55.いくつもの過去

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 ……“C/Feシー・フィ事件”。

 ヒューマノイドが人間を巻き込んで起こした、あの自爆事件。

 あの日あの瞬間に感じた恐怖を、僕はきっと、一生忘れられないと思う。

 爆炎に飲まれ、体を焼かれて吹き飛ばされた。

 何も考えられなかった。

 ただひとつ理解できたのは、僕は死ぬんだということだった。


  * * *


 目覚めたときには、僕は病室の中にいた。点滴を刺され鼻からチューブを通されて、わけの分からない機械に沢山つながれて、僕はなんとか生かされていた。

 右の手足は、すでに無かった。

 

 医者が、言った。

「君は、本当に幸運だ! 神に感謝をしなければ」

 ――なにが“幸運”だ。こんな姿にされた僕は、これからどうやって生きればいい。

「ロベルト君。“ロボット義肢”というのを知っているかい? 最近のロボット義肢の性能は素晴らしい。訓練次第で、自分の腕とまったく同じに動かすことができるんだ」

 ロボット?

 僕の体に、ロボットを取り付けようというのか? ……ロボットに殺されかけた、この僕に。

 僕の気持ちにお構いなしで、医者はぺらぺらしゃべり続けた。

「君の義肢は、すぐに用意されるはずだよ。トマス・アドラー博士がじきじきに手配してくれた」


 トマス・アドラー博士?


「トマス・アドラー博士を知っているかな。ヒューマノイドを世界で一番最初に作り出した人だ。……今回の事件に胸を痛めて、被害者全員への全面的な支援を約束してくれている」


 胸を痛めている、だって?


 そのトマス・アドラーがヒューマノイドを造らなければ、こんな事件は起こらなかったはずだ。なのに今さら偽善者ぶって、『胸を痛めて』『支援を約束してくれている』だと?


 トマス・アドラー。


 悪魔のようなその男の名を、僕は脳に刻み付けた。


  * * *



 今日も父さんは来てくれない。でもそれは、また仕事が忙しいからだ、って。

 今日も母さんは来てくれない。でもそれは、また体の調子が悪くなったからだ、って。

 僕はそうやって、毎日自分に言い聞かせてきた。


 あの事件から半年すぎた。

 義肢の扱いにも慣れた。


 それでも父さんと母さんは、まだ一度も会いに来てくれない。


 広すぎる、白い病室。白さに押しつぶされそうになる。

 僕は、父さんと母さんに会いたかった。


 父さんも母さんも来ないのに。あのトマス・アドラーという老人だけは、毎日僕の病室の前までやってくる。……音でわかるんだ。あの、足を引きずるような老いた靴音。杖の音。


 でもトマス・アドラーは、病室には入らずひっそり返っていく。

 罪滅ぼしのつもりだろうか? それとも、僕を見物しに来ているのだろうか?




 ある朝、僕は病院を抜け出した。

 

 半年ぶりの。僕の家。

 警備のロボットが、僕を見るなり門を開く。……当たり前だ、ここは僕の家なのだから。

 門を抜け、長い石畳を駆け、芝生の茂る中庭を抜ける。いくつかの使用人ロボットとすれ違ったが、僕は目もくれなかった。


 ――母さんは、どこだろう。

 屋敷の中だろうか? いや。


 ――きっと裏庭だ。

 今日みたいに天気のいい日、母さんはよく、裏庭のバラ園にいる。


『ここにいると、心がとても落ち着くの……今日はお薬を飲まなくても、だいじょうぶみたい』


 なつかしい母さんの声が、耳の奥でよみがえった。

 ……僕が病院を抜け出してきたと知ったら、母さんはびっくりするだろうか。また、病気が悪くなるだろうか。

 様子をうかがうようにして、僕は茂みの中から顔を出した。バラ園の白い椅子に目を馳せる。


 ――いた。

 やはりそこには、母さんが座っていた。

「母さん……」

 僕の目から、涙があふれそうになった。

 今日の母さんは、とても体調が良さそうだ。ゆったりとほほえみながら、陽だまりの中で飼い猫のヒルデを抱いている。


 僕は。母さんのところに駆け出そうとした。

 ――――そのとき。


 誰かが屋敷の中から出てきて、母さんの隣に座った。

「……え?」

 僕は思わず、そんな間抜けな声を出していた。


 母の横に座った少年が、僕と同じくらいの年齢で、僕とまったく同じ顔をしていたから。

 銀色の髪。青い瞳。

 

 母さんはその少年の髪に手を触れ、愛おしそうに名を呼んだ。『――ロベルト』と。


 僕は悲鳴をあげていた。 

 母さんはようやく、僕がここにいることに気づいたらしい。

 

 息ができない。

 逃げ出したかった。

 だけれど義足のあやつり方を忘れた僕は、無様に転んでいた。

 地面に這いつくばる僕に。誰かが上から、手を差し伸べた。


 ――母さん?


