42.宣戦布告

《1998年11月14日 7:00PM エルハイト市内 第六検死研究所》


 シュルツがエルハイト市に戻ってきたのは、すっかり日が暮れてからだった。

 今日の午後は、他の検死官のところへ出向いたり母校の研究室と連絡を取ったりしているうちに、あっという間に過ぎ去ってしまった。


 当局本部で、局長に“無能の役立たず”呼ばわりされてから半日すぎたが……あの屈辱を思い出すたび、胃液が沸騰しそうになる。


 一週間のうちに三度も起こった、原因不明の“ヒューマノイド大量死”事件。その真相究明のための会議の場で、シュルツは何一つ有意義な仮説を示すことが出来なかった。自分自身でも、不本意な結果だったことは認めるが。当局局長に“無能”呼ばわりされたことは、許しがたい屈辱であった。


「ちッ。無能は貴様らのほうだろう……」


 忌々しそうにシュルツはうなった。

 ――事件捜査に方向性を見出せないのは、当局もまた同じではないか。

 局長の判断で、シュルツは捜査班のメンバーから外され、今後この事件に関わることを一切禁止されてしまった。捜査班には今後、シュルツではなくを招くそうだ。シュルツは当局の情報を閲覧する権利も失くし、明日からは通常通りの雑務をこなさなければならない。


「何としても、解明してやる……」


 出来ることには限りがあるが。それでも、自分なりの方法で原因を探ってみせる。あんな無能な連中よりも、自分のほうが早く真理にたどり着いてやる。


 心に秘かな炎を燃やし、シュルツは第六検死研究所の扉を開いた――

 そのとき。


「ドクター!」


 シュルツは一瞬戸惑った。

 彼の帰りを待ち構えていたかのように、IV-11-01-MARIAが玄関ホールに立っていたからだ。今朝までの気だるそうだった様子とは打って変わって、どういうわけだか元気そうだ。……いや。元気というより、そわそわして落ち着きがないように見える。


 シュルツは眉間にしわをよせ、無言でMARIAの脇をすり抜けた。

「あ……」

 無視されたMARIAは、少したじろいだようだった。しかし、

「待ってください、ドクター。お伝えしたいことが――」

 シュルツの背中を、ぱたぱたと追いかけてきた。シュルツは鬱陶しそうに無視し続けたが、


「聞いてくださいってば!」


 MARIAはシュルツの背広を引っ張り、一生懸命食い下がってきた。

 こんなにしつこいのは、久しぶりだ。記憶の消去を繰り返し過ぎたために、精神回路が時間逆行しているのかもしれない。


「……重要なことでなければ、後にしてもらいたいものだな」

「重要なんです!」

 深刻そうな顔をして、MARIAは応接室の扉を開いた。

「何なんだ、いったい……?」

 面倒くさそうに、シュルツが応接室を覗き込むと……


「ち~っす」


 見ず知らずの子供が、イスにふんぞり返ってふてぶてしく手を振っていた。オレンジジュースの入ったコップをもう片方の手で握り、ちゅーちゅーと音を立てて吸っている。それを見て、シュルツもさすがに驚いた。


「なんだこの子供は! 捨ててこい!」

「な、……なんてひどいこと言うんですか! ペットじゃないんですよ? 無茶を言わないでください」

「無茶なのは君だ。何を考えている!」


 ――精神回路が混乱しているとは分かっていたが……。まさかMARIAが、ここまでの奇行に出るとは思わなかった!


