56.再会

《1998年12月21日 2:10AM ナヴァ市内 ファン・レント整備工房》


 ぼやけた視界に、板張りの天井が映り込む。


 ロベルト・シュルツは目を覚ました。

「――………………?」

 状況がつかめず、重たいまぶたをこじ開けて周囲を見た。

 ここは、整備士の工房のようだ。


 ――レナーテの工房か?


 そうなのだとすれば、マリアが無事にここまでたどり着いてくれたということだ。

 あのヒューマノイドたちは、今ごろ……どんな状況にあるだろう。身勝手に利用して身勝手に死なせることになってしまった彼らの命を思い出し、シュルツは顔を曇らせた。


 ――あれから、どれほどの時間が経っただろう。


 周囲の様子をうかがうように、首だけ動かしてあたりを眺めた。


 あまり広くはないが、整頓が行き届いている工房だった。木組みの部屋の壁面は棚になっており、大小さまざまな工具や部品が並んでいる。部屋の一角には、やや旧式の亜ヒト型ロボットが何体か置いてある。整備中のようだ。


 石油ストーブの火が暖かい。シュルツは上半身を脱がされて、硬いオーク材の作業台の上に乗せられていた――ロボットの整備をする時に寝かせる台だ。体の上には、薄手の毛布が一枚かけられていた。壊れたはずの右腕には、新しい義手が取り付けられている。

 シュルツが身を起こして、右手を開いたり閉じたりしてその操作性を確認していると、


「あら。目が覚めたの? ロベルト」


 滑舌の良い女の声に名前を呼ばれて、ロベルト・シュルツは声のほうに首を向けた。

「……レナーテ」

 手にマグカップを持って扉の向こうから現れたのは、赤い髪の女――レナーテ・ファン・レントだった。


 上下つながった作業着に身を包み、しなやかな足運びで部屋の中に入ってくる。歩くときの仕草と切れ長の目の印象が強いため、この女を見ると、シュルツはいつもネコ科の獣を想起する。会うのは実に四年ぶりだが、レナーテは相変わらずだった。


「上腕三十三センチ/前腕二十六センチ男性用の右義手。どう? あんたにぴったりのサイズでしょ?」


 レナーテは、シュルツが腰を下ろしていた作業台の横までやってきた。しかし彼に目を合わせることはなく、マグカップの中のコーヒーを眺めている。


「その義手……ちょうど一本だけ、在庫があったの」

 レナーテは、勢いよくコーヒーを飲み干した。


 あんたの目が覚めたら調整してやろうと思ってたのよ、そう言いながら工具を用意し始める。


「あぁ。料金は後でちゃんと、あんたの研究所ラボに請求しとくから心配しないでいいわよ?」


 シュルツに背中を向けたまま、彼女はしれっとつぶやいた。

 彼女の背をしばらく見ていたロベルト・シュルツは、思い出したように自分の右手に視線を戻した。

「……――」

 シュルツが口を開いて何かしゃべろうとすると、

「あんた、いま『皮膚の色が違う』とか文句言おうとしたでしょ」

 彼女にぴしゃりと遮られ、シュルツはわずかに目を見開いた。


 レナーテは彼をちらりとふり返り、『図星でしょ?』と得意げに言う。

「バカねぇ、既製品レディメイドなんだから当たり前じゃないの。ロベルト、あんた義手買い替えたのね。それKCEAロボティクス社の精巧仕様モデルでしょ……腕一本の値段で、アマルフィに別荘が一軒建つってウワサの。うちの工房にはそういう贅沢品はないから! ロボット義肢の在庫があるだけ、ありがたいと思いなさいな。気に入らないなら、金だけ取って追い出すわよこの雪ン中に」