 ふるえながら、顔を上げた。でも、僕を見下ろしていたのは、母さんじゃなかった。

 僕と同じ顔をした、ニセモノの“僕”だ。

「ねぇ君、だいじょうぶ? 手を貸そうか?」

 まるで捨て猫に餌を与えるときのような優しい表情で、そのニセモノは僕に言った。

 ニセモノの後ろで、僕の母さんは呆然と立ち尽くしていた。


「……ロベルト!」


 狂ったように叫んだ母さんは。僕ではなく。僕と同じ顔をした、ニセモノの“ロベルト・シュルツ”にすがりついた。


「そんなモノを見ないで! こっちに来て、母さんのところに来て!」


 発狂しながら、母さんはニセモノの“僕”に向かってそう叫んでいた。

 何もかも遠く。僕は母さんの声を、まるで地獄の底かどこかにいるみたいに、遠くの世界で聞いていた。


  * * *


「ロベルト・シュルツ君のご両親は、彼の養育を放棄したのですよ」


 病室の外から、医者の声が聞こえてきた。


 ――無能な医者め。そんな話は、どこか遠いところでやれ。僕の耳は、まだちゃんと聞こえている。


「ロベルト君が生存しているにもかかわらず、彼そっくりの“遺族用ヒューマノイドメメントイド”を造って、可愛がっている。彼はそれを、知ってしまったのです……」

「……そんな」

 かすれて揺らぐ、老人の声が聞こえた。この声は知っている。トマス・アドラー博士。化物ヒューマノイドをこの世に生み出した張本人だ。

 ヒューマノイドは、僕からすべてを奪い去る。C/Fe事件で手足を奪い、今度は僕の存在そのものを奪った。父母に捨てられた、亡霊のような僕は……それでも生きている僕は……一体どこにいけばいい?


 突き上げるような熱にもがいて、僕は何度も叫んでいた。空気がふるえる。点滴の道具が倒れて、ヒステリックな音を立てた。

 医者が慌てて病室に入ってきた。


「消えろ! みんな、みんな消えろ! 消えろ――」


 消えろ、消えろと叫ぶ僕には、涙も枯れてこぼれなかった。


 みじめな僕は、杭に打たれた蝶の標本。死んでいるのに死にきれず、みじめに生き続けなければならない……トマス・アドラーのせいで。


「トマス・アドラー!!」


 部屋の隅で立ち尽くしていた老人に向かって、僕は吠えていた。


「罪滅ぼしの演技はやめろ! 演技の道具に、僕を使うな。悪魔め――お前は人間じゃない!」


 トマス・アドラーの灰色の目は、静かに僕を見つめていた。肯定も否定もしないで、鏡のように僕を見つめていた。


「死ね! 悪魔……化け物……ぅ…………ぅ」


 枯れたはずの涙が、なぜだか再びこぼれてきた。僕は、誰かを罵りたかった。


「消えろ……トマス・アドラー……お前なんか、いなければ良かったんだ。お前さえいなければ……僕は」


 僕は。なんなんだろう。

 僕の手足があったなら、父母は僕を見捨てなかったのだろうか。

 僕の居場所なんか最初から、なかったんじゃないだろうか。


「ぅ……………………」

 さびしい。

 苦しい。

 息ができない。


「……ロベルト君」


 年老いた声は、ふいに頭の上から降ってきた。のどを掻きむしって苦しんでいた僕は、突然だれかに抱きしめられた。


 僕を抱きしめていたのは、トマス・アドラーだった。


「そんなにも長い間。君はひとりぼっちだったのか……」


 偽善者め……どうして僕の代わりに、お前が泣くんだ。そう叫んでやりたかった……でも。僕の体は、勝手にトマス・アドラーにすがりついていた。


 迷子の子供みたいに泣いて、僕はトマス・アドラーにすがりついていた。


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