32.繰り返し
《1998年11月12日 7:00AM エルハイト市内 第六検死研究所》
ロベルト・シュルツは、MARIAの記憶をまた消した。
泣いて拒絶する彼女を再び突き放し、四日前と同じように言い争って、無理やり“繭”に入らせた。
そして厄介な出来事というのは、どういうわけだか重なるものだ。
その日、ヒューマノイドの大量死が、エルハイト市で再び起きた。
十一月十一日。
一回目の大量死が起きた四日後のことだった。
翌日になって、全部で三十二体の死体が、検死官ロベルト・シュルツのもとに届いた。前回同様、ほぼ同時刻に赤い蒸気を噴き上げて死亡したものばかりだという。
「ちくしょう、何だってんだこれは。勝手にボロボロ死にやがって!」
補佐用の亜ヒト型ロボット二体を引き連れて死体を運んできたブラジウス・ベイカー一等捜査官が、忌々しそうにそう言った。
「あぁ、うざってぇ。
悪態をつきながらベイカーは去っていった。
整然と並べられた死体を見下ろしていたロベルト・シュルツは、死体をひとつ抱き上げた――ずしりと響く、死体の重み。
地道に一体ずつ調べていくしかない。順繰りに、シュルツは検死を行っていった。
* * *
《1998年11月13日 0:30AM エルハイト市内 第六検死研究所》
ロベルト・シュルツは十七時間、ほとんど休まず検死をつづけた。
それでもすべての検死を終えたときには、すでに日付が変わっていた。
「はぁ――……」
長い長い息を吐く。鉛のように重たい息だ。
検死の結果は、前回とまったく同じだった。
三十二体の“心臓”は、いずれも調圧弁が全開になって破損している――にもかかわらず、頭脳には三原則逸脱につながり得るような記憶はまったく保存されていない。
疲れと眠気に打ちのめされそうだった。シュルツはぐったりして、休憩室の椅子に腰かけうなだれていた。
分からない。なぜ昨日、二度目の“大量死”が起きたのだろう? 大量死のメカニズムは何なのだろう?
「…………何が起きているんだ」
MARIAの“愛情”。ヒューマノイドの“大量死”。訳の分からない出来事が次々降りかかってきて、シュルツは翻弄されるばかりだ。
――当局に呼び出されるのは、明日だというのに。
結局シュルツはまだ何ひとつ、まともな仮説に至っていない。
昨日は書架に入ったものの、調べ物など手につかなかった。……IV-11-01-MARIAのせいだ。MARIAの“愛情”を消し去るために、ずいぶんと時間を浪費してしまった。
「――くそ、」
どうしてIV-11-01-MARIAが自分を愛するのか分からない。口もきかず目も合わさずに同じ敷地で暮らしているだけだ。愛されるようなマネは、何ひとつしていないというのに。
無意識のうちに髪を掻きむしっていたことに気づいて、シュルツはますます苛立った。
――自分らしくない。
ロボットの
「………………昨日の処置は、最悪だった」
つぶやきながら、昨日MARIAに施した忘却処置を思い出す。
記憶の消去は、最小限が鉄則である。消し過ぎると頭脳全体が混乱に陥り、故障することさえあるからだ。――にもかかわらず、シュルツは昨日、広範囲な記憶消去をMARIAに施してしまった。専門家としてあるまじき、非常に雑な処置だった。二度と“愛情”が発生しないように、この一週間近くの記憶をほとんど消してしまったのだから。とんでもない醜態である。
「あんなに雑な処置をされたら、MARIAの頭脳は混乱をきたすに決まっている……」
飛び石のように断片化した記憶は、ロボットの精神回路を不安定にする。IV-11-01-MARIAは今後、この期間の記憶をたどろうとするたびにパニック発作を起こすだろう。
「……愚か者め」
まさかこの自分が、感情まかせにあんな稚拙な処置をしでかすとは。
焦りと苛立ちが隠せない。胸のうちからチリチリと焼かれるようだった。舌打ちをして、シュルツはテーブルに突っ伏した。
――そのとき。
こん、こん、という控え目なノックの音がした。
「失礼します。ドクター」
扉の向こうから、晴れやかな声が聞こえた。IV-11-01-MARIAだ。声を耳にした瞬間、シュルツの顔が大きくゆがんだ。
MARIAはしとやかな所作で入室し、花咲くようにほほえんだ。
「お仕事、お疲れさまです。コーヒーをお持ちしました」
彼女が手に持つ盆の上には、湯気立つコーヒーカップが乗っていた。
シュルツが凍ったように沈黙していると、
「? どうしたんですか」
MARIAは彼の様子を見て、ふしぎそうに首を傾げた。
――忘れているのだ。
ここ数日の記憶を失くしたIV-11-01-MARIAは、給仕をするため現れたのだ。検死後に休憩室でコーヒーを飲むのは、シュルツの日常習慣である。
「いつも遅くまで、おつかれさまです」
春の陽ざしのようにやわらかい、MARIAの声と笑顔。そのやわらかさが、かえって彼には不快だった。
IV-11-01-MARIAは、シュルツの横までやって来た。
――近寄るな。
息が詰まる。胸が
シュルツの顔をそっと覗き込み、MARIAはこう言った。
「ドクター。おなか、減っていませんか?」
