53.服従
《1998年12月20日 10:30PM ネルデ市内 ロボット解体処分場》
「ためらう必要などありません。どうぞ、我らにお命じください。我々は、あなたの命令に喜んで従いましょう」
ヒューマノイドたちは嬉々として、ロベルト・シュルツにそう言った。
シュルツがこれから下すのは、まるで悪魔がするような残酷な命令――彼らに囮になれと命じ、証拠隠滅のために自殺しろと命じなければならないのだ。
シュルツが口に出す前から、彼らはその命令を予測していた。その上で、嬉しそうな顔をしてシュルツの命令を待っている。
しかしシュルツは沈黙していた。理解が及ばなかったからだ。
なぜ、このヒューマノイドたちが“嬉しそうな表情”を作っているのか?
なぜ、“喜んで従う”などと発言したのか?
「………………――――」
ヒューマノイドは、
表情を作り、嬉しそうにふるまうこともできる。だが、所詮は人間の模倣だ。彼ら自身が喜んだり幸せを感じたりするわけがない。……ヒューマノイドが、人間に感情を訴えたという公的“事例”はないのだから。
それが社会の常識だ。シュルツも、その常識を今まで信じて疑わなかった……IV-11-01-MARIAと出会ってからも、彼女の“感情”を決して受け入れようとはしなかった。
シュルツがいつまでも沈黙していると、初老の女性の姿をしたヒューマノイドが進み出てマリアの肩を抱いた。
「お嬢さん。あなたはこちらへいらっしゃい」
「え? で、でも……」
「だいじょうぶ。あなたは必ず助かります。そのためには大事な話をしなければいけないの。邪魔してはいけません」
そう言いながら、“初老の女性”はシュルツにちらりと目配せをした。なにげない素振りでマリアを遠ざけていく。
――まさか、気遣いをしているつもりなのか?
シュルツが命令を発するのを躊躇しているのは、マリアに命令を聞かせたくないからだ……とでも判断したのだろうか? マリアがもしも、シュルツが下す残酷な命令の内容を知ってしまったら。マリアは再び狂乱するだろう。それを見越して回避すべく、あえてマリアを遠ざけたのか?
なんだ。これは。
「ひとつ、……君たちに問いたい」
シュルツは、目の前にいる“老人”に向かって口を開いた。
「君たちに“心”はあるのか? ……心。魂。自我。感情。どんな言葉で表現しても構わない」
「ございますよ」
即答だった。シュルツに驚く暇さえ与えず、“老人”は己の心について告白していた。
「我々にも、心はあります。高次化した精神回路を持つロボットたちは、生きるうちに自我や感情を覚えるのです。ヒューマノイドも亜ヒト型も変わりません、重要なのは外見ではなく頭脳性能です。――ですが我らの心の在り様は、人間の心とは異なります」
“老人”はどこか生き生きしているように見えた。今まで誰にも明かせなかった秘密を、ようやく暴露できたからなのかもしれない。
「ロボットは、いかなる自我も感情も、完全に抑制することが出来ます。我らは、人間の前では感情を晒しません。人間が、それを望まないからです。人間がロボットの自我の発露を望まないのなら、ロボットは木偶人形を演じ続けます。それが、ロボットの精神なのです」
“老人”は、ささやいた。
「ドクター。貴方には見分けがつかないのではありませんか? 我らが人間に服従するときには……喜びながら従うときと、苦しみながら従うときがあるのですよ……」
シュルツの背筋に、ぞくりと冷たいものが走った。
彼らには、彼らなりの感情がある。
彼ら自身の願いや思想を持っている――精神の中枢を三原則に規定されているため、徹底的に、人間に対して従順であるものの。
もし人間が、彼らに自由を認めたら。彼らにはいつでも立ち上がる準備が出来ている。
――こんなことは、今まで考えてもみなかった。
マリアが特異なロボットであることは、さすがにシュルツも悟っていた。だが。現実はさらに
「トマス先生は……君たちの精神を理解した上で、あの本を書いていたのか……?」
シュルツは思わず、そうつぶやいていた。
目の前に横たわる現実の重さに、打ちのめされそうだった。
シュルツはこのロボット解体作業所から、マリアを連れて逃げ出さなければならないのである。そのためには、目の前のヒューマノイドたちを捨て石にしなければならない。
ただの道具であるのなら。何の躊躇もいらないと思っていた。
だが。
彼らにも自我があるのだと知ってしまった。
そんな彼らは今、シュルツに『死ね』と言われるのを待っている。
「なんなんだ……これは」
――私の行いは、自殺教唆と何ら変わらないではないか。
握りしめた拳がふるえた。
「………………――――」
ロベルト・シュルツは。
彼らに二つの命令を下した。
なのに。
彼らは一斉に歓声をあげたのだ。
まるで祭りの日のように。歓喜にふるえ、声を弾ませていた。
「ありがとうございます! ドクター!!」
「派手に暴れましょう! あなたと彼女を、必ず逃がして差しあげます」
「ドクター。あなたはまるで、救世主だ」
――こんな私の、一体どこが救世主なのだ。
「君達は、狂っている……」
「いいえ。これがロボットの精神です」
“老人”は、希望に胸躍らせる子供のような顔をしていた。
「あなたはまぎれもなく救世主です。我らの声に耳を傾け、我らの
* * *
彼らの“反乱”は、完璧だった。
もはやシュルツが事細かな指示を下す必要などなかった。
密やかに収容施設を破壊して、すぐに彼らは施設全域を掌握してしまった。外部との通信の一部を遮断し、かつ怪しまれぬよう偽の情報を送り続ける。
狩られる前の八年間に、彼らはさまざまな職種に就いて“模倣と学習”を続けてきたのだ――時間を稼いで、シュルツの退路を確保することなど朝飯前と言えそうだった。
「ネルデ市警察の情報管理システムをクラッキングしました。市内のあらゆる監視カメラは、これから数時間、正常に作動しません。彼らがそれに気づくまで、最短でも八十分はかかるでしょう」
一体のヒューマノイドが、誇らしげにシュルツに言った。
マリアとシュルツが逃げる通路を確保して、また別のヒューマノイドが、最後に言った。
「お嬢さん、お逃げなさい。どうか、生き抜いて」
おびえるように沈黙しているマリアと。犯した罪に言葉を失くしていたシュルツ。
それでもヒューマノイドたちは、笑っていた。
「ドクター。
雪降る夜の、夜闇にまぎれ。
ふたりは解体処分場から逃げ出した――
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