40.“マリア”とクリス《前編》
《1998年11月14日 3:10PM エルハイト市内 某喫茶店》
マリアは料理するのと同じくらい、誰かと一緒に食事するのが好きだ。
父が生きていた頃は、毎日いっしょに食事をしていた。
本当はドクター・シュルツとも一緒に食べたいのだけれど。シュルツはそれを望んでくれない。だから誰かと食事をするのは、本当に久しぶりのことだった。
ウェイターが持ってきてくれたザッハトルテと紅茶を前に、マリアは顔を輝かせていた。
「わたし、ザッハトルテがとても好きなの。父が生きていたころ、わたしの作ったザッハトルテをいつも美味しそうに食べてくれていたから」
マリアは光沢のあるチョコレートコーティングをうっとりと見つめてから、
「あなたも一緒に食べましょう。クリス!」
向かいの席に腰かけている少年に優しく呼びかけた。
「……」
琥珀色の目を伏せたまま、クリスは何も答えてくれなかった。テーブルの上に置かれた拳が、小さくふるえている。
マリアが彼の拳の上に、白い手をそっと重ねると、
「なんで僕に優しくするの」
強張った声で問いかけてきた。
「あなたと一緒に、美味しい物が食べたかったの」
他意はない。マリアはただ本当に、誰かと一緒に美味しいものが食べたかった。
けれどクリスは、彼女の行為を憐れみだと勘違いしたらしい。
「……そういう憐れみみたいの、やめてよ」
やりきれない、といった様子で、クリスは声を絞り出した。
「マリアだって、さっきあいつが言ってたこと聞いてたんだろ!? だから、僕が可哀想になったんだろ?」
クリスは彼女の手を払い、大きな声で叫んでいた。
「違う! 僕は、親に捨てられたからロボットに甘えている訳じゃない!」
クリスはマリアを憎んでいるわけではようだった。誰にでもいいから思いの丈をぶちまけたい――そんな様子だ。クリスが一気にまくしたてるのを、マリアは黙って聞いていた。
クリスは話した。
生まれた時からずっと孤児院で暮らしていたこと。
だけれど馴染めず、五歳になったクリスマスの日に孤児院から逃げ出したこと。
ひとりぼっちで震えていた彼を、とある“夫婦”が拾ってくれたこと。
「ふたりとも……ヒューマノイドだったんだ」
この国では、一九九〇年にヒューマノイドの全例廃棄が決定された。だからその男女のヒューマノイドは、夫婦のふりをして当局の目を欺きながら逃げ続けていたらしい。
「ふたりは、僕のパパとママになってくれた。人間だろうと何だろうと、僕にはどうでもよかった」
クリスは言った――あの温かさを錯覚だなんて、他人に言われたくない、と。
「でも、パパもママも最後は当局に捕まっちゃった。僕は孤児院に連れ戻されて、またひとりぼっちになった」
周囲の大人は、みな憐れみの目を向ける――「クリスは、ヒューマノイドに利用されたんだ」と。周囲の子供は、口をそろえてバカにする――「クリスは頭がおかしいんだ。ロボットなんかを、親だと思い込んでいる」と。
誰も、クリスを分かってくれない。だからクリスは、
「パパとママは、ほんとに僕を愛してくれた。ロボットにだって、心はあるんだ! 誰も信じてくれなくっても、僕だけはそれを知っている。……でも、マリアだって、どうせ信じな――」
クリスの言葉は、言い切る前に止まってしまった。
マリアが。いきなり抱きしめてきたからだ。
「……マリア?」
「信じる。信じるわ……!」
マリアの声は、ふるえていた。
声と同じくらい、彼女の心はふるえていた。
「ありがとう、クリス。ロボットにだって、心はあるのよ!」
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