 レナーテの赤いくちびるから、流れるように次から次へと威勢のいい言葉が飛び出す。

 ――あぁ、この女は。相変わらずよくしゃべる。

 この女は、いつも先回りして嫌味を言うから嫌なんだ

 シュルツはげんなりしながら彼女の言葉を聞いていた。

 そんな彼の右肩から指先までの作動性を入念にチェックしながら、

「で。説明してちょうだい、どういうこと? なにがあったの?」

 レナーテ・ファン・レントは、眉間にしわを寄せて尋ねてきた。


 ――何と答えたものだろうか。


 シュルツはしばし、言葉を探して沈黙していた。

 その態度を見て、さらに彼女は苛立ったらしい。わざとらしくため息をついた。

「あたしに会う口実を作るために、わざわざ腕を壊してきたって訳じゃないんでしょう?」

 思わずシュルツは眉をしかめた。


「……相変わらずの自意識過剰ぶりだな、レナーテ。変わりなくて何よりだ」

「……相変わらず歪んでるのね、ロベルト。変わりなくって何よりだわ」


 剣呑な顔で睨み合っていた二人だが、

「私の連れがいただろう? 彼女はどこにいる」

 シュルツがふいに思い出したように“彼女”のことを問いかけると、レナーテはため息をついた。

 レナーテは扉をにらんで、

「入ンなさい。あんた」

 と、つっけんどんに言った。


 おそるおそるといった様子で扉が開き、奥から一人の娘が顔を出す。

「……ドクター」

 マリアだ。

 消え入りそうな声でそうつぶやいて、マリアはじっとロベルト・シュルツを見つめていた。

 ため息まじりに、レナーテが言った。

「ずいぶん若い連れてるじゃない。……キレイな娘だけど、あんた、ああいうの苦手じゃなかったっけ?」


 レナーテは、マリアの正体に気づいていないようだった。

「困ってたのよ。聞いてもその、何も答えてくれないんだもの」


 マリアは気まずそうにうつむいた。余計なことを話たら、レナーテ・ファン・レントが当局に密告してしまうかもしれない――そう思って黙っていたのだろう。しつこくて気の強いレナーテの詰問をかわし続けるのは、マリアにとって相当な苦難だったはずだ。

 シュルツは息を吐きながら、


「彼女はIV-11-01-MARIAマリア。ヒューマノイドだ」

 そう正直に告げた。

 マリアとレナーテ。それぞれの顔が驚愕に染まった。


「……」

 くちびるを引き結んだまま、マリアは非難するようにシュルツを睨んでいた。必死に隠していた事実を、レナーテに呆気なく告げてしまったためだろう。


 レナーテが声を張り上げた。

「この娘がヒューマノイド!?」

 思わず立ち上がり、彼女はマリアに近寄った。


「うそでしょ? こんなに精巧なヒューマノイドがいるっていうの!?」

 無遠慮な手つきで、レナーテはマリアの頬をつかんで強く引き寄せた。かつてシュルツがしたように、マリアの瞳を覗き込んだり、マリアのくちびるから発せられる呼気の温度を確認したりしようとした。

「っ……やめて、……ください」

 マリアは顔を赤くして、恥じらうように顔をそむけようとした。

 その反応を見て、レナーテはさらに驚いている。


「レナーテ、放してやれ。嫌がっている」

 シュルツが言うと、レナーテはますます驚いたようだった。


「IV-11-01-MARIAは、トマス・アドラー博士がお造りになった“遺族用ヒューマノイド《メメントイド》”だ。私はトマス先生から、彼女を保護するよう頼まれている。ヒューマノイド狩りに巻き込まれた彼女を救い出す過程で、義手を損傷してしまった」

「あぁ。ヒューマノイド狩りね――。テレビも新聞も大騒ぎよ。エルハイト市の半分近くのエリアが閉鎖されたんでしょ?」


 まるで殺人事件のニュースを見たときのような顔で、レナーテは言った。その表情は痛ましげではあったが、身に迫るような緊迫感がある訳でもない。

 シュルツは、あえて曖昧な質問をした。


「……その後、どうなっている?」

「どう、って? 処分場に送られた後のことは、とくに新しいニュースはないけど」


 首を傾げてレナーテは言った。


 ――解体処分場でヒューマノイドたちが“反乱”を起こしたことは、まだ市民には報じられていないのか。

 彼らが行動を開始してからすでに四時間が経っている。警察がそれに気づかないはずがないし、当局も何らかの動きを始めているはずだ。


 ……しかし。それはすなわち、あのヒューマノイドたちがすでにこの世にいない、ということを意味する。


 再び黙り込んでしまったシュルツに、レナーテ・ファン・レントが詰め寄った。

「で、一体あんたは、何しにここに――」


 そのとき、扉の向こうから、階段を下りてくるような小さな足音が聞こえた。

「ママぁ」

 舌足らずな声でそう呼びながら、ひょっこり顔を出した子供。クマのぬいぐるみを抱えた、三、四歳の少女だった。肩で切りそろえた髪はレナーテと同じ赤色で、瞳の色もよく似ている。すその長いパジャマをひきずりながら、眠そうな目をこすっている。