慈愛に満ちたMARIAの声。彼の体を気遣う“気持ち”がにじみ出ていた。
「お出ししておいてこんなこと言うのも変ですけど……。いつもコーヒーばかりだと、胃が荒れてしまいますよ? 良かったら、消化にいい食べ物も召し上がりませんか。お口に合うか分かりませんけど、チキンのスープも作ってみたんです。お持ちしましょうか?」
言いながら、MARIAはコーヒーカップをシュルツの前に置こうとした。
――やめろ。
カップが机に置かれる直前に。
シュルツは、彼女の手を叩き落としていた。
「あッ――!」
MARIAが小さな悲鳴をあげる。手からこぼれ落ちたコーヒーカップは、床に叩きつけられて破砕音をまき散らした。床の上に黒い水たまりが広がる。
シュルツの胸の内は、ちりちりと灼かれるようだった。
「ドクター……?」
突然のことに、MARIAは驚いたようだった。思考停止の状態で、目を見開いてシュルツを見つめている。
――やめろ。そんな目で見るな。
ロボットの分際で。
数秒ののち。悲しそうな顔をして、MARIAはシュルツに頭を下げた。床にひざまずき、割れたカップの欠片を拾い集めながら、うつむきがちに彼女は言った。
「わたし……少し、図々しかったですか? ごめんなさ――」
「黙れ」
氷の声で、シュルツは彼女を遮った。
「出ていけ。これ以上私に関わるな」
「!」
理不尽な拒絶。ロボット相手に、何をむきになっているのか……シュルツ自身にも分からなかった。
冷たく切り捨てられたMARIAは、茫然としていた。
しかし――。ぽつりと。
「いきなり……どうして、そんなひどいことを言うんですか?」
凍てつく寒さに凍えるように、MARIAの声はふるえていた。
「昨日までは、いつもみたいに優しくしてくれてたじゃないですか。なのに。なんで今日は、そんなに怒っているんです?」
“昨日”。“今日”。
記憶を消されたIV-11-01-MARIAは、時間感覚に混乱を来たしていた。
床にひざまずいていたMARIAは、立ち上がって真正面からシュルツを見つめた。
「理由を教えてください! わたしは、あなたに嫌われるようなことをしましたか? 今度からちゃんと改めますから」
シュルツは返す言葉を知らない。ただただ彼女を突き放したい。だから、いつまでも黙っていた。
“理由”を教えてくれないシュルツを、MARIAはさらに問い詰めようとした。
「お願いだから、教えてください……理由が思い当たらないんです。だって、昨日は……昨日までのあなたは――」
まるで頭痛に苦しむかのように、MARIAは
シュルツは、泥沼の中に放り込まれたような心持ちだった。
「……そもそも私は、ロボットが嫌いだ」
口から勝手に、そんな言葉が滑り出す。
「ロボットが嫌いだ。とくにヒューマノイドは――なかでも
憎しみまじりの冷たい声だ。
殴られたような表情で硬直しているマリアをよそに、シュルツの言葉はとどまることを知らなかった。
「私は君とは関わりたくない。君のようなメメントイドを押し付けられることになった、我が身の不運が呪わしい。……そもそもメメントイドなど、この世に存在すべきではないんだ。まったく役に立たない挙句、所有者の没後はあと始末に困る。君のように面倒なメメントイドを造らせたアドルフ・エレットという男が、私は憎くて仕方ない」
アドルフ・エレット。IV-11-01-MARIAの所有者だった人物だ。
唐突に
「! わたしの父を侮辱するつもりなんですか!?」
MARIAは叫んだ――次の瞬間。彼女は顔を苦痛にゆがめて、身をよじらせた。
「うっ……」
MARIAの体が、床へと崩れていく。
“灼血感”だ。
床でうずくまるMARIAを見下ろし、シュルツはようやく口をつぐんだ。
「……謝ってください」
肩を小さくふるわせて、MARIAが声を絞り出す。
「断る。
シュルツが言うと、
「わたしにではありません。……父に、謝ってください」
青い瞳に怒りを燃やし、MARIAはシュルツを睨みつけた。
「謝って!」
「断る」
木材が砕け散る音と同時に。シュルツの目の前にあった木製のテーブルが、ぐらりと傾き、倒れていった。
シュルツは自分の目を疑った――IV-11-01-MARIAが怒りに任せてテーブルの脚を殴り、破壊したのだ。
「……最低」
わなわなと震え、MARIAは低くそう言った。両目から涙を流した彼女は、憎しみのような眼差しでロベルト・シュルツを睨んでいた。
大きな音が響いた――四本の脚のうち一本を叩き壊されたテーブルが、音を立てて床に倒れたからだ。テーブルの上にあった検死報告書が、ばらばらと舞い散った。
「あなたは、最低です」
そう言い捨てて、MARIAは部屋から出て行こうとした。
灼けつくような体の痛みに耐えながら、よろよろと立ち上がる。足がもつれて転びそうになりながら、おぼつかない足取りで休憩室から逃げていく。
「…………」
逃げ去る彼女の背中を見つめ、シュルツは言葉を失っていた。怒りに任せて物を破壊するロボットなど……今まで一度も見たことがなかったからだ。
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