57.波及する死 

《1998年12月21日 2:25 ナヴァ市内 ファン・レント整備工房》


 整備士レナーテ・ファン・レントは、シュルツの古い“友”である。


 シュルツを“友”と呼ぶべきか、彼女自身は分からない。ただ、浅からぬ因縁があることだけは確かだった。そして例えば今日のような雪深い深夜に、凍死しかけの彼を拾って新しい右腕を取り付けてやる程度には、今なおシュルツに愛着を感じていた。


 若干二十歳で大学院に進学してきたロベルト・シュルツを。

 いつも取り澄まして他人を小馬鹿にしていたロベルト・シュルツを。

 そのくせ世間知らずの金持ち坊やのように、ときおり常識外れな行動をとるロベルト・シュルツを。


 少なからずの好奇心を持って観察し続けていたのが、このレナーテ・ファン・レントであった。

 だからこそレナーテは、彼の変化に驚いた。


『レナーテ、放してやれ。嫌がっている』

 ――あのロボット嫌いのロベルトが、ヒューマノイドを気遣うなんて。


『確かに私は、学生時代に君の仮説を侮辱した。その件は謝罪する』

 ――あの自尊心プライドの塊みたいなロベルトが、謝罪を口にするなんて。


 なにが、この男をここまで変えたのだろう?

 答えはあきらかだ。ヒューマノイドIV-11-01-MARIAの存在に違いない。

 そしてロベルト・シュルツは、レナーテにこう言った。


『マリアが……IV-11-01-MARIAが、一連のヒューマノイド大量死事件を引き起こしている可能性が高い。彼女について、君の意見を聞かせてほしい』


 レナーテ・ファン・レントは声を上ずらせていた。

「ちょっと待ってよ……“波及性灼血はきゅうせいしゃっけつ”を、IV-11-01-MARIAが引き起こしてるですって? あんた、正気? だってあの仮説は、ろくな検討も出来ないうちに絶ち消えになったのよ? 理論もクソもあったもんじゃあないわ。現地調査がやっとひと段落ついて、さぁ、これから――って状態だったんだから」


 ロベルト・シュルツは平静な顔でうなずいていた。

 レナーテには信じられなかった。この男が、あんな非科学的な仮説を受け入れようとしているなんて。


 波及性灼血死は、レナーテが学生時代に主張していた仮説だった。三原則逸脱を起こしかけたロボットに起こるべき“心臓死”が、そのロボット自身ではなく周囲の個体に及ぶ――という内容である。過去に起こった原因不明の大量死現象に着目した彼女は、そのような仮説を打ち立てたのだが。みなに超自然オカルト的・非科学的と酷評されて、研究を断念せざるを得なくなったという経緯いきさつがあった。


 レナーテが呆然としていると、シュルツが口を開いた。

「私自身、あのように馬鹿げた仮説を絶対に受け入れたくなかった。だが――」

「なによ、馬鹿げてて悪かったわね!」

「だが現実に、エルハイト市内の大量死現象は、マリアが三原則逸脱で死にかけた時刻とまったく同時だった。この大量死は、回数を重ねるごとに規模が大きくなっている……まさに、君の仮説と一致する」

「待ってよ。IV-11-01-MARIAが三原則逸脱マインド・エラーを起こしたの? あの娘あんたに対してすごく従順そう……逸脱なんか起こすとは思えない」


 “三原則逸脱”。それは発生頻度百万分の一未満という、極めてまれな精神回路の異常である。頭脳中枢に組み込まれているロボット工学三原則に背いて人間の命令に背いたり、人間に危害を加えようとしたりすることを意味する。

 そして万一この三原則逸脱が起きた場合には、ロボットは“心臓”という部位が破損して死亡するように造られている。

 レナーテの言葉に対して、シュルツは答えた。


「いや。……マリアは、私に対して三度、三原則逸脱を起こしたんだ。彼女は私の命令に逆らおうとして、“胸の灼けつくような痛み”に苛まれていた」

「“灼血感しゃっけつかん”ね。どうしてMARIAはあんたに背いたの?」

「……私が彼女の記憶を消そうとしたからだ」

「記憶を消した時の状況は?」


 シュルツは、視線をそらせて黙していた。煮え切らない態度にイラついて、レナーテは問いを重ねた。


「ねぇ、ロベルト。黙ってたらわからない。MARIAの頭脳に起こった事象イベントを把握したいんだけど。なんでIV-11-01-MARIAの記憶を消したの?」

「………………IV-11-01-MARIAが、私を愛している、と言ったからだ」

「え!?」

 レナーテは耳を疑った。

「ロボットが!? 人間を愛しているって?」

 そんな事例、いままで見たことも聞いた事もない。

 一方のシュルツはそっぽを向いたまま、無表情に黙り込んでいる。


「――で? 迷惑だから記憶を消して、なかったことにしたっての?」


 彼女が言うと、ロベルト・シュルツは露骨に嫌そうな顔をした。

「ロボットが人間に“愛情”を持つなど、精神回路の異常としか考えられない。だから、消した。愛情に至ったと推測される記憶をいくつか消去したんだ」


 しかしいくら記憶を消しても、IV-11-01-MARIAはそのたびにシュルツを愛してしまう。その繰り返しで、シュルツは彼女の記憶を三度消去したのだと告白した。

 驚き半分あきれ半分、レナーテはシュルツを茶化すように言った。


「……ンで? つられてあんたも彼女のことを愛しちゃった、っての? 愛情の双方向性ってやつかしら?」

 そんなふうに揶揄されるとは、シュルツは予測もしなかったらしい。

「馬鹿を言うな。私はトマス先生にマリアを託されたんだぞ!」

 下世話に茶化され、彼は不愉快そうに声を低くした。


「私にはマリアを守る義務がある、だから“波及性灼血はきゅうせいしゃっけつ”とやらの詳細を知るために君を訪ねたんだ。そうでなければ、こんなみすぼらしい工房になど出向くものか」

 あら。みすぼらしくてゴメンなさいね。お気に召さないなら、とっとと帰んなさい。

 ――と、切り捨てて追い出すこともできたのだが。レナーテは、そうしなかった。

 IV-11-01-MARIAというヒューマノイドに対して、好奇心を覚えたからだ。


「あたし、三原則逸脱を起こしたロボットを実際に見るのは、初めてよ」

「あぁ。私も初めてだった。発生頻度は百万分の一未満だぞ? 国際的にも、三原則逸脱を起こしたロボットというのはまだ千例に満たない」


 そんな稀少な存在を、ろくに見もせずに帰すなんてもったいない……レナーテを駆り立てたのは、純粋な好奇心だ。

「ロベルト。あんたに“波及性灼血”のこと、教えてあげてもいいわ。でも、その前に……」


 レナーテは、作業場の扉を開けた。

 扉の奥はファン・レント家の居住スペースだ。

 IV-11-01-MARIAは暖炉の前で座っていた。そのMARIAの膝の上では、娘のシーナがすやすや寝息を立てている。

 レナーテは、好奇心を瞳に宿してMARIAに言った。

「IV-11-01-MARIA。あなたの“心臓”、見せてほしいんだけど。いいかしら?」

 言われた瞬間、IV-11-01-MARIAは怯えるように美しい顔をこわばらせた。

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