「あら、シーナ」

 いままで眉間にしわを寄せていたレナーテが、ふと表情を和らげた。

「目が覚めちゃったの?」

「うん」

 子供はつたない足取りでレナーテに駆け寄り、膝にしがみついた。人見知りするような顔でシュルツとマリアをちらりと見て、

「ママ。この人たち、だぁれ?」

「ママの昔のお友達よ」

 娘の髪を、レナーテは愛おしげに梳いた。


「ママはこのおじさんとお話があるのよ。まだ夜だもの、シーナは寝なきゃ」

「やだぁ。ひとりじゃ寝れないもん……」

 いつのまにやらレナーテは、すっかり母親の顔になっていた。

「そっか……困ったわね」

 レナーテがほほえみながら首を傾げていると、

「マリア、君がその子供の相手をしてやれ」

 割って入るようにシュルツが声を差し挟んだ。


「え? わたしが……ですか?」

 シュルツはうなずいた。

「私はレナーテに話がある」

 言われると、マリアは傷ついたような顔をした。悲しげに眉をよせ、

「わかりました」

 人見知りする少女をなだめるようにほほえみかけて、マリアは少女の手を取った。やわらかく手を引いて退室し、ぱたんと扉を閉めていく。

 シュルツとレナーテのふたりだけが、作業場の中に残った。


「――で? 結局あんたの用って、なんなの?」

「“波及性灼血はきゅうせいしゃっけつ”仮説だ」


 シュルツがその単語を吐き出すと、レナーテの顔が一瞬にして強張った。

「え?」

「“波及性灼血”だ。君は博士課程で、ロボットの異常死現象を“波及性灼血”と名づけて研究していただろう? それについて、詳しく聞かせてほしい」


 レナーテの整った顔立ちが、どんどん不愉快そうにゆがんでいく。

「……なによ、あんた。わざわざあたしの古傷を突っつくために、こんな夜中に押しかけて来たわけ? 嫌がらせのつもり?」

「嫌がらせではない。どうしても知りたい。――大学の研究室に問合せたが、君の研究成果は何も保管されていなかった。直接君に依頼するしかないと思って、押しかけた」


 レナーテは声を尖らせた。


「なによ! 昔さんざん、あたしのことバカにしたくせに。あんただけじゃないわ。教授たちもみんな笑って、誰一人耳を貸さなかった。だから学校やめるとき、データなんか残さなかったのよ。あたしが消えた後で、暇つぶしにデータ眺められて物笑いのネタにされるなんて不愉快でしょう? あたし自身は二度と、研究職に戻るつもりもなかったし」


 当時のことを思い返すうち、レナーテの腹立ちはますます激しくなってきたようだ。

「あんたの嫌味が一番腹立ったんだから! どうしていつも、あんたは私を怒らすの? 『科学者の思考とは思えない』から始まって、あたしのこと『赤毛のミジンコ』呼ばわりしてたわよね!? 撃ち殺してやろうかと思った」

 シュルツ自身は、どんな発言をしたかほとんど覚えていない……もう少し知性的な指摘をしてやったような気もするのだが。しかしともかく、今レナーテを激昂させることは、彼の本意ではなかった。


 だからシュルツは、深く頭を下げていた。

「確かに私は、学生時代に君の仮説を侮辱した。その件は謝罪する」

「……謝罪?」

 シュルツは再び頭を上げて、真正面からレナーテを見つめる。

 青い瞳に射抜かれて、レナーテはひるんだような顔になった。


 あんたが謝るなんて、天変地異の前触れかしら? ――などと嫌味を吐かれても、シュルツは表情を変えなかった。

 しばらくするとレナーテは、拍子抜けしたように肩をすくめた。


「……まぁ、どうでもいいわ、昔のことなんて。確かに超自然的オカルトよね。『一体のロボットの身に起こるべき“死”を、周囲にいる別のロボットたちが身代りになって引き受ける』なんてさ」


 レナーテがため息をつくと、シュルツはふたたび言葉を継いだ。


「君も知っているだろうが、先月エルハイト市内のヒューマノイドたちが同時刻に死亡する事件が起きた。死因は“心臓”の調圧弁バルブ開放による疑似血液の沸騰。しかしぜその現象が同時・大量に起こったのかいまだ不明だ。私は君の提唱した“波及性灼血”を疑っている」


 レナーテが目を見開いた。

 一瞬の沈黙を挟んだのちに、ロベルト・シュルツはこう言った。



「マリアが……IV-11-01-MARIAが、一連のヒューマノイド大量死事件を引き起こしている可能性が高い。彼女について、君の意見を聞かせてほしい」


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