 いつもの斜にかまえた態度も忘れて、シュルツは声を荒立てた。

 一方のMARIAは困り果てた様子で、水飲み鳥のようにペコペコと頭を下げていた。

 二人の様子を見ていた子供は、


「うるせ~な、おっさん。マリアに命令すんなよ!」


 椅子からぴょんと飛び降りて、シュルツの前までやって来た。


「なんだ。根暗そうな、つまんないおっさんじゃないか。マリアが『すてきな人』だなんて言うから、ドクター・シュルツってのはどんな奴だろうと思ってたけど」


 これ以上ないくらい無礼な口ぶりで、子供はシュルツを挑発してきた。

「ちょっと……やめて、クリス……」

 MARIAはあたふたしながら子供を押さえつけ、半泣きになってシュルツに弁明し始めた。


「ごめんなさい、ドクター。でも、この子のお友達を直してあげたかったんです。研究所ここなら、資料も道具もあるから、直せるかと思って――」

「友達?」


 シュルツはふいに、右肩の上に小さな重みを感じた。ぎょっとして右を向くと、手のひらサイズの無表情な鉄の人形が肩の上に座って片手を振っている。

「友達というのは、これのことか? VII-07-27-ROBYロビィ……やけに懐かしいおもちゃだな」


 シュルツはロビィを摘み上げ、冷めた口調でそう言った。

「ドクター、ご存じなんですか? このロボットのこと」


「ロボット? こんなもの、ロボットと呼ぶのもためらわれるようなガラクタだ。頭脳の性能スペックは大戦後間もない頃のレベルだし、“心臓”も搭載していない。七〇年代のアンティークブームに流行った小児用玩具だ。私も子供の頃、親に与えられたことがある」


 シュルツには、興奮すると早口でまくしたてるクセがあるらしい……ということに、MARIAは初めて気が付いた。そう言えば、ベイカー捜査官と揉めているときも饒舌になる。


「ROBYには、登録された子供につきまとう習性が頭脳に組み込まれている。衛星測位システムによって、ROBYの居場所は付属端末で追尾できる――親が、子供の居場所を把握するための仕組みだ。要するにおもちゃに見せかけた、犬の首輪のようなものだ」


 シュルツは、冷やかな顔で子供を見下ろした。

「みじめな子供だ。こんなガラクタが“お友達”とは笑いぐさだな」

「うっせぇ、バーカ!」

「ク、クリス……ねぇ、そろそろ帰らないと。施設の先生たちも、きっと心配してるわ」

「あぁ~、だいじょぶ。誰も心配しないから」

「さっさと消えろ、頭の悪い子供め」


 三人が口々に勝手なことを言い出して、事態は収拾しそうにない。だがクリスにとって、MARIAを困らせるのは本意ではなかったらしい。


「わかったよマリア。じゃあ、用事を済ませてすぐ帰るね」

 MARIAを見つめてにっこり笑ってから、クリスは再び敵対心を丸出しにしてシュルツをにらんだ。


「おい、おっさん。マリアをもっと大事にしろよ! あんたよりもマリアのほうが、よっぽど仕事できるんだぞ。マリアは手加減してるんだ。そうとも知らずにエラそうに命令しやがって、このバ~カ」


 小リスのような顔立ちに、最大級の憎らしい表情を乗せて、クリスはシュルツに噛みついた。


「マリアはかわいそうだ! こんな嫌味なおっさんに、毎日いじめられて。だから、僕が助けてあげるんだ。僕は勉強してあんたよりエラくなって、マリアを幸せにする。それだけ言ってやろうと思って、僕はあんたを待ってた!」


 どうやらクリスは、宣戦布告をしているつもりらしい。言い切ると同時に、クリスはシュルツの左すねを思いきり蹴り飛ばした。


 顔をしかめるシュルツと、おろおろするMARIAをよそに、クリスはくるりと身を翻らせた。

「じゃあね。マリア。また来るから」


 シュルツの指に握られていたロビィは体をパタパタ動かして逃げ出し、少年に向かってジャンプする。ロビィを両手にキャッチすると、少年は天使のような笑みを浮かべて走りだした。持ち前のすばしっこさで、少年はあっという間に研究所の敷地から出て行った。


「……二度と来るな」


 シュルツはひとり言のように、低くうなっていた。

 おびえる声で、MARIAは謝り続けていた。


「本当にごめんなさい、ドクター……」

「……あれを二度と研究所の中に入れるな。私は子供が嫌いだ」

 シュルツはそれだけ言い捨てて、さっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。MARIAの目には、シュルツの頭から湯気が立ち上っているように見えた。


 ――パタン。


 扉の締まる音。

 にぎやかだった研究所が、いつもの静けさを取り戻した。

 ひとり取り残されていたMARIAは。


「………………ふふ」

 いつの間にか、小さく笑いだしていた。

 ――なんだか、おかしい。

 自分でもよく分からないけれど、自然と笑みがこぼれていく。


 ――こんな楽しい気分になったの、ひさしぶり。


 今日は、本当にすてきな日。

 クリスと出会えてとってもうれしい。

 クリスのお友達を修理することが出来て、本当に良かった。

 ドクター・シュルツの慌てた顔は、なんだか少し可愛かった。


 ――こんな幸せが、わたしを待っててくれたなんて。


 IV-11-01-MARIAのくちびるから、久しぶりにあの歌があふれ出した。


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