Chapter 4.心の在り処《ありか》

34.敵地

 君を忘れじ。

 君を忘れじ。

 あの映画キネマのタイトルのように。IV-11-01-MARIAは何度記憶を奪われても、繰り返しシュルツを愛してしまう。シュルツからどんなに手ひどい仕打ちを受けても、その仕打ち自体も忘却しているので、明るい笑顔を何度でもシュルツに向けるのだ。

 三度忘却させたのち、シュルツはようやく、彼女に愛情を忘れさせるのをあきらめた。

 

 IV-11-01-MARIAを今後どのように扱ったら良いのか、シュルツには分からなかった。しかしそれでも、彼女を守らなければならないことには変わりない。彼女の正体がヒューマノイドなのだと、当局に知られるわけにはいかないのだ。

 そう。


 当局から、MARIAを守り続けなければならない。



 * * *


《1998年11月13日 7:00AM エルハイト市内 第六検死研究所》


 なにかが、抜け落ちてしまったかのように。

 リビングにいたIV-11-01-MARIAは窓枠に頬杖をつき、ぼんやり顔で青空を眺めていた。

「………………はぁ」

 何をするわけでもなく。まるで、かごの小鳥のように。窓枠の向こうをうつろに眺めている。

 やがて、外を見るのに飽きた様子で窓から遠ざかり、ソファにごろりと横たわった。ため息をつき、気だるげに寝返りなどをうっている。

 シュルツはそんな彼女の様子を、部屋の外から観察していた。

 

 ――精神回路が、混乱しているのか。


 これまで毎日張り切って働いていたIV-11-01-MARIAが、まるで人格ひとが変わったかのようにだらけている。昨日記憶を奪って以降、彼女はずっとあんな調子だ。

 人間ならば『ただ怠けているだけ』に見える状態だが。ロボットにとって、あれは一種の混乱症状である。急激な行動変容は、精神回路が混乱を来たした証拠なのだ。


 ――無理もない。何度も忘却処置を繰り返されていたら、精神回路が混乱するのは当然だ。


 “記憶回路”に保存された情報をもとに思考し行動を決定するのが、ロボットの“精神回路”の役割だ。記憶回路と精神回路は、密接に連携している。だから記憶をいくつも消されると、ロボットの精神は混乱してしまうのだ。

「…………はぁ」

 MARIAは気だるそうに起き上がると、コーヒーを淹れて自分で飲み始めた。まずそうな顔で啜りながら、おもむろに新聞を眺めはじめる。濁った思考の中で、シュルツの日常動作を真似しようとしているのだろう。

 シュルツは顔を曇らせた。

 これ以上の忘却処置は危険だ。こんなことを繰り返していたら、MARIAはいつか廃人のようになってしまうかもしれない。

 MARIAの記憶は、もう二度と消さない。シュルツは、そう決めていた。


 ひとつ溜息をつくと、シュルツは踵を返していた。行かねばならない場所がある――それは“敵地”、当局の本庁舎である。“ヒューマノイド大量死”事件に関して、検死官としての見解を述べなければならないのだ。


 一度目の大量死が起きてから、すでに一週間が経っていた。そののち二回、同じように原因不明の大量死が繰り返されている。三度目の大量死は、昨日の深夜のことだった。

 結局シュルツには、原因究明につながるような仮説は何も立てられなかった。そんな状態で、これから敵地へ赴かなければならない。

 自分の無能さを証明しに行くかのような、気の重い出張だ――。


 気だるげに横たわっているIV-11-01-MARIAに声をかけることもなく、シュルツは研究所から出ていった。


 * * *


《1998年11月14日 10:18AM 州都ヴェマラキア 当局本庁舎》


『所属と姓名をお告げください』


 なめらかな、白亜の壁。壁から機械音声が発せられた。


「第六検死研究所、検死官ロベルト・シュルツだ」

 機械音声に問われるままに、シュルツは清明な声でそう告げた。彼の行く手をふさいでいた一枚の壁が、スッと縦に割れて開いていく。


 シュルツが歩いているのは、当局本庁舎の一階だ。

 地上四十一階・全長二〇四メートルの高層建ての本庁舎――警備は厳重で、部外者専用の来庁ルートには要所要所に“壁”が設置されている。幾層もの“壁”を通過するために、その都度本人確認やセキュリティチェックを受けなければならない。シュルツが向かっているのは、最上階の大会議室だ。これから行われる捜査報告の場で、検死官としての見解を述べなければならないのだ。

 シュルツの進む通路には他に人もなく、いるのは案内役の亜ヒト型ロボットI-05-31-PRIMUSプライマス が一体だけだ。細身の甲冑にも似た鈍色のPRIMUSは、シュルツの一歩前を進み、“壁”に近づくと自然な所作でシュルツに道を譲る。その動きには無駄がなく、同時に恭しくもあった。

 ――よく出来た奴隷だな。

 I-05-31-PRIMUSの背中を見つめて、シュルツはぼんやりそう思った。


 ロベルト・シュルツは知っている。普段ゆるやかな所作でふるまうこのPRIMUSというロボットは、実際には素晴らしい頭脳・身体性能を秘めているのだということを。

 I-05-31-PRIMUSは、当局専用ロボットだ。ヒューマノイドと同等の頭脳と身体性能を持つ、金属鎧のような外観の下僕。当局局員に対して絶対的に従順な、高性能の奴隷である。当局は本庁舎の中だけでも、PRIMUSシリーズを二千体近く保有している。

 PRIMUSの外観デザインを決めたのは連邦刑事庁の職員だが、その職員は良い美的感覚センスを持っていたなとシュルツは思う。PRIMUSには表情がない。頭部の形は、まさに甲冑そのものだ――この無表情さが、ちょうどいいのだ。なまじ表情豊かであったら、使役するたび気になるだろう。


 奴隷は奴隷らしく。人間は人間らしく。この一線は、越えるべきではないのだ。越えたら最後、答えのない混乱の中に身を投じることになる。

 ――MARIAのようなロボットは……余計な混乱を呼ぶだけだ。

 シュルツの乗り込んだエレベーターが、音もなく上昇していった。


 停止の瞬間、体がずしりと重くなる。扉が開くと、そこは最上階だった。

 最後の“壁”を通過すると、目の前に両開きの大扉が現れた。

『開扉致します、ドクター・シュルツ』

 傍らのPRIMUSが、左右の扉を静かに押した――


 視界が、開ける。

 二百人は収容できようかという、大きな会議室だった。四面の壁の一つには、巨大なスクリーンが張られている。向かいの壁一面には大小さまざまなサイズのモニターがはめ込まれていて、庁舎内部のカメラ映像をリアルタイムで映し出しているようだった。

 大きな部屋だったが、中にいたのは三十人に満たないようだ。部屋の中央に整えられたコの字型の座席に、壮年の男たちが腰を据えていた。

 ロベルト・シュルツは、会議室に入るや深く一礼した。


「ヴァセット州第六検死研究所、検死官ロベルト・シュルツ、参上いたしました」


 コの字に並んだ鋭い瞳は一斉に彼に注がれた。

 顔を上げ、シュルツは会議室にいる顔ぶれを見た。本件捜査本部の上層部と思われる、厳つい顔の男たちだった。末席から順々に目で追っていく――と。


「待っていたぞ、ロベルト・シュルツ検死官」


 熟成酒のように、深くて渋みのある声が響いた。

 最上席に座した人物が、シュルツに向かってそう言ったのだ。堂々たる挙措で立ち上がり、鋭い瞳を細めてみせた。


「私がロボット危機管理局局長――ダリウス・ヴォルフだ」


 ヴォルフ局長の顔に刻まれたのは、決して笑みではない。鋭い目を、あたかも笑っているかのように細めてみせただけだ。ヴォルフの名にたがわない、酷薄そうな顔貌かおをしている。短く刈り上げた銀髪は、真冬の森に降りた霜のように冷たい印象だった。五十代前半だということだが、外見はもっと若そうに見える。


 ――ダリウス・ヴォルフ。この男が……


 この男が、アドラー博士を危険人物と認定して、三年間も拘束し続けている張本人だ。シュルツにとって、局長はまさに仇敵である。憎しみのあまり、局長に向ける目つきが鋭くなりかけた。……だが、感情まかせに振る舞えるほどシュルツは若くない。憎しみを腹の底に押し込め、平静な顔で目を細めて“笑み”を返した。


「わたくしのような者が、この場にお呼びいただけるとは。誠に恐縮です」

「仰々しい挨拶は、なしだ」

 ゆったりとした挙措。余裕のある“笑み”。何者にも心を晒さないであろう、鋭い眼光。それがヴォルフ局長だった。唇にゆったりとした弧を描き、ヴォルフ局長はシュルツに言った。



「君の所轄の地域で起きた、ヒューマノイドの異常死事件。今日はこの場で君の見解を、聞かせてもらいたい」

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