33.傷
そのあと深夜の三時まで、シュルツは検死室にこもっていた――例の“ヒューマノイド大量死事件”の原因を調べるためだ。
これまでに死んだヒューマノイドは全部で四五体。それらの頭脳を、もう一度よく検証したいと思った。どの頭脳にも、三原則逸脱を起こし得るような記憶は何も保存されていなかった――だが、記憶消去が施された可能性はないだろうか? そう疑ったのだ。
ロボットの記憶を消せば、記憶回路には消去の痕跡が残る。どれほど丁寧な処置であったとしても、時系列的な記憶情報にかすかな不連続点が生じる。だから、専門家である検死官の目はあざむけない。でも、もしも。検死官すら知り得ないような、新たな手法が生み出されていたとしたら……?
「…………くそ、」
為しうる検討をいくつかやってみたところで、シュルツはあきらめて検死室から出た。結局は、分からずじまいだ。
少しでも仮眠を取ったほうがいい。自分の部屋で眠ろうと思い、重たい足を部屋へと向けた。
――明日は、当局本部に赴かなければならない。このまま何の方向性も見いだせなければ、役立たずの検死官として晒し者になることだろう。
疲れは心を不安定にする。
焦りと。苛立ちと。無力感。無能な自分が腹立たしいとシュルツは思った。
階段を下り、絨毯張りの廊下を歩く。長い廊下の突き当りにあるのが、彼の自室だ。
「………………?」
シュルツは、首を傾げた。部屋の扉が、空きっぱなしになっていたからだ。扉は細く開いていて、隙間から室内の光が漏れている。
――閉め忘れたか。
またもや、彼らしからぬ雑なやり方だ。ため息をつきながら、シュルツは部屋の扉を開ける――、
そして自分の目を疑った。
「!」
シュルツの部屋の中には、IV-11-01-MARIAがいた。
「……何を――している」
扉に背を向けて立っていたMARIAが、シュルツの声にびくりと震えた。おびえるように、ふり返る。
MARIAの顔は、青ざめていた。
「なぜ、君が私の部屋にいる」
驚愕は、シュルツの声から抑揚を奪っていた。
「…………わたし」
しどろもどろになりながら、MARIAはふるえる声で答えた。
「ドクターに、謝りに来たんです。さっき、とてもひどい事をしてしまったから。でもあなたは、いなくて。部屋の――鍵が、開いていたから……」
だから。部屋に入ったというのか?
MARIAは戸惑いを隠しきれない。うつむきがちに視線をさまよわせている――まるで、何か見てはいけない物を見てしまったときのような態度だった。
シュルツは理解した。彼女が何を見て戸惑ったのかを。
“右腕”だ。
テーブルの上に置きっぱなしになっていた、分解しかけの右腕義手だ。人工皮膚を剥がした部分から、金属部品が覗いている。
まるで血液が沸き立つように、シュルツの頭に血がのぼった。
「――――見たのか」
その義手を見たのか。他人に見られたくない物を、君は見たのか?
力任せに、シュルツはMARIAの肩を掴んだ。MARIAの悲鳴などお構いなしで、
「どうして君は、私の居場所に踏み込んでくるんだ!?」
怒りに駆り立てられるまま、そう叫んでいた。
MARIAは何も答えなかった。おびえている。酸素を失った魚のように、くちびるを震わすばかりだった。
シュルツは、彼女の肩を突き倒した。
「ぁっ――」
短い悲鳴と、転んだ拍子に立てた音。
尻餅をついてあとずさるMARIAをよそに、シュルツは、テーブル上の義手を掴み取る。分解途中の部品が飛び散り、金属音が散らばった。
MARIAの瞳は、恐怖に染まっていた。
「なんだ、その目は!? 私がヒューマノイドだとでも思ったのか? 冗談じゃない! これはただの義手だ、見たければ見ろ」
彼はヒステリックに叫び、MARIAに義手を投げつけた。
「それはモノ型のロボット義手だ。右腕だけではない、右脚もだ……十四年前のC/Fe事件で、私は手足を失くしてしまった! 私はときおり、自分が何者なのか分からなくなる。体の何割かをロボットで代用しながら生きる私は、まだ人間と呼べるのか。ロボットに成り下がってしまったのではないか!?」
火で焼かれるように、胸の中が熱い。呼吸を忘れて、ただただ怒鳴りたてていた。
「私がなぜヒューマノイドを憎むか、分かるか! ヒューマノイドは人間の皮をかぶった化け物だ。ロボットと人間の
自制など、完全に失っていた。腹の中の言葉をすべて吐き出しきったシュルツは、肩をふるわせ押し黙る。
MARIAは一言も反論しなかった。深夜の闇より重くて苦しい沈黙が、ふたりを押しつぶそうとする。
長い沈黙ののち、シュルツはMARIAの腕を掴んで引きずり、第一検査室へと連れて行った。これまでと同じように、彼女の記憶を奪おうというのだ。
「忘れろ。今のことは、すべて忘れろ!」
悲鳴のように怒鳴りたて、付き倒すような乱暴さで彼女を“繭”に閉じ込めた。このときMARIAがどんな表情をしていたか。シュルツは、まったく覚えていない。
忘却処置を始めると、響き始めた重低音がさざ波のように広がっていった。
シュルツはあえぐように肩をふるわせ、浅い呼吸を繰り返していた。
――いったい私は、なにをしている?
頭が痛い。
吐き気がする。
自分は、なんて惨めなんだろう。
こんなふうに取り乱したのは、“あの時”以来だ。
手足を失い、父母に捨てられたのだと悟った“あの時”。
もう二度と、あんな惨めな思いはするまいと誓っていたのに。
頭痛に混ざって、かつてMARIAに言われた言葉が頭の中で反響していた。
『人間らしく振る舞えと言ったり、人間ぶるなと怒ったり! わたしに、どうしろっていうんですか!?』
――そんなことは知るか。こちらが聞きたいくらいだ。
『あなたは。とても、卑怯なひと』
――そうだとも。
私は君を守ってなどいない。自己保身のために、記憶の消去を繰り返しているだけだ。
分かっている。そんなことくらい。
IV-11-01-MARIAに近づかれるたび、あるいは愛されるたびに、自分の弱さと醜さが浮き彫りになっていく。
さざ波の音のような重低音は、小さくなって、消え入った。
ゆっくり重く開いてゆく、“繭”の音が聞こえていた。
そののちは、しばしの静寂。
「……ん、…………」
目覚めたMARIAの、吐息混じりのかすかな声。
すべての音をシュルツは虚ろに聞いていた。
忘却処置が終わった後も。シュルツはその場でうなだれたまま、身動きすることが出来なかった。
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