュルツのコーヒーとは、全然違うでしょ? あたしはこういう簡単なのが好きなの。あいつの好みは、鬱陶しいわ。……飲んでみてよ、これはこれで美味いんだから」


 ひとくち飲んだマリアは、少しだけほほえんだ。


「おいしいです。ありがとうございます、ドクター・ファン・レ――」

「あたし、博士ドクターじゃないの。中退してるから。だから『レナーテ』って呼んで」

「……はい。レナーテさん」


 はにかむように笑ったマリアを見て、レナーテは素直に可愛いと思った。


「ロベルトよりもあんたのほうが、よっぽど人間的ね。知ってる? あいつ、学生時代に“ロボット・シュルツ”って陰口叩かれてたの。間抜けでしょ」

「ロボット・シュルツ?」

 レナーテはうなずいた。Robertロベルトではなく、Robotロボットと。教師や学友には心を閉ざしている一方で、養父のトマス・アドラー博士にだけは懐いて付き従っていたから。


「あいつ、口癖みたいに『トマス先生、トマス先生』って連呼するでしょ? そういうところがなんかロボット臭いというか……」


 ロボット・シュルツというあだ名を流行らせたのは、他ならぬレナーテ自身なのだが……それはどうでもいいことだ。ロボット嫌いのクセに、本人シュルツ自身はやたらとロボット的である――彼のそういう滑稽さが、当時のレナーテにとっては興味深く思えたのだ。


 少し沈黙してから、レナーテはつぶやいた。

「どこが好きなの? あんな男」

「分かりません」

 マリアは、ためらっているようだった。

「初めて会ったときから、心を惹かれました。時間が経つごと、ますます惹かれます。こんな気持ちになったことは、今まで一度もありませんでした……」


 心を惹かれる、か。本当に人間みたい。あのトマス・アドラー博士が自らの手で作ったというヒューマノイドは、こんなにも高度なのね。――レナーテは、そう思った。


 これが、三原則逸脱を起こしたというIV-11-01-MARIAの精神性。あまりにも人間的だ。人間的すぎるロボットは、彼女のように三原則逸脱を起こすものなのかもしれない。

 かつて自分が研究しかけて投げ出した“波及性灼血”仮説のことを思い出しながら、レナーテはマリアに質問した。


「ねぇ、マリア? ロベルトと前に何か約束したことがあるんじゃない? 記憶しているのなら、そのまま原文通り教えて」


「はい。初めてドクターに会ったとき、言われました――『大変不本意だが、私は今後あらゆる障害から君を守らなければならない。君自身、ロボット工学三原則・第三条に照らし合わせて、最大限自らを防衛するように。トマス先生が迎えに来るというその日まで、私は君が“死ぬ”ことを絶対に許さない。理解したか? これは、命令だ』――以上です」


「……そう。ありがと」

 レナーテは、作業場につながる扉を開け放った。

「あら、ロベルト寝てたの? いいご身分ね」

 寝不足らしくうとうとしていたロベルト・シュルツに嫌味を言ってから、レナーテは自分の頭を掻いていた。

「あんたたちを助けてあげられるような、いい知恵があればいいんだけどね……なんつっても、投げ出しちゃった研究だからなぁ……」


 レナーテは、マリアをふり返った。

「でもね、たぶんあたしの仮説が正解。マリアが人間を憎んで三原則逸脱を起こすたび、マリアの周囲のヒューマノイドが、マリアの代わりに死んでるの」

 突拍子もなくそんなことを言われて、マリアは目を見開くばかりだった。


「中核となる一体のロボットの灼血症状に共鳴して、他のロボットたちに“心臓死”が引き起こされる――そんな現象を予想して、昔あたしはそれを“波及性灼血”と名付けたの